謹賀新年

 あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いします。

 
 新年のご挨拶のため「ふくびんコンビ」(てんとう虫コミックス20巻)に登場してもらいました♪
 正月をお祝いするのですから福の神がいてくれるのはたいへん望ましいのですが、貧乏神までいるのはいかがなものか…と思わないでもありません。ですが、この両者はコンビで機能するものなので揃って登場してもらいました。
 ふくびんコンビを使うと、福の神がついた人に不運があったとたんその不運は貧乏神のついた人に移ります。そして、貧乏神のついた人に幸運があると、その幸運は福の神についた人に移ります。


 こうした、幸運と不運が入れかわるさまを見ると(すこし意味合いは違いますが)藤子不二雄A先生がお好きなことわざ「禍福はあざなえる縄のごとし」を思い出します。良いことと悪いことは表裏一体でかわるがわるにやってくる…といった意味のことわざですね。
 藤子A先生は『Aの人生』というエッセイ本で「禍福はあざなえる縄のごとし」を題材に10ページにわたって書いておられます。同書のあとがきにも「人生いいことばかりつづくことはないし、わるいことばかりつづくものでもない。わるいことがあったら、それは“いいことが起こる前ぶれ”だと思えばいい」と記しておいでです。
 

 
 そして、藤子・F・不二雄先生の『ドラえもん』「サイオー馬」(てんとう虫コミックス44巻)も同様に思い出します。「人間万事塞翁が馬」ということわざをアイデア元にしたひみつ道具(サイオー馬)が登場する話です。
人間万事塞翁が馬」も、「禍福はあざなえる縄のごとし」と類義のことわざですね。この話の中でドラえもんのび太に「いいこと悪いことがからみあっているんだ。気を落とさずまってれば、そのうちいいこともあるさ」と語っています。


 もちろん、良いことが続けばそれに越したことはありませんが、悪いことが起きたときでも「禍福はあざなえる縄のごとし」「人間万事塞翁が馬」と考えると、いくらか気持ちが軽くなったり、多少なりとも希望を持てたりして、前へ進めそうです。やはり故事ことわざには先人の知恵が濃縮されているなあと、ふくびんコンビをお正月の挨拶に起用したことで、あらためて思ったのでした。
 先人の知恵といえば、この「新年を祝う」というのもそうですね。惰性となった生活や習慣化した思考などを新年を節目にリフレッシュして、あらためてスタート地点に立ったような気分(錯覚)を抱くことができる。リアルな人生をそうやすやすとリセットできるわけじゃありませんが、多少なりともそういう気分にさせてくれるのが新年の効用だなと感じるのです。


 今年が皆様にとって佳い年になりますように♪