「ネンドロン」

 9日(金)放送のアニメ『ドラえもん』Aパートは「ネンドロン」の話でした。原作は初期ドラえもんのドタバタ感あふれる一編で、スネ夫のママが自分の顔を美しくしようとした結果盛大に顔面崩壊するコマが強烈なインパクトを残します。あの顔をアニメでも再現してくれてよかったです。
 ネンドロンは、どんな物でも粘土状に変えてしまうひみつ道具ドラえもんの体が細長くなったりペチャンコになったりするさまは、『トムとジェリー』を観ていたときの面白さを彷彿とさせました。


ドラえもん』には、「ネンドロン」のほかにも「水加工用ふりかけ」「材質変換機」「サンタイン」などなど、物体の質感が極度に変化するさまを描いた話がいくつもあります。この類の話は、何らかの物体が同一の物体であることを保持しながら別の物に変貌したかのように見える不思議さや滑稽さがじつに楽しいです。
 とくに「サンタイン」は、固体・液体・気体と変化する物質の性質(三態変化)をアイデアに使っていて好みの作品です。三態変化は理科で習う知識であるとともに、私たちの生活のなかでごく普通に見かけるマジックのような現象ですから、そこに空想をブレンドした本作に日常SFとしての『ドラえもん』の妙味を強く感じるのです。


「サンタイン」が科学(理科)的な魅力を感じさせる話だとすれば、「水加工用ふりかけ」は理屈抜きのアイデアが楽しい話です。水は、空気とともに、我々の生命維持に不可欠であり、生活のなかに当たり前に存在しており、毎日毎日お世話になっている物質です。身近にありすぎるがゆえに水のありようをあまり不思議に思わないのですが、「無色透明な液体」というその状態をまじまじと見つめると、その存在の不思議にとらわれる瞬間があります。
「哲学の祖」と言われるタレスは、「水」の一語を発することでそう評されるようになったのだそうです。タレスより後の時代の哲学者アリストテレスは、タレスが「水」と発したことについてこう解釈しています。すべての存在者の始まりであり、存在者が存在する原理であり、すべての存在者がそこへ消滅していくものこそが水である…と。水は哲学の始原であり、その哲学は、水をすべての存在の始まりであり終わりであると考えていたというのです。


 なんだか過剰な水語りになってきましたが(笑)、ともあれ、そんな水をスポンジみたいにフワフワにしたり、鉄のように固めたり、発砲スチロールのような質感に変えたりして、飴細工や粘土細工のごとく水細工をして楽しむ話が「水加工用ふりかけ」なのです。
 水でこしらえた布団ってどんな感触なんだろう?などと想像力を刺激されますし、その感触を確かめたい!!という欲求にも駆られます。