「魔術/美術 幻視の技術と内なる異界」

 一ヵ月ばかり前の話になりますが、6月2日(土)、愛知県美術館で開催されていた企画展「魔術/美術 幻視の技術と内なる異界」(開催期間:4月13日〜6月24日)へ行ってきました。
 魔術をモチーフにした美術作品を集めた展覧会…というより、「魔術」という語を多様に解釈した展覧会でした。  
 
 ・愛知県美術館の入った建物(愛知芸術文化センター


 
 ・企画展ポスター


 同展会場は、大きく分けて3つのコーナーに分かれていました。
 1.人々を幻視へと誘うような作品。だまし絵や真偽の境界が曖昧な写真など。
 2.不可視な世界や超常的な現象を表現した作品。
 3.1970年代後半から2000年代にかけて制作された作品。抽象画など。


 
 展覧会を鑑賞する中で、不意に藤子マンガを思い出す瞬間がありました。
 たとえば、山本芳翠の『浦島図』(1893〜95年ごろ、油彩)を観たとき…。この絵は、非常にインパクトがありました。海亀の甲羅の上に立った浦島太郎の顔が、実にエキゾチック。浦島太郎の後方を、竜宮の住人と思われる女性や子どもたちが大勢連なっていて、幻想的な海上パレードのような様相です。
 この絵は、伝統的な昔話である『浦島太郎』の一場面を忠実に再現したものではなく、本来の『浦島太郎』にはない要素や雰囲気を加えることで独特の『浦島太郎』ワールドを描き出しています。『浦島太郎』を独自に解釈した作品と言えるでしょう。
 藤子・F・不二雄先生のマンガには“『浦島太郎』の新解釈”と言えるような話がいくつかあります。
 たとえば『ドラえもん』の「竜宮城の八日間」。この作品では“浦島太郎が連れて行かれた竜宮城は、じつは大昔に地上で繁栄していた国家だった”という解釈が披露されています。その国家は何万年も昔は地上で栄えていたのだけれど、世界中で戦争が頻発したため平和を好む王が国ごと海底に沈め、存続させてきたのです。そこはわれわれの住む世界とは次元が違っていて、時間がゆっくりと流れています。海底国で8日間をすごせば、地上の世界では800年以上が経過する…というのです。


 それから、『T・Pぼん』の「浦島太郎即日帰郷」は“『浦島太郎』伝説が誕生した背景には、タイムパトロール隊員の並平凡と安川ユミ子の行為が深くかかわっていた”という話ですし、「小学四年生」1975年12月号で発表された読切作品『世界名作童話』の3話目が『浦島太郎』のパロディになっており、“浦島太郎が助けた動物はカメではなくタコであった。そのタコは本当は宇宙人で、浦島太郎はカメ型宇宙船に乗ってリューグージョーという星へ行ったのだ”という珍説が綴られています。
『浦島太郎』のパロディということでは、『ドラえもん』の「ウラシマキャンデー」も思い当たります。昔話の浦島太郎はカメを助けることで竜宮城へ連れて行かれ乙姫様からもてなしを受けましたが、のび太は甕(かめ)を守ることで竜宮姫子(たつみやひめこ)さんという少女の家でもてなしを受けるのです。


 しのだひでお先生が作画協力したF作品『ベラボー』も『浦島太郎』をモチーフにしています。浦島一郎という小学生男子が、腕白な子どもたちからボールのように扱われていた宇宙ガメ“ベラボー”を助けます。ベラボーはそれを恩に感じませんでしたが、浦島一郎がベラボーを助けるためにマンガ本を3冊も犠牲にしたことを気の毒に思います。そうしたところから浦島一郎はベラボーと親しくなって不思議な地下別荘に案内され、そこを子どもだけの町として使うようになるのです。
 
 ・藤子・F・不二雄大全集『ベラボー』



 企画展「美術/魔術 幻視の技術と内なる異界」には、アンドレ・マッソン(1896〜1987)の〈生贄〉というエッチング(版画の一種)のシリーズが5枚展示されていました。同展の図録では、この作品が次のように解説されています。
「マッソンのエッチング作品には、古代の神々によって執り行われた供儀の儀式が再現されている。伝統的な神話のなかで動物と化した神の血なまぐさい暴力的な死の場面である」
 

 この、マッソンの〈生贄〉シリーズの1枚に「ミノタウロス」が登場します。ミノタウロスとは、ギリシア神話に出てくる牛頭人身の怪物のことです。

ミノタウロス
 ギリシャ神話に登場する半人半牛の怪物。
 クレタ島の王ミノスは海神ポセイドンに奉げるはずの白い牛を我が物とし、これに怒った神は王妃パシファエが雄牛と交わるよう仕向ける。かくして誕生したのが牛頭人身の怪物ミノタウロスである。
 ミノス王は名工ダイダロスに命じて巨大な迷宮を作らせ、その奥にミノタウロスを幽閉した。
 そしてミノタウロスの餌とする為、9年に一度、周辺国に未婚の若い男女7人づつを生贄として供出させたが、これに混じって現れたアテネの王子テセウスはミノス王の娘アリアドネの協力を得、迷宮奥のミノタウロスを討伐して無事に脱出、アリアドネを連れてアテネへ戻った。


はてなキーワードより)
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%DF%A5%CE%A5%BF%A5%A6%A5%ED%A5%B9

 クレタ島で栄えた古代文明のエピソードは、長いあいだ神話の中で語り継がれてきましたが、これが現実の歴史上存在した文明であることが、1900年の遺跡発掘によって裏づけられます。イギリスの考古学者アーサー・エバンズ卿が、クレタ島のクノッソスで巨大宮殿をはじめとした文明の痕跡を発見するのです。その文明は、神話に登場するミノス王にちなんで「ミノア文明」と名づけられました。
 
 この本は『迷宮のミノア文明』(ルイズ・スティール、1998年、主婦と生活社)です。副題に「事実になった神話」とあるように、ミノア文明は、神話の中の文明が史実となったものなのです。


 ミノタウロスをめぐる神話をモチーフにした藤子作品といえば、これはもうF先生の『ミノタウロスの皿』がただちに思い浮かびます。なにしろタイトルにミノタウロスの語を使っていますから。
 ミノタウロスの「牛頭人身の怪物」という要素は、『ミノタウロスの皿』の中では、イノックス星人の姿に投影されています。イノックス星人は、二足歩行する牛のような姿をしているのです。
 そのイノックス星人が「ウス」と呼ぶ家畜は、地球人そっくりな姿をしています。劇中において主要キャラとなるイノックス星の家畜が「ミノア」です。このネーミングは、「ミノア文明」から来ています。
 ミノアは「ミノタウロスの大祭」という祭りで主役に選ばれ、イノックス星人に食べられることになるわけですが、そうしたアイデアは、「クレタ島では海神ポセイドンに牡牛が生贄として捧げられていた」とか「ミノタウロスの餌として若い男女が生贄にされていた」という神話のエピソードが土台になっていると思われます。神話だけじゃなく、史実としてのミノア文明の世界でも、神に牡牛が生贄として捧げられていたようです。


T・Pぼん』「暗黒の大迷宮」も、ミノア文明やミノタウロスの神話を題材にした話です。タイムパトロール隊員並平凡とリーム・ストリームが、ミノア文明の世界を訪れるのです。




「魔術/美術 幻視の技術と内なる異界」の展示作品中で最も強い印象を残したのが、谷中安規による数枚の版画作品です。個人的には、同展へ行った最大の収穫が谷中作品と出会いなのでした。
 谷中安規の版画は、素朴かつ力強い画風で奇妙な世界を表現しています。『蝶を吐く人』という作品では、全裸の男性が口から蝶を吐き出しています。その男性と蝶の姿が壁に映って、影絵のようになっています。窓には、別の大きな蝶と小さな蝶が、これまた影のように映っています。不思議な世界です。
 とりわけインパクトを感じたのが『飛ぶ首』という作品。ビルに囲まれた路上に立つ人の首がなぜか胴体から分離し、空中を飛んでいます。首をなくした胴体は、あたかもバレーを踊っているようなポーズをしています。さらに、その前方ではふくよかな裸の女性が寝そべって読書らしきことをしています。この作品の画風が素朴で力強いぶん、そうしたシュールさが濃厚に伝わってくるのです。
『飛ぶ首』で表現された“胴体から首が離れた状態”を観て私が思い浮かべた藤子作品は、まず『T・Pぼん』の「平家の落人」でした。ユミ子の首がはねられるシーンがあるのですが、そのとき彼女の首は刀で斬られた勢いで血しぶきを上げながら飛びます。まさに『飛ぶ首』なのです…。
 SF短編『ウルトラ・スーパー・デラックスマン』でも、人の首が血しぶきを上げて飛ぶ場面が見られます。逮捕されそうになった句楽兼人(=ウルトラ・スーパー・デラックスマン)が抵抗して暴れたため、刑事の首がちぎれて飛んでしまうのです。


ドラえもん』の「分解ドライバー」でも、のび太ジャイアンが“胴体から首が離れた状態”に陥ります。首ばかりか、その他の身体パーツもバラバラになるわけですが、この場合は『T・Pぼん』や『ウルトラ・スーパー・デラックスマン』と違ってシリアスな描写ではありません。シュールなナンセンスギャグとして、人体がバラバラになったり、ちぐはぐなくっつき方をしたりするのです。
ウメ星デンカ』の「わしはねらわれているぞよ」では、ウメ星王の生首が登場してギョッとさせられます(笑)結論をいえば、これは生首じゃなかったわけですが。


 藤子不二雄A先生のブラックユーモア短編『北京填鴨式』や『台北挽歌』のラストでも、人間の首が胴体から切り離された状態が描かれています。実にリアルでおぞましい描写です。これらの作品は、カニバリズムによって“首だけ”という状態が生じます。


 こうして見ると“首だけ”という状態は、残酷・恐怖・死といった重くシリアスでショッキングなイメージを喚起する場合と、何だか間が抜けていて滑稽でユーモラスで笑いを誘発する場合とに大きく分かれるようです。




 同展では、狸や鳶の狂言面(江戸時代中期、木造)の展示もありました。狂言面といえば、やはりA先生の『仮面太郎』でしょう。『仮面太郎』には、能や狂言の面をモデルにデザインされたと思われる仮面がいくつも登場します。狸や鳶の面は出てきませんが、狐や烏の面を見ることができます。
『仮面太郎』は、A先生の仮面趣味が作品の主題として最大限に前面化した作品です。



 私が愛知県美術館へ行った日は、企画展「魔術/美術 幻視の技術と内なる異界」を記念して作家・平野啓一郎さんの講演会が催されました。そのレポートを少しだけ書こうと思ったのですが、今日は記事が長くなったので、次回以降へまわします。