講演会「ドラえもんから子どもたちを考える」

 5日(土)、早稲田大学で開催された講演会「ドラえもんから子どもたちを考える 【「子ども」と「大人」とは何だろう?】」を聴講しました。
 

■2014年度春学期早稲田大学教育・総合科学学術院教育会企画「ドラえもんから子どもたちを考える【「子ども」と「大人」とは何だろう?】」
 開催日:2014年7月5日(土)
 開催会場:早稲田大学早稲田キャンパス10号館109教室
 講師
 ・小林英造(アニメ脚本家・作家)
 ・徳山雅記ドラえもんルーム編集長)
 ・辻村深月(小説家)
 http://web.edu.waseda.ac.jp/school/modules/event/index.php?page=article&storyid=58

 
 ・早稲田大学の創設者・大隈重信銅像


 
 ・会場となった10号館109教室



 各講師が、『ドラえもん』とのかかわりや『ドラえもん』への思い、『ドラえもん』を通して考える子ども観などを語られました。休憩を挟みつつ4時間以上に及ぶ講演会でしたが、最後まで熱を保ちながら集中して聴くことができました。それほど興味深いお話が続いたのです。



 小林英造さん早稲田大学のご出身でアニメ『ドラえもん』の脚本を手掛けた方ですから、この講演会の講師として最適任者のひとりです。
 小林さんのお話のなかで印象的だったのは、「初めてつくったお話は小2のとき書いた『もうひとりのぼく』だった」というもの。原稿用紙1枚の分量ですが、少年がパソコンの世界へ入り込んでしまうお話で、それはF先生の作品と同様「日常の向こう側の異世界」を書いており、このときからF先生の影響を受けていたのだなあ、とあとになって気づいたとか。


 アニメ『ドラえもん』で小林さんが脚本を担当した7本の作品(2010〜11年)に関するお話も興味深かったです。7本のうち5本がアニメのオリジナルストーリーだったのですが、それらにも「りっぱなパパになるぞ!」「オンボロ旅館をたて直せ」「Yロウ作戦」などF先生が描かれた原作からの影響が見られるそうです。
「りっぱなパパになるぞ!」について小林さんは「『ドラえもん』の最終回でもいいんじゃないかと思える」とおっしゃっていました。私もこの話には思い入れが深く、当ブログでも熱を込めて語ったことがあります。
 http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20060429

『「大人」とは「自分が子どもであることを忘れた子どもである」』という小林さんの大人/子ども観も心に残りました。



 続いて、徳山雅記さんの講演です。徳山さんは、「ドラえ本」「ぼく、ドラえもん」「ドラえもん短歌」「藤子・F・不二雄大全集」などを手掛けられた方です。現在は「Fライフ」2号を制作中。
 徳山さんは『ドラえもん』が学年誌で連載された作品だからこそのいろいろな特徴を説かれました。「ドラえもんに耳がなく顔が丸いのは、学年誌の表紙に割り込みやすいから」とか「『ドラえもん』の読者層が幅広いのは、学年誌が男女雑誌だったから」といったお話です。「のび太が一人っ子なのも学年誌連載であることが関係している。学年誌におけるのび太は、「小学一年生」では小1、「小学六年生」では小6くらいの子どもとして描かれていた。そうやってのび太の学年を自在に移動させるには、兄弟がいないほうが都合がよかった」というお話も。
 あとで、言い足りなかったこととして「学年誌の特質として男女雑誌という他にそもそも娯楽も学習もごった煮のミーハーな総合誌という点があって、ドラえもんの「テーマの多様性」に彩りを与えている。あと季節感」ということも挙げておられました。
ドラえもん』が持つさまざまな特徴が学年誌という媒体の特質とひとつひとつ符合していって、『ドラえもん』が学年誌で連載されたことの意味が浮かび上がってくる展開は非常に刺激的で面白く、上質なミステリー(謎解き)を読んでいるような気分でした。これらはあくまでも徳山さん個人の説であって公式の話ではない点も強調されていました。



 辻村深月さんは、単独の講演ではなく、主催側の4名(早稲田の教育会やドラえもん研究会の方)からの質問に答えるという形式でした。
 藤子F先生や『ドラえもん』から受けた影響として、「希望を希望として提示できる/ベタを恐れない勇気」を得られたことを挙げられました。90〜00年代は絶望を描くことがスタイリッシュな時代だったが、その時代のなかでベタをベタとして描けることが辻村さんの武器になったとか。


 ミステリー界では「『ホームズ』は2度出会う」という話がある。『ドラえもん』は子どものころ読むとひたすら面白く、大人になって読み返すと「なんてよくできている物語だろう!」と感嘆する。『ドラえもん』も『ホームズ』と同様“2度出会う作品”である……。といったお話も。
ドラえもん』の「天の川鉄道の夜」は優れたミステリーである…という見解は、辻村さんの小説『凍りのくじら』でも言及されています。講演後、ワセダミステリクラブの方からも「天の川鉄道の夜」がいかにミステリーとしてフェアかを教えてもらいました。



 イベントのラストは、講師3名と主催側の3名によるパネルディスカッション。
ドラえもん』(をはじめとした藤子Fマンガ)における“学校の不在(学校が描かれるには描かれるが、そこが主要な舞台にはならず、学校や先生の存在感が希薄なこと)”が指摘されました。徳山さんは、「F先生が学校へ通うのが好きではなかったことと関係しているのではないか」「学校が(楽しい場所として)積極的に描かれないことが学校の苦手な子どもたちにとって“精神的アジール”になっているのではないか」と語り、辻村さんはそれを受けて「『ドラえもん』は学校の放課後…、時刻にして午後3時から6時あたりの出来事を繰り返し描いており、それは“終わらない放課後”のように感じられる」と述べました。そして、「学校へ行くのが嫌だった自分が『ドラえもん』を好きになった背景には、そういう要素(学校があまり描かれない。描かれたとしても嫌な場所として描かれること)もあったのだな、といま気づいた」というお話も。
 そんなふうに学校が嫌いだった辻村さんは、にもかかわらず教師になるための学部(教育学部)へ進学し、今もまたこうして学校に来ており(当日は早稲田大学で講演、前日は母校の中学校で講演)、そのことの不思議にも言及されました。
 徳山さんは、『ドラえもん』における学校の不在といっても、のび太がテストで0点を取る話など学校とのかかわりはちゃんと描かれており、『ドラえもん』はのび太のことを“ただ学校が嫌いな子ども”として描くのではなく、“学校でも今より少しはよくなろうとする存在”として描いている、とフォローされました。


 徳山さんのお話では「私はずっと人生やりなおし機に囚われていたが、子どもができて少ししてその囚われから解放された。人生をやりなおしたらもうこの子は生まれないかもしれないと思うと、人生やりなおし機は使えない」も胸に響きました。


 
 講演を終えられた辻村深月さんと! 久しぶりに辻村さんとお会いできただけで大感激でしたが、ご挨拶したら即座に「『怒り心党、おもしろかったです』とおっしゃってくださってますます感動しました。


 辻村さんは今年がデビュー10周年。5月に最新刊『盲目的な恋と友情』(新潮社)が刊行され、この後、8月に『ハケンアニメ!』(マガジンハウス)、10月に『家族シアター』(講談社)が発売予定です。そして、辻村さん原作の映画『太陽の坐る場所』が、10月から全国ロードショー!



 講演会の終了後、打ち上げ懇親会にも参加させていただきました!
 
 ・会場は、早稲田大学の大隈記念タワーの最上階。


 
 ・眺めが良かったです。


 辻村深月さんは山梨県のご出身。NHKのドラマ『花子とアン』で山梨の人々が驚いたとき「て!」と発するのですが、この「て!」は山梨で実際に使われているのでしょうか?と思わず尋ねてしまいました(^^
「おばあさんが使っていた」とのことです。



 すばらしい講師の方々によるすばらしいテーマの講演会を聴講できて、幸福感と充実感たっぷりの1日となりました。
 お誘いの声をかけてくださった早稲田大学ドラえもん研究会のIさん、ほんとうにありがとうございます!
 そして、当日お会いした皆様、ステキな時間をありがとうございました!