『愛…しりそめし頃に…』最終回を迎えて

 本日(12日・金)に発売された「ビッグコミックオリジナル」5月増刊号にて、藤子不二雄A先生の自伝的マンガ『愛…しりそめし頃に…』の連載が最終回を迎えました。
 
『愛…しりそめし頃に…』の第1話が発表されてから24年、前作にあたる『まんが道』の時代も含めると、足かけ43年の長期にわたって描かれた大河マンガが幕を閉じたことになります。


まんが道』シリーズは、これを“人生の聖典”と受けとめる人も出てくるほど、多くの読者に深い精神的影響を及ぼし続ける作品です。『まんが道』を読んで漫画家になったとかクリエイターを目指したという人の話をよく聞きますし、クリエイター以外でも『まんが道』の少なからぬ影響のもとで何事かを行なってきたという人はかなりいるでしょう。
 そんな巨大で偉大な作品が最終回を迎えたのですから、一つの時代が終わった…という感慨すらおぼえます。


『愛…しりそめし頃に…』連載終了の一報を知ったのは2か月前のことでした。今はそのときほど大きなショックや痛切な感情は起こりませんが、現実にこうして最終回を迎えたことで、「ああ、本当に終わってしまった…」「ついにこのときが来てしまった…」という寂しさの実感が濃くなったような気はします。そして「マンガ史の歴史的瞬間に立ち合っているんだ!」というある種の感銘も同時におぼえます。


まんが道』『愛…しりそめし頃に…』の連載期間である43年…、そのあいだ休みなく連載が続いていたわけではありません。掲載誌を変えながら、連載されていない期間もありながら断続的に発表された43年間でした。
 ここで、同作の連載史を大まかに記してみます。

●1970年〜72年:『まんが道』あすなろ編(「少年チャンピオン」連載、連載時は『チャンピオンマンガ科』の1コーナーでタイトル表記は『マンガ道』だった)
●1977年〜82年:『まんが道』立志編・青雲編(「週刊少年キング」連載、連載時は立志編・青雲編・青春編・奔流編・再生編の5編に分かれていたが、単行本収録時に立志編以外の4編は青雲編として一括された)
●1986年:『コロコロコミックまんが道』(「コロコロコミック」読切、初出時は『まんが道スペシャル』)
●1986年〜88年:『まんが道』春雷編(「藤子不二雄ランド」連載、初出時は『第2部まんが道』春雷編)
●1989年/90年:『愛…しりそめし頃に…』(「ビッグコミックオリジナル増刊」読切×2、初出時は『まんが道スペシャル 愛…しりそめし頃に…』)
●1995年〜2013年:『愛…しりそめし頃に…』(「ビッグコミックオリジナル増刊」連載)

 私が『まんが道』を初めて読んだのは、小学校高学年のときでした。当時「週刊少年キング」で連載中だった立志編・青雲編が単行本化されたものを読みました(単行本のレーベルは「ヒットコミックス」)。
 藤子両先生の分身的存在である満賀道雄才野茂がまだ学生だった頃や社会人になったばかりの頃のエピソードを、自分が社会に出る前の段階で初読できたのは、いま思うと非常に貴重な体験でした。劇中の満賀と才野の年齢は私より少しお兄さんでしたが、子どもから大人になるとは、学生から社会人になるとはどんなことなのかを、物語に夢中になりながら学べた気がします。将来の夢を持つことの大切さ、進路を決める難しさ、社会の厳しさ、出会いの重要さ、努力することの尊さ、挫折の乗り越え方の大事さ……、そうしたことを社会人になる前に教えてもらったような気がするのです。
 満賀と才野の友情にも心打たれました。「おれとおまえはまんがだけの友だちじゃないはずだ!」というセリフには、心底しびれました。霧野涼子さんのキスシーンを目撃して衝撃を受けた満賀の「おれの恋人はまんがや!!」も感動的でした。これらのセリフによって、そんな掛け替えのない親友がいること、これこそが自分の恋人だと言える対象があることの素晴らしさを胸に刻みつけられました。
 2人が東京へ出たあとの青春の日々も含め、『まんが道』は私にとってまさに最高の“ビルドゥングスロマン”体験だったのです。
 満賀と才野の歩んできた道のりから学んだことのごく一部でも自分の実人生に活かせているかどうかは、はなはだ疑問ですが、この社会のなかで私がどうにか息をしていられることに感謝したいです。


 藤子ファンとしては、藤子先生のヒストリーを知ることができたり、初期の藤子作品を読めたりする喜びも大きかったです。手塚治虫先生の登場で幕を開け力強く前進し始めた戦後マンガ…、その黎明期の様子をリアルタッチの描写で見られるのもありがたいことでした。あとになって、『まんが道』で描かれていることは相当虚構が交じっていると知り、それはそれで驚きましたが、大枠では史実を踏まえているし、登場人物も実在の人が多く、やはりこれは藤子不二雄A先生による堂々たる自伝的マンガなのだと思うのです。史実を再構成し脚色した自伝作品、と言いましょうか。


 私は読む順序が逆になりましたが、あすなろ編は、立志編・青雲編より前の時代のエピソードが描かれています。コンプレックスに悩む満賀の姿に自分を重ね合わせながら、強く感情移入して読んだのを記憶しています。
 春雷編や『愛…しりそめし頃に…』になると、初出で連載を追うことができました。春雷編連載時は、NHK銀河テレビ小説の枠で『まんが道』がドラマ化され、世間での『まんが道』の認知度が高まりを見せました。私の心も極めて熱かったです。あの頃は今以上に藤子マンガの狂信者でした(笑)


『愛しり』は、「満賀道雄の青春」という副題がつき、満賀道雄才野茂ビルドゥングスロマンから、マンガ以外の遊びや恋なども含め満賀の青春の日々を中心に描くようになりました。
 1989年と90年に1回ずつ読切が描かれたあと、間をおいて95年から連載がスタート。およそ2カ月に1度というゆっくりとしたペースでの連載でしたが、次はどんな話だろうと「ビッグコミックオリジナル増刊」の発売日が楽しみでした。
『愛しり』は、トキワ荘時代のことをずっと描き続けていますから、作中の満賀道雄才野茂たちはずっと20代のままです。『まんが道』を読み始めた時分は彼らより歳下だった私も、1990年代のうちに彼らの年齢を追い越し、その後は毎年彼らの年齢を引き離していく…ということになりました(笑) 私が30代、40代になっても『愛しり』のなかの時間はトキワ荘時代にとどまったまま…。そんな、決して終わらない青春時代に無上の心地よさや安心感をおぼえたりしました。そして、A先生のトキワ荘時代への思いの深さ、愛着の強さに感銘を受けたりもしました。藤子両先生がトキワ荘を出たあとの時代の出来事までがトキワ荘時代のこととして描かれることもしばしばあり、ファンとしてはちょっと面食らい戸惑いながらも、A先生の「トキワ荘の時代が懐かしい」「この時代に戻ってみたい」「トキワ荘にずっととどまっていたい」という思いがひしひしと伝わってくるようでした。


 そんな『愛…しりそめし頃に…』がついに終幕です。いつまでも続くトキワ荘時代、決して終わらない青春時代にピリオドが打たれたのです。

 最終回は「夢の99 あたらしい出発!」。具体的な内容には触れませんが、サブタイトルのとおり、未来への大きな夢と希望を感じさせる最終回でした。檜(ひのき)を目指して歩んできた翌檜(あすなろ)が、まだ檜にはなれなくても、着実に檜に近づいてきている…そんな希望が見える終わり方だったのです。
「少年画報」版『怪物くん』の最終回で行われた斬新な試みがここでもなされており、『怪物くん』最終回の感動とオーバーラップしてますます感慨が深まりました。
 才野がカメラのシャッター押しをお願いするい相手がなんとあの男! 感動のなかにA先生のサービス精神が見られて、ほほえましい気持ちになりました。
『愛…しりそめし頃に…』は毎話の最終コマに詩が挿入されるのが恒例でした。いつもはA先生のオリジナル詩でしたが、最終回のラストに挿入されたのはやはり『まんが道』の大テーマとも言えるあのフレーズ。やっぱりこれですね!


 A先生が「ライフワーク」とまでおっしゃった『まんが道』『愛…しりそめし頃に…』…。その終わりを今こうして現実に目の当たりにして、感極まる思いです。


 藤子不二雄A先生、長いあいだお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
 今後のご健康とご健筆をお祈りいたします。



●追記
『愛…しりそめし頃に…』の単行本第12集が6月下旬発売される、と告知されています。この第12集に最終回も収録されるのでしょう。この単行本が出ることによって“『愛…しりそめし頃に…』完全完結”との思いが自分のなかで揺るぎなく確定的なものになりそうです。


●雑誌記事情報
「an・an」4月17日号に、辻村深月さんと羽海野チカさんの対談が載っています。大好きな小説家と大好きな漫画家の対談!!!とあって購入したのですが、星野スミレに関連して『パーマン』『ドラえもん』の話も出てくるので藤子関連の記事にもなっています。