赤塚不二夫先生の自叙伝

 先日、赤塚不二夫先生の『ぼくの自叙伝 笑わずに生きるなんて』(海竜社)を古書で購入しました。
 
 この本の文庫版を持っているはずなのですが、どこにしまったか分からない状態ですし、今回見つけた本は、手塚治虫先生の書いた推薦オビが付いているうえ、古書価格400円(定価980円)と手ごろだったため購入したのです。
 で、本を開けてみたら、赤塚先生の献呈署名が書かれていました! 
 
 とても得した気分です。
 献呈先は伏せておきますが、そこに書かれたお名前がある劇画家さんと同姓同名なのです。もしかすると、この本は赤塚先生からその劇画家さんに贈られたものかもしれません。
 赤塚先生の自叙伝ですから、もちろんトキワ荘時代やスタジオ・ゼロ時代の話も出てきます。当然ながら藤子先生の名前も登場します。


 それにしても、赤塚先生は活字本による自叙伝の多い漫画家だなあと思います。
 赤塚先生ご自身がペンを取って文章を書く場合もありましたし(例:『これでいいのだ』など)、代筆や口述筆記などの記述法も多かったようですが、赤塚先生がじかに書いた本じゃないとしても「フジオ・プロのメンバー全員が赤塚不二夫である」という意識のもとに書かれていたため、一般的なゴースト本とは毛色が違っていると思います。
 ともあれ、そんな赤塚先生の自叙伝、私が今手元に用意できるだけでもこれだけあります。
 
 いま紹介したのは“自叙伝”ですが、それ以外にも赤塚先生名義の活字本はいっぱい出ています。そうした自叙伝以外の赤塚名義活字本で私が個人的に気に入っているのは、これらの本です。
 
 
 ・『赤塚不二夫の「これでいいのだ!!」人生相談』(集英社、1995年)
 赤塚先生が「週刊プレイボーイ」に連載していた人生相談の記事を中心に加筆修正した本です。読者のさまざまな相談に答える赤塚先生の言葉に、先生の人生観があふれていて面白いです。
「男が仕事をする場合には“仮想敵国”が必要で、「あいつだけは負けたくない」ってライバル意識燃やして、それをバネにいいものを作る。オレの仮想敵国は藤子不二雄
 というコメントもあります。「仮想敵国」という物々しい語を用いていますが、(藤子不二雄)とは兄弟みたいなものだしお互いに認め合ったうえでのことだ、と赤塚先生は断わっています。藤子不二雄赤塚不二夫の違いをカメラマンの篠山紀信アラーキーの違いに喩えているところも興味深いです。


・『バカは死んでもバカなのだ -赤塚不二夫対談集-』(毎日新聞社、2001年)
 各界の人物との対談が24編収録されています。「サンデー毎日」に連載した記事を大幅に改稿したもの。むろん当時赤塚先生はご存命だったわけですが、この対談は、赤塚先生が亡くなって弔問に訪れた人々とお話する…という設定になっています。
 本書ラストの対談相手は藤子不二雄A先生です。この対談は焼酎を飲みながら行なわれ、赤塚先生は終盤になって眠ってしまいます。「眠くなったよ」と言う赤塚先生に対し藤子A先生は「寝れば。僕はおたくの分もしゃべるから。「赤塚」とか入れ替えておいて。少し寝なさい」と答えています。このやりとりがこの対談のなかで最も印象的でした。対談中に眠ってしまう赤塚先生と、それを鷹揚に受け入れて赤塚先生の代理までつとめてしまおうとするA先生、ご両人とも見事にチャーミングです。


・『これでいいのだ。-赤塚不二夫対談集-』(メディアファクトリー、2000年)
 立川談志タモリ北野武松本人志柳美里など対談相手が興味を刺激する人物ばかり。私から見て“夢の顔合わせ”と思える対談の詰まった一冊です。
あとがきでは、以下のように藤子・F・不二雄先生への感謝の思いが書かれています。
「松本さんにも話したけど、手塚治虫先生も石ノ森章太郎藤子・F・不二雄も、みんな六十で死んでんだよ。トキワ荘の頃、神様・手塚に憧れてひたすら漫画描いてた連中がさ、減っちゃってさ……F、Fなんて言わないんだよ、藤子って言えばいいんだけど、あいつが俺にいろんなことを教えてくれた。俺が、学歴も何もないのに漫画の勉強ができたのは、やっぱり藤子のおかげなんだよ。映画の話とかさ、音楽の話とか文学の話とかさ、教えてくれたんだよ」
 赤塚先生は今ごろ天国でまた藤子F先生と会って、映画や音楽や文学の話を楽しんでおられるんじゃないでしょうか。