「オオカミ一家」

 ●ニホンオオカミ「日本固有種ではなかった」 岐阜大が遺伝子解析
 http://www.huffingtonpost.jp/2014/09/04/japanese-wolf_n_5763558.html


 明治38年奈良県で捕獲されたのを最後に絶滅した(とされる)ニホンオオカミが、日本固有種ではなくハイイロオオカミの亜種であることを示す研究結果が出た…
 というニュースです。

 DNA解析の結果、ニホンオオカミは世界に広く生息するハイイロオオカミと同じ種であることが明らかになり、ハイイロオオカミから12万〜13万年前に枝分かれした亜種とみられるのだとか。以前から「ニホンオオカミハイイロオオカミの亜種である」という説は有力視されていましたが、それが学術的に証明された、ということになります。


 ニホンオオカミといえば、ただちに思い出すのが『ドラえもん』の「オオカミ一家」です。

 藤子・F・不二雄先生のマンガを読んでいると、絶滅動物への憧憬や愛着を感じることがよくあります。その最たる事例が“恐竜”を題材にした作品たちでしょう。『ドラえもん』の「モアよドードーよ、永遠に」なども、F先生のそんな思いがつぶさに表現されています。
「オオカミ一家」も、そんな作品たちのひとつです。
「オオカミ一家」の場合、恐竜のようなはるか太古に絶滅した動物ではなく、近代まで我が国に生息していたニホンオオカミを題材しているのが特徴的です。


 私が人生の最初期に遭遇した“物語のなかのオオカミ”は、(ニホンオオカミではありませんが)「赤ずきんちゃん」や「三匹の子豚」に登場するオオカミだったと記憶しています。これらヨーロッパ生まれの童話・民話では、オオカミは悪くて怖い存在として描かれていました。それが、私のオオカミに対するイメージのスタート地点になりました。
「オオカミ一家」は、そうしたオオカミ=悪役という私の初期イメージに変革をもたらしてくれたお話です。オオカミは自然の生態系のなかで生きる野生動物の一種であり善悪で語れる存在ではない、というフェアな見方をもたらしてくれたのです。
 それに加え、オオカミは人間によって絶滅に追いやられた動物なのだ、大切な家族を持ったぬくもりのある生き物なのだ、とオオカミの立場へ思いを寄せる感情も得られました。

「オオカミ一家」によってオオカミに対する私の初期イメージに変革がもたらされたことは、私にとって思いのほか重要な出来事だったのかもしれません。


「オオカミ一家」は『ドラえもん』各話のなかでは比較的シリアスなお話ですが、結末は笑いで締められます。
 ニホンオオカミを捕まえてくる!と友達に約束したのび太は、もしできなかったら目でピーナッツを噛む、と約束します。しかし、結局ニホンオオカミを捕まえてくることはできませんでした。
 最後のひとコマで、のび太は「「目でピーナッツかみき」だしてよ」とドラえもんに無茶な要求をすることになります(笑)


 それと同じように、約束を破ったら罰として〇〇をする、という条件がバカバカしいほどに無茶だったのが「のび太の恐竜」における「鼻でスパゲッティたべてみせる」です。「のび太の恐竜」も「オオカミ一家」と同様に絶滅動物を題材にしており、そういう系統のお話でのび太の無茶な約束が描かれるのも興味深いところです。
 ピーナッツを噛むのも、鼻でスパゲッティを食べるのも、本来なら口でやるべき行為を顔の別の器官でやってやろうという発想です。
 鼻からスパゲッティを食べられる人は、現実にいそうな気がします(うどんを鼻からすする人ならテレビで見たことがあります)が、目でピーナッツを噛むというのはどうでしょう。上瞼と下瞼でピーナッツを挟める人はいるかもしれませんが、その上瞼と下瞼の圧力でピーナッツを噛み砕くのは不可能ではないでしょうか。(魔夜峰央先生の『パタリロ!』で“ 目でソラ豆を噛む”シーンがあった気がしますが・笑)

 上唇と下唇の機能を上瞼と下瞼に代行させよう、という「目でピーナッツを噛む」なる発想は、唇と瞼の動きが似てないこともないだけによけいバカバカしく感じられて面白いです。それと比べると、「鼻でスパゲッティを食べる」のほうが若干常識的な感性に思えてきます(笑)いや、「鼻でスパゲッティ…」も充分におかしいのですが…。



 私も、必ず守れそうな約束をするときには、もし約束を守れなかったら「目でピーナッツを噛んでやる」「鼻でスパゲッティを食べてみせる」と宣言したい、
 なんて思ったことがありますが、いまだ実行には至っていません(笑)たぶん今後も、まじめな約束の場面では言わないでしょう。