ささやかな藤子ネタ

 今年7月に刊行された宇野常寛『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)、終章までは早い段階で読んであったのですが、そこまで読んでとりあえず読み終えた感にひたってしまって、終章のあとに収録された補論をまだ読めていませんでした。それを数日前になってようやく読了。ビッグ・ブラザーが壊死して到来したリトル・ピープルの時代、虚構に求められるのは仮想現実的な想像力ではなく拡張現実的な想像力であるという論に、現在の事象を見るさいの一つの視点を付与された気がします。
 
 この本は、リトル・ピープルの時代に対応した想像力として平成仮面ライダーを論じることにずいぶんページを割いています。私は平成仮面ライダーを1話も観ていないのですが、それでもぐんぐん読み進めていける推進力をこの文章から感じました。
 藤子作品が何か論じられているわけではありませんが、当ブログでこの本に言及したのは、わずかながら藤子ネタがあるからです。キャラクターが複数の人格として機能するということを説明するさいの事例として「ドラえもん」が引き合いに出されているのです。ちなみに、「ドラえもん」の語が出てくるのは同書311ページです。


 次に紹介する本は、昨年5月ごろに発売されたものですが、ふと読み返してみて、そういえば藤子ネタがあったなあ、と再確認したので、ここで取り上げようと思いました。漫画家・福満しげゆきさん初の活字本『グラグラな社会とグラグラな僕のまんが道』(フィルムアート社)です。
 
 この本に「福満しげゆきの小規模なDVD感想文」というコーナーがあって、そこで『エスパー魔美』が取り上げられているのです。
 私は、福満マンガを愛読しています。福満マンガとの出会いは、2005年に青林工藝舎から刊行された『僕の小規模な失敗』の帯に「これぞアックス版まんが道」と記してあったのを見て購入したことです。“まんが道”という語に心惹かれたのです。
 
 この本は、帯だけじゃなく作中にも藤子ネタがあります。45ページで主人公が「あー…この建物はまさに「まんが道」に出てきたアレじゃないか…」というセリフを発しているのです。
『グラグラな社会とグラグラな僕のまんが道』は、タイトルのなかに“まんが道”という語が含まれていますね。