今回は、氷見における藤子不二雄A先生ゆかりの地のなかでも文字通りの“聖地”である光禅寺をレポートします。
光禅寺は、明峰素哲禅師が1326年(嘉暦元年)に創建した曹洞宗の古刹です。現在はA先生の生家としても有名ですね。A先生の本名は「安孫子素雄」といいますが、名前のなかの「素」は明峰素哲禅師から一文字もらったものです。
1944年6月、光禅寺の第49代住職であったお父様が急死し、当時小学5年生だったA先生は住職を継ぐにはまだ幼いということで、曹洞宗大本山・總持寺から新しい住職が来ることになりました。
お父様の葬式の翌日に光禅寺を出ることになったA先生の一家は親戚を頼って高岡へ引っ越し、転校先の定塚小学校でA先生はF先生と運命を出会いを果たしたのです。
光禅寺に到着! 光禅寺は1938年の氷見大火で全焼したため、ここにある建造物は皆その後再建されたものです。なかでもこの山門は新しく、2009年に再建されました。(写真左側の鉄筋コンクリートの建物は氷見市役所ですが、大火の前はここも光禅寺の敷地だったそうです)
山門をくぐった正面に、藤子不二雄A作品4大主人公の石像が並んでいます。石造りで下半身がどっしりとしており、なかなかの重量感です。顔つきやスタイルに独自のデフォルメがなされています。
建物のなかに入れていただくと、まず目に飛び込んでくるのがこれです。
ド迫力の喪黒達磨! この絵は衝立になっていて、その裏面にもA先生の直筆画が描かれています。
喪黒達磨の裏面は野仏。野仏のひとつひとつの表情を眺めていると心が和んできます。
この衝立絵は、たしか2001年ごろに完成したものだったと思います。光禅寺がA先生に絵を依頼してからずいぶん時間がかかったとのこと。A先生が忙しかったこともありましょうが、それだけ魂のこもった作品ということです。
「南無帰依佛」の掛け軸。リアルタッチの歌舞伎風ハットリくんが描かれています。
光禅寺の上空を忍法ムササビの術で滑空するハットリくんたち。絵の輪郭が扇形なところに趣を感じます。
維摩(釈迦の弟子とされている人物)の扮装をしたオバQの色紙。現在光禅寺に展示してあるA先生直筆絵のなかで最も古い作品です。先代のご住職が、昔このお寺には維摩の像があったとA先生に話したことがきっかけでA先生が描いてくださったのだそうです。
奥のほうには、光禅寺のA先生関連品の最高峰といえるマンガ史上の宝物が置いてあります。
トキワ荘14号室で手塚治虫先生が愛用し、部屋を出るさい藤子先生に譲った机です。
この机の由来が、A先生ご自身の文字で説明されています。
私はこの机を観るのが数度めですが、そのたびに、トキワ荘で手塚先生と藤子先生が使った机だなんてどれほどすごいお宝であることだろう!と感銘を新たにします。「トキワ荘」「手塚治虫」「藤子不二雄」という偉大なる存在のオーラがこの机から発散されているようです。「日本マンガ隆盛の源泉がここに現存しているんだ!」と叫びたくなるほど、途方もなくありがたい気持ちになります。
A先生人形が執筆中なのは『忍者ハットリくん』!
こうした補修の痕跡も、先生がたがこの机を使い込んだ証しのようで、じつにありがたく感じられます。
A先生人形が机に向かう後ろ姿は、『まんが道』の劇中で「カリカリカリカリ」とペンの音を立てながら机に向かう満賀道雄・才野茂の後ろ姿を彷彿とさせ、胸が熱くなります。
恐れ多くも、A先生人形の隣に座って、伝説の机の前で記念撮影!
(氷見・高岡の旅(その6)に続く)
http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20130720