前エントリで、先月26日に手塚治虫記念館を訪れたことを書きました。
その手塚治虫記念館では、第57回企画展「鉄腕アトムからマジンガーZへ」が開催中でした。『デビルマン』のラストシーンの原画に大興奮! 永井豪先生が茶目っ気たっぷりに描かれた直筆アトムと直筆「手塚治虫」サインも面白かった!
原画などは撮影禁止でしたが、企画展スペースの一画に記念撮影コーナーが設けられていました。
マジンガーZのてのひらに載っている設定です(笑)
手塚治虫記念館のショップでこんな品が売っていました。
開明墨汁とタチカワのペン先です。 市販品と同様の品で、そこに記念館のシールがただ貼ってあるだけですが、それが逆に洒落ているなと感じて購入ました。マンガを描く方は、これを使うとマンガがうまくなれるかも…。
これはピノコのマグカップ。アッチョンブリケ!
せっかく宝塚へ来たのだからと、宝塚の手塚治虫先生ゆかりの地に足を運んでみました。あまり時間がなかったので行けたの場所は少しだけでしたが、感動の大きさは大変なものでした。
まずは宝塚の旧手塚治虫邸跡へ!
宝塚の手塚邸といえば、『まんが道』立志編は、満賀道雄と才野茂が宝塚の手塚邸を訪れる場面から始まります(あすなろ編は、同様の場面で終わります)。私はあすなろ編よりも先に少年画報社のヒットコミックスで立志編を読んでいるので、個人的な『まんが道』初体験のはこの場面だったのです。
国鉄宝塚駅を降りた満賀と才野は、駅前の交番で道を尋ね、手塚邸へ歩きます。
これは現在のJR宝塚駅。
この坂道を上っていった先を右に折れると手塚邸跡地にたどり着きます。
手塚邸の前に到着した満賀と才野。ジャンケンで負けた才野がおそるおそる手塚邸の玄関を開けると「ガラガラガラ」「ピッシャーン」と思わぬ音が鳴り、ビビった2人はその場から逃走します。それに気づいた手塚先生のお母様が優しく2人を出迎えてくれて、無事手塚家へ入れたわけですが、応接室で手塚先生を待つ間のドキドキ感は尋常ではありません。2人の心臓は、緊張のあまり砕けそうな状態。
そうして扉がガチャと開き、手塚先生が姿を現します。2人が初めて見た実物の手塚先生は、全身が黄金のような輝きを放ち、その背後には遥かなる星雲が広がっていました。神々しいまでの荘厳さです。私はこのシーンによって、「手塚治虫=神」というイメージをインプリンティングされたような気がするのです。
現在の手塚邸跡地はこんな感じになっています。
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建物などは完全に建て替えられていますが、この大きなクスノキは当時から残っています。手塚先生の短編マンガ『新・聊斎志異 女郎蜘蛛』には、このクスノキが切られずに済んだ秘密が描かれています(フィクションですが・笑)。
クスノキのおかけで、ここに手塚邸があったんだ!という実感がわきやすいです。クスノキに感謝です。
手塚邸跡地からもう少し上っていくと「蛇神社」があります。手塚先生の短編『モンモン山が泣いてるよ』の舞台となったスポットです。
蛇神社の境内には、こんなイチョウの大木が生えています。
巳年になって蛇神社を訪れることができるなんて、なんだか縁起がよい気分です(笑)
この御殿山界隈には他にも手塚先生ゆかりの地があるのですが、今回は時間の関係で行くのをあきらめました。
宝塚駅方面に戻り、そこから手塚治虫記念館に向かって歩くと宝塚歌劇の大劇場が見えます。
ここも手塚先生ゆかりの地の一つですね。
手塚先生の宝塚歌劇体験は、先生ご自身がエッセイなどで語っていますし、『リボンの騎士』をはじめいろいろな手塚作品に宝塚歌劇の影響が見られます。
手塚先生のお母様が熱狂的な宝塚ファンだったため、手塚先生は物心ついた頃から宝塚歌劇に触れていました。宝塚の手塚邸の隣や近所には宝塚歌劇のスターが住んでおり、宝塚音楽学校の入学期ともなると新入生たちが大勢手塚家の玄関先の通りすぎて隣家へ挨拶に訪れていたそうです。
また、プロ漫画家デビューして間もない手塚先生は、宝塚歌劇の嘱託漫画家として機関誌にインタビューや舞台稽古のルポなどを載せていました。