ペシミスティックな近未来を描いたSF映画

 ゴールデンウィークのある日、ペシミスティックな近未来を描いたSF映画を4本続けて観ました。
 
 ペシミスティックな近未来を描いたSF映画は多数ありますが、その中からなぜこれらの映画を選んだのかといえば、DVDソフトが部屋の取り出しやすいところに保管してあったからです(笑) それと、やはり何度も観返したくなるような魅力を感じるからです。


●『ソイレント・グリーン』 (リチャード・フライシャー監督、1973年、アメリカ)
 2022年のニューヨークが舞台。飽くなき産業化に邁進してきた人間社会は、人口の爆発的な増大と資源の枯渇によって深刻な食糧不足に陥っていた。食糧生産を独占するソイレント社は、高栄養食品「ソイレント・グリーン」の開発に成功、これを市民に配給することで食糧難を乗り切ろうとしていた…。ところが、主人公の刑事がある富豪の殺人事件を捜査するうち、その裏側に衝撃的な真実が隠されていることが分かってくる…。


 住むところのない人々が大勢ギュウギュウ詰めで階段や教会に横たわっていたり、街がくすんだ色のスモッグで覆われていたり、群衆がゴミのように扱われたり…そんな荒んだ光景が随所で映し出されます。そうした光景ばかりに触れているため、物語の後半、老人安楽死施設の一室で流れる美しい映像と音楽が、きわだって美しいものに感じられます。その映像は青空や夕日や草原といった自然の景色をひたすら映しているだけなのですが、この世界ではそうした自然が失われていて、一般市民にとっては夢のような光景なのです。そんな美しい光景を味わえるのが安楽死の間際だけ…というのは、なんと物悲しく皮肉な状況であることでしょうか。
 主人公の刑事はこの映画におけるヒーロー的存在ではあるのですが、この時代の警察は職権濫用や不正行為が当たり前になっていて、この刑事もそうした行為を平気でおこなうため、ちょっとダーティーなアンチ・ヒーロー、という印象を受けます。
 この時代は、野菜や肉といった農産・畜産物が一部の特権階級以外には味わえない貴重なものとなっています。だから、刑事が職権濫用で手に入れた野菜や肉を食べる場面からは、今まで食べたことのないものを口にする初々しい感動がにじんでいます。刑事と同居する老人は、過去に野菜や肉を食べた記憶があるので懐かしみながら口にします。そうした食事シーンがとても印象的でした。


 藤子・F・不二雄先生は『ソイレント・グリーン』を観たとき、自分の描いた短編マンガ『定年退食』(1973年)と似ていてショックを受け「安直にマネしたと、読者に受け取られても仕方のない状況」だと感じたそうです。「絶対に絶対に盗作などではありません!」とF先生はおっしゃっています。
『ソイレント・グリーン』と『定年退食』は、環境汚染や人口爆発によって食糧難に陥った社会で配給制が実施されたり高栄養の人工食品が開発されたり…といった設定が似ていますが、ストーリーや切り口はそんなに似ているとは思えません。『ソイレント・グリーン』は、著しい格差社会の理不尽さやその裏側に隠された衝撃の真実に、『定年退食』は、非生産人口を養い切れなくなった社会制度に焦点を当てています。劇中で描かれる未来社会の風景は、『ソイレント・グリーン』では見るからに荒廃したディストピアとして描かれ、『定年退食』では、表向きには現代の都市と地続きにあるような日常的光景として描かれています。



●『サイレント・ランニング』(ダグラス・トランブル監督、1972年、アメリカ)
 地球上では管理社会が徹底されることで病気や貧困、失業の問題は解決したものの、緑がほぼ失われてしまっていた。食べ物は人口の合成品ばかり、人間の思考は均質化されていた。そんな近未来、わずかに残された植物が、宇宙船に設けられたドームの中で栽培されており、その宇宙船の乗務員の一人である主人公は、地球に緑を再興させることを夢見ていた。ところが、当局はそのわずかに残った植物も放棄することを決定、植物ドームの爆破が命じられる。そこで主人公が取った行動は…!?
 実質的な登場人物は4人、途中からは主人公1人だけになり、舞台は宇宙船内だけ…という低予算映画。自然破壊に警笛を鳴らすメッセージ映画ではあるのですが、それよりも、本作に登場するメンテナンス・ロボットの独特なデザインとヨチヨチ歩きが格別に印象に残りました。このロボットのデザインは、『スター・ウォーズ』のR2-D2の原型になったと言われています。


 一昨年に公開された『月に囚われた男』(ダンカン・ジョーンズ監督)を観たとき、この監督は『サイレント・ランニング』が好きなんだろうなあと感じました。とくに、地球外で孤独な状況に置かれた男がロボットと交流する、というところにそれを強く感じました。実際にダンカン・ジョーンズ監督は『サイレント・ランニング』へのオマージュという意識を持っていたようです(『サイレント・ランニング』以外にもいろいろなSF映画を意識していたとのこと)。
月に囚われた男』が日本で公開された2010年、この映画に対する藤子不二雄A先生のコメントが「朝日新聞」に載りました。

近頃のSF映画は、すごいお金をかけて映像的には刺激的だけれど、人間が描かれている作品が少ないね。これは、低予算で登場人物もほとんど一人! でも、それが逆に良い方面に働いた。(中略)昔のインディーズの実験映画的ムードがサスペンスを盛り上げている。(中略)一切れのブランデーケーキのように味わい深い知的な映画です。
朝日新聞」2010年3月26日

 A先生のこのコメントに惹かれたこともあって、私は『月に囚われた男』を劇場へ観に行ったのです。観に行ってよかった!と思いました。



●『未来惑星ザルドス』(ジョン・ブアマン監督、1974年、イギリス)
 この映画は2293年が舞台なので、近未来というより、相当な未来ですね(笑)
 人類は、「エターナル」というごく少数の特権層と、「獣人」と呼ばれる低文化の人々に大きく二極化していた。エターナルは不死の体を持ち、罪を犯さない限りは加齢もせず、性欲や睡眠欲を必要としない存在で、「ボルテックス」という理想郷に暮らしていた。エターナルの暮らすボルテックスと、獣人が住む外界ははっきりと隔てられていて、二つの場所を唯一接続するのが「ザルドス」という、顔だけの巨大な神像だった。ザルドスは、空を飛んで獣人の住む土地までやってくる。獣人の中から選ばれた殺し屋集団がいて、彼らはザルドスを信仰し(神だと信じ込まされ)、その他大勢の獣人たちを奴隷のように扱い、殺しまくっていた。あるとき、ザルドスに疑問を抱いた殺し屋集団の一人が、それに乗り込んでエターナルの住む理想郷ボルテックスに向かうのだった…。


 この映画の大半は、ボルテックスという理想郷が舞台になっているのですが、この理想郷の風景や風俗、そこに住む人々の行動、衣装などがサイケデリックというかシュールというか、独特の異様さを湛えています。そもそもザルドスが“空飛ぶ巨大な石の顔”なわけで、これだけでもかなりシュールな味わいです(笑) 後半になると観念的な映像がよく観られます。この映画では、そうした不思議で強烈な映像世界が次から次へと繰り広げられるのです。
 ボルテックスの建物の一室には、シュルレアリスムの画家マグリットの『ピレネーの城』が飾られています。そのことから、“空飛ぶ巨大な石の顔”であるザルドスは、空に浮かぶ巨大な岩石を描いた『ピレネーの城』にインスパイアされて案出されたものなのだろう、と推察できます。『ピレネーの城』にインスパイアされた作品とえいば、藤子不二雄A先生のブラック短編『マグリットの石』がすぐさま私の頭に思い浮かびます。
 それと、ザルドスは顔だけの巨大な神像であるという点から、F先生の『モジャ公』「天国よいとこ」で描かれたシャングリラ星の“ドンヒル神像”も思い出されます。ドンヒル神像もザルドスも、顔だけの巨大な神像であり、人工的な理想郷(じつはディストピア的な世界)を維持するため人心をコントロールすることに利用されている…という点で共通性を感じるのです。



●『トゥモロー・ワールド』(アルフォンソ・キュアロン監督、2006年、イギリス・アメリカ)
 1970年代に公開されたSF映画を3本堪能したあとは、比較的最近の作品を鑑賞しました。この映画は2027年のイギリスが舞台。人類から出産能力が失われ、18年ものあいだ新たな子どもが誕生していなかった。治安が悪化しテロや内戦が続発、世界の主要各国が崩壊状態に陥ったなか、英国だけはまだなんとか踏みとどまっていた。そのため不法入国者が相次ぎ、厳しい取り締まりが行なわれていた。そんな希望のない状況のなか、世界最年少の若者が刺殺される事件が起き、世界は衝撃を受ける…。そんなところから物語は始まります。


 かなり好きな映画です。劇場で観たときは、カメラの長回しが生みだす、めくるめく臨場感と緊迫感に圧倒されました。あとになって、この長回しは純粋なワンカットではなく特殊技術によって編集した箇所もあると聞き、それもまた驚きでした。つなぎ目などまったくわからず、ワンカットにしか見えないのです。主人公たちが乗った車が襲撃されるシーンや収容所内のスラムでの戦闘シーンには強く目を奪われます。目を奪われるどころか、その場所に自分も立ち合っているような感覚がもたらされます。
 退廃へ向かう都市の風景や、後半の舞台となる収容所内のスラムの光景などがよく作り込まれていて、思わず見入ってしまいます。テーマやストーリー以上に、撮影技術や美術がとても魅力的な映画です。