「漫画少年」とトキワ荘の時代 〜マンガが漫画だった頃

 8月3日(土)から9月1日(日)まで江東区森下文化センターで『「漫画少年」とトキワ荘の時代 〜マンガが漫画だった頃』が開催されました。
 
 あの幻の、伝説の、偉大なる少年雑誌漫画少年」が創刊号から休刊号まで全冊そろって展示!ということで、ぜひその光景を拝んでおきたいと思いました。森下文化センターの野呂館長や、この展覧会のアートディレクション・チラシ作成を担当したカワグチさんからお誘いを受けたことも手伝って、最終日の9月1日に駆け込み観覧してきました。8月中に行けなくてやきもきしていただけに、滑り込みで間に合って本当によかったです。「漫画少年」全101冊が同じ空間に一堂に会した光景はまさに圧巻! 驚嘆! 陶酔!
 


 私が「漫画少年」の存在を初めて認識したのは、藤子不二雄A先生の『まんが道』を読んで、でした。(ほんとうに『まんが道』からはいろいろなことを教わったなあ…)
まんが道』のなかで「漫画少年」はこんなふうに紹介されています。

これは、幻の雑誌といわれる、「漫画少年」である!
漫画少年」は、昭和23年から昭和30年まで発行された月刊少年誌で、今、もし全巻そろうと古書市では60万円とも、80万円ともいわれる!
 (略)
満賀道雄才野茂が、「漫画少年」を毎月とるのには、ふたつの大きな目的があった!
ひとつは、もちろん手塚先生の連載漫画、『ジャングル大帝』を見ること!
だがもうひとつは、「漫画少年」名物の読者まんがの発表欄を見ることだった!
 (略)
ふたりは、毎月この「漫画少年」の読者漫画募集に応募していた!
だから、その入選発表の欄をひらくたびに一喜一憂するのだった!

 これは『まんが道』立志編「漫画少年」の回のナレーションです。このくだりを読んで私は「漫画少年」という雑誌の存在を心に刻み、その貴重さ、素晴らしさを感じとったのでした。
 そんな素晴らしき「漫画少年」がすべて揃っている稀有な現場に立ちあうことができて、ほんとうにほんとうに感無量です。


漫画少年」全冊がただ並べてあるだけでも、それはもう充分に一つのイベントとして成立する内実があり、博物的な意義のある仕事だと思うのですが、同展では「漫画少年」自体に加え、「漫画少年」ゆかりの漫画家に関するさまざまな品が展示されており、無料の展覧会としては異例とも感じられる熱量と充実度でした。(展示品は、トキワ荘通い組だった永田竹丸先生の所蔵品が中心)
漫画少年」を生んだ加藤謙一さんの日記や、投稿欄に入選すると贈られた記念メダル(『まんが道』にも出てきますね!)など一級品のお宝資料が所狭しと並んでいます。
 1冊の「漫画少年」を自由に読めるコーナーも設けてありました。「漫画少年」を実際に手に取ってページを開けるなんて、なんと気前のよいサービスであることでしょう! これだけも、訪れた人には貴重な体験になると思います。


 今回の展覧会への最強最大の協力者でいらっしゃる永田竹丸先生が描いた『トキワ荘物語 漫画少年合作の記』の生原稿を全ページ読めたのもよかった! 永田先生の丁寧でやわらかな画風に魅了されました。
 永田先生のお仕事を紹介するコーナーには、先生のアシスタント出身者として、たちいりハルコ先生と遊人先生のコミックスが置かれていました。たちいり先生はわかるけれど、遊人先生の作風を思うと、永田先生のアシスタントだったのは意外な気がします。


 当ブログは藤子ファンブログなので、藤子関連の展示物にしぼって注目してみても、レアな展示物がいくつもあって、目を奪われてばかりでした。
 最も凄いと感じたのは、F先生が「漫画少年」に描いた小品『新アラビアンナイト』(1954年)とクイズのカットの生原稿です。F先生の漫画家生活最初期のペンタッチを生原稿で堪能できる幸せ!
 F先生による21エモン&モンガーの直筆色紙も展示してありました。キャラデザインが明らかに連載スタート時のものでした。それもそのはず、色紙には日付が1967年12月23日と記されています。『21エモン』の連載が始まったのが「週刊少年サンデー」1968年1月1日号からですから、この色紙は、連載第1回めと程近い時期に描かれたのです。
21エモン』の直筆色紙って珍しいなあ…と感嘆しましたが、その隣に展示されたA先生による仮面太郎の直筆色紙もまた珍しいものでした。仮面太郎が怪井バケ太とエビス目先生の顔(お面?)を持つ絵でした。仮面太郎の色紙なんて初めて見た気がします。おそらく、1969年頃に描かれたものでしょう。
 ドラえもんパーマンハットリくんが、田川水泡先生ののらくろを胴上げしている直筆色紙もありました。F先生・A先生の合作色紙!というところが泣けます。胴上げされているのらくろを描いたのはF先生かA先生のどちらだろう?という話になって、藤子ファン仲間のM氏と「これはF先生のタッチに見える」ということで意見が一致しました。
 新漫画党の会報「ながれ」には、藤本弘名義の「貧漫画党行状記」、安孫子素雄名義の「小説 感傷病患者」という文章が掲載されていました。
 藤子先生が永田先生に宛てた私信ハガキを見ると、藤子先生が上京して最初に住んだ(下宿した)両国のお宅の住所が書かれていました。この展覧会の会場からとても近いところに、上京したてホヤホヤの藤子先生がお住まいになっていたんだなあ、と思うと、実に感慨深いです。


 東京児童漫画会が1958年に池袋三越で開催した漫画イベントを紹介する写真にも興味を惹かれました。こんなイベントが開催されていた事実を初めて知りましたし、数々の漫画家さんが参加するなかA先生のお姿が写り込んでいるところにも目が留まりました。



 なんだか藤子関連の展示品ばかりを紹介してしまいましたが、とにかく私のツボをつきまくる魅力的な展覧会で、興奮を誘われずにはいられません。もっと近くに住んでいたら、何度も繰り返し足を運びたかった……そう強く思わせる内容でした。
 こうした素敵な展覧会を開催してくださった皆様にあらためて感謝いたします。



 ※情報
 4日(水)、藤子不二雄A先生のコミックエッセイ『PARマンの情熱的な日々』連載中の「ジャンプスクエア」10月号が発売されました。今号の『PARマン…』は、第69回「映画「あさひるばん」のロケ現場へ」。A先生らがゴルフ仲間で結成したイージー会のメンバーやまさき十三先生が映画監督デビューするということで、A先生が(呼ばれてもいないのに・笑)ロケ地へ応援にかけつけます!
 この回を読むと分かるのですが、藤子Aファンたる私が映画「あさひるばん」を観に行く理由ができました(笑)