『キン肉マン』から藤子マンガの話へ

 先日から部屋の整理整頓作業中です。いろいろなものが部屋から発掘されたので、今後当ブログでぼちぼちと紹介していきたいなと思っています。
 今日はそうしたものの一つ、昭和59年公開の劇場版『キン肉マン』のVHSソフトを紹介するところから話を始めます。
 
 このソフトは昭和59年12月に発売された模様。のちに、「奪われたチャンピオンベルト」という副題が付けられた作品です。


キン肉マン』つながりでもう一つ。
 
 これは、『ドラえもん』と『キン肉マン』の映画が同じ春休みに公開されることを報じる新聞記事。「中日新聞」昭和60年3月5日の記事を切り抜いてスクラップしたものです。
 この記事では、両映画の公開初日の日付にちなんで「3・16ドラ・キン決戦」と名づけ、「この二本が、初めて正面からぶつかるのが、今度の春休み。しかも、封切り日まで同じ十六日。いやが上にも、ドラ・キン決戦が過熱する…」と伝えています。


「ドラ・キン決戦」と同じ年に、藤子・F・不二雄先生は『ドラえもん』のなかで“にんにくマン”という番組をのび太ドラえもんが見ようとする場面を描いています。“にんにくマン”はむろん“キン肉マン”のもじりなわけですが、元ネタを一音変えただけで絶妙な脱力加減をかもすパロディになっていて、なかなか愉快です。
“にんにくマン”が出てくるのは『なおしバンとこわしバン』という話です。この話は「小学一年生」昭和60年2月号で発表されているので、タイミングとしては「ドラ・キン決戦」よりほんの少し前のことになります。


 昭和54年にテレビ朝日で放送が始まったアニメ『ドラえもん』は、またたく間に国民的大ブームを巻き起こしたわけですが、その後、まず『ドラえもん』ブーム(から始まった藤子アニメブーム)の強力なライバル的作品となったのが鳥山明先生の『Dr.スランプ』(アニメは『Dr.スランプ アラレちゃん』)でした。昭和56年から57年ごろのアラレちゃんブームは大変なものでした。
 そうして次に藤子アニメブームの大きなライバルとなったのが(ブームの規模や対象年齢などを見れば)この『キン肉マン』だったと言ってよいでしょう。
 少年ジャンプ勢はこのときから、すでにえらく強かったのです。


 ちなみに、F先生は『Dr.スランプ アラレちゃん』のパロディも『ドラえもん』のなかで披露しています。「まんがつづき」(昭和57年)という話で『Drストップ アバレちゃん』という作中作を登場させているのです。その『Drストップ アバレちゃん』の作者を、鳥山明先生をもじって「島山あらら」としているところも洒落ています(笑)ほかに、「キャラクター商品注文機」(昭和57年)にも「アラレちゃん」をもじった「アサレちゃん」が出てきます。


 F先生は『ドラえもん』ブーム(あるいは藤子アニメブーム)の強大なライバル的作品をリアルタイムでパロディ化することで、それらのライバル的作品を意識しつつ、ある意味評価していたのです。


 ここで『キン肉マン』の話題に戻り、藤子マンガとの関連について一つトピックを取り上げます。
キン肉マン』には主人公のキン肉マンのライバルキャラとしてテリーマンが登場します。このテリーマンのモデルは、名前からも推察できるように、プロレスラーのテリー・ファンクなのですが、じつは『オバケのQ太郎』のドロンパもモデルの一端を担っているのです。ゆでたまご先生は、テリーマンのモデルについてこう述べています。

キン肉マンのライバルを誕生させようということになったんですよ。主人公のライバルというのは、マンガの基本ですよね。藤子不二雄先生の作品でもジャイアンとかドロンパとか。ドロンパなんですよ、テリーマンは。Q太郎が日本のオバケでドロンパアメリカのオバケという設定が好きで。だから、キン肉マンは日本の超人だから、アメリカの超人にしようと。そして当時、ぼく達の間でアメリカ人というとプロレスラーの“テリーファンク”だったんですよね(笑)
(FUTABASYA好奇心ブック50『二番手英雄伝 No.2キャラクター伝説』双葉社、1999年)

 この発言が示しているように、テリーマンアメリカ人であることやその性格的傾向の元にドロンパの存在があったわけです。
 藤子ファン的には、そういう目線でテリーマンを見ると、このキャラにいっそうの愛着がわくのではないかと思います^^




●12日(金)「ビッグコミックオリジナル」11月増刊号が発売されました。『愛…しりそめし頃に…』は、夢の96「飲んで さわいで」です。
 見開きトビラに描かれた、護国寺の建物と後ろ姿の満賀が目に迫ってきました。初期のA作品・F作品がいろいろと紹介されていて楽しいです。