国家が国民に定年制を課す近未来

 9月17日(月)は敬老の日でした。それにちなんで『ドラえもん』の「おばあちゃんのおもいで」を再読しました。
 
 ランドセル姿ののび太をひと目見たい、というおばあちゃんの願いをのび太がかなえてあげるくだりを読んで、敬老の日に読むのにぴったりなおばあちゃん孝行シーンだな、とあらためて実感しました。敬老の日に読み返して本当によかったと思います。何度読んでも、いい話です。

 そんな、純粋に敬老精神を感じさせてくれる素敵な話を読んだあと、今度は、藤子・F・不二雄先生の異色短編『定年退食』を読み返しました。
 『定年退食』は、ある年齢以上に達した老人の面倒を一切見ないことを国家が制度化してしまう……、そんな近未来を描いた作品です。
 その作中で描かれた日本社会を見ると、国家が決めた制度が老人に厳しい、というだけでなく、国民が内面に抱く敬老精神じたいが稀薄化しています。若者カップルがベンチに座る老人に席を譲ってもらう(席を譲るよう要求する)くだりなんて、稀薄化した敬老精神を象徴するシーンです。国民レベルでの敬老精神の稀薄化が…、そういう社会的風潮の蔓延が、老人を見捨てる制度を国家が制定するに至る空気を作ってしまったのかもしれません。(ちなみに、藤子F先生の異色短編には、敬老精神の難しさ・一筋縄ではいかなさを鋭くあぶりだした『じじぬき』という作品もあります)


 『定年退食』では、人口増大・食糧事情の悪化などを理由に、73歳以上の老人に対する国家の保障(年金、食糧、医療など)がすべて打ち切られます。いってしまえば、特定の年齢に達した老人は国家から不要とされるのです。
 そんな『定年退食』と同様の理由(人口増大・食糧事情の悪化)を背景にしながら、もっと激烈なやり方で老人を排斥する国家の制度を描いた短編マンガがあります。
 永井豪先生の『赤いチャンチャンコ』です。
 『赤いチャンチャンコ』で描かれる国家は、こんな制度を設けています。
 還暦を迎えた国民に黒いチャンチャンコを贈ってお祝いし、そのチャンチャンコに火をつけて焼き殺す……。
 国民は60歳になると定年を迎え、国家から「焼殺」という方法で排除されるのです。焼殺を実行するのは、国から派遣された担当者ではありません。家族や近所の人々です。
 『定年退食』では、保障を打ち切るという方法でじわじわと老人を社会から排除していき、『赤いチャンチャンコ』では、焼き殺すという直接的な方法で老人を社会から消していくのです。


 マンガではありませんが、筒井康隆氏の短編小説『定年食』も同じモチーフを扱った作品です。豪先生の『赤いチャンチャンコ』と同様、定年を迎えた国民を“殺す”制度が描かれています。
 『定年食』の作中では、国民はどうやって殺されるのか……。
 定年退職を迎えると、家族に解体されて食べられてしまうのです。身内の食物にされてしまうのです。
 あまりに過激でグロくて残酷な、恐ろしい制度ですが、食糧難の世の中で社会的役割を終えて定年を迎えた人間が食物になるのですから、ドライに見れば合理的な制度でもあります。 
 いや、現実には絶対にあってはならないことですよ。でもディストピア小説のアイデアとしては腑に落ちるのです。
 こうなってはならない未来、このまま放っておいたらこうなってしまうネガティブな未来を想像し表現することで現実の社会に警笛を鳴らすのがディストピア小説の一つの機能ですから。
 そして、ある方からご教示いただいて思い出したのが、同じ筒井康隆氏の小説『銀齢の果て』です。老人の人口が増大したため、国は70歳以上の国民に殺し合いをさせて人工調節をはかることに……といったお話です。国が設けた制度は「老人相互処刑制度」といいます。“老人版バトル・ロワイアル”といった様相ですね。


 『定年退食』も『赤いチャンチャンコ』も『定年食』も『銀齢の果て』も、「人口増大・食糧難に陥った国家が国民に定年制を課し、定年を迎えた国民を何らかの方法で国家から排斥して人口調整をはかる」世界を描いている……という点で共通しています。古代から語り継がれる棄老伝説、それを題材にした民話「姥捨山」などがありますが、今回紹介したマンガや小説はその近未来版といえそうです。


 楳図かずお先生の『RÔjin』も“老人”を題材にした凄みのある短編マンガです。その作中では、どうやら老人が一般市民の目につくところにはいない社会になっているらしく、主人公の幼い少年は“ロウジン”という生き物を初めて見て、人間とは異種の怪物ではないか…と思ったりします。そんな序盤から、少年と老人、2人だけの異様に緊迫感みなぎる会話劇が展開されるのです。


 とまあ、上述した『定年退食』から『RÔjin』までの作品たちは敬老精神に素直に順ずるような内容ではなく、むしろ敬老精神の逆を行くかのような不穏な事態を描いた作品です。が、そういう作品に触れることで、敬老の意味、重み、尊さなどを再考・再認識できる……という側面もあるのではないでしょうか。


 この日読み返したマンガがもう一編あります。手塚治虫先生の『ブラック・ジャック』の「老人と木」です。老人の生きがいをテーマにしており、敬老の日に読み返すには素直にふさわしい作品かと思います。
 老人の生きがい…といえば、そのものズバリ「生きがい」というサブタイトルの話が藤子F先生の『エスパー魔美』のなかにあります。ほかに、「スズメのお宿」という話もまた老人を主題にした秀逸なエピソードです。


 というわけで、藤子F先生の作品の話題から始まったこの文章が藤子F作品の話題に戻ったところで幕を閉じたいと思います(笑)