大林宣彦監督の偲んで(2)

 今回は、前回の記事の続きです。

 

 ■「大林宣彦監督を偲んで(1)」

 https://koikesan.hatenablog.com/entry/2020/05/07/213923

 

 大林宣彦監督は、藤子・F・不二雄先生が「SF」を「すこしふしぎ」と言い表したことに対し、「すこし」というのはこの世で一番優しい言葉だと思う、と評していました。

 なぜ「すこし」が優しい言葉なのか。

 大林監督はこう書いています。

 

「すこし」、というのは、この世でいちばん、優しい言葉、だと思う。

だって、そうだろう。

もし、「さびしい」という感情に、「すこし」と付かなかったら、それは、絶望的な「孤独」である。

あるいは、「かなしい」という心に、「すこし」が寄り添えないなら、それは、救いようのない「不幸」。

「あやまち」への自覚が、「すこし」をなくしたら、もう、取り返しのつかない「悔恨」となる。

いやいや、「うれしい」という気持ちだって、もし「すこし」を忘れたら、燥(はしゃ)ぎ過ぎて、その悦びの本当の意味を、見失ってしまうだろう。

そのように、ぼくたちは、「すこし」の御蔭で、傷つかず、傲らず、自らの「幸福」を信じて、暮らしていくことができるのだ。

「すこし」とは真に大切な、人生の智恵の果実としての、言葉ではないだろうか。

(略)

だから藤子さんの「すこし」には、限りない「優しさ」が籠められているのであり、読み終わったぼくらは、誰もが「ありがとう」といいたくなるのだ。良質の「エンタテインメント」とは、こういう「おもてなし」のことである。

 

 (大林監督のこの言葉は、小学館コロコロ文庫『藤子・F・不二雄少年SF短編集1巻[未来ドロボウ]』(1996年、小学館)の巻末解説から引用しました)

 

 このように、大林監督は「すこし・ふしぎ」の「すこし」に思いを寄せて素敵な文章を書いてくださったわけですが、それで思い出したのが、辻村深月さんの小説『凍りのくじら』の主人公です。この主人公は、自分がかかわった人物のことを「すこし・○○」という語法で評価することを習性としています。相手の性質をとらえて、「すこし・フリー」「すこし・普通」「すこし・不安」といったふうに、いつも「すこし」をつけて心のなかで言い表しているのです。藤子F先生が「SF」のことを「すこし・ふしぎ」と呼んでいたことに影響を受けているわけです。

 

 そして、藤子F先生と大林監督といえば、こんな話もあります。

 F先生は大の映画好きで、LD(レーザーディスク)でたくさんの映画作品をコレクションされていました。そんな数々のLDをアシスタントさんによく貸し出していたそうです。

 むぎわらしんたろう先生の『ドラえもん物語 〜藤子・F・不二雄先生の背中〜』(小学館、2017年)に、F先生の手書きによるLDリストが掲載されています。これは、どの作品をアシスタントさんに貸し出したかチェックするためノートに記したリストで、映画のタイトルだけが羅列されています。

 そのリストを見ると、『さびしんぼ』と『ハウス』という映画名が見つかります。

 これは、前回の記事で紹介した『さびしんぼう』と、大林監督の劇場用映画デビュー作『HOUSE ハウス』(1977年)のことでしょう。F先生は大林監督の映画をよく観ていてお好きだったのだろうなあ、と推察できます。

 

 その『HOUSE ハウス』の影響でF先生が描いたのではないか、と思われるのが、『ドラえもん』の「人食いハウス」(てんとう虫コミックス14巻などに収録)という話です。

 人を食べる家、という発想などに『HOUSE ハウス』からの影響が見て取れるのです。

 大林監督の『HOUSE ハウス』は1977年7月30日公開、F先生の「人食いハウス」が発表されたのが「小学三年生」1977年8月号(おそらく1977年7月初頭に発売)ですから、この2作品はほぼ同じ時期に世に出たことになります。

 映画『HOUSE ハウス』の事前情報や宣伝などをご覧になったF先生は、その内容にインスパイアされて『HOUSE ハウス』公開と同じタイミングで発表できるよう「人食いハウス」を描かれたのではないか、と思ったりします。

(『HOUSE ハウス』と「人食いハウス」の関連性については、なべっかずさんから示唆を受けました。ありがとうございます。)

 

 と、ここまで書いたところで、大林監督の映画『異人たちとの夏』(1988年)を鑑賞しました。

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 離婚してマンションで一人暮らしををするシナリオライターの原田(風間杜夫)が、ある日をきっかけに不思議な体験をしていく物語です。

 原田は浅草の演芸場へ足を運びます。浅草は原田が12歳まですごした町です。彼は12歳のとき、両親を交通事故で亡くしたのですが、演芸場の客席の中に父親とそっくりな男性(片岡鶴太郎)を見つけます。その父親似の男性は、28年前、原田が12歳だった当時の父親とそっくりです。

 その男性がいきなり原田を家に来いと誘います。着いて行ってみると、男性は下町の路地裏に建つアパートの2階に住んでいました。そこには、原田の母親にそっくりの女性(秋吉久美子)もいました。

 その男性と女性は、原田の両親のそっくりさんではなく両親そのものだったのです。それも、28年前の姿のまま、アパートに暮らしているのです。

 

 原田は、28年前に失ったはずの両親と、40歳になって再会をはたし、期せずして3人での一家団欒を体験することになります。両親は30代のままの姿なので、息子のほうが年上という、じつに不思議な状況ですが、そのことに不自然さを感じさせないほど、あたかかくて人情味のある素敵な一家団欒の様子が描かれます。

 40歳の原田の心がだんだん素直になり子どもに戻っていく感じもよく出ています。

 そして、父と母のやさしさ、愛情の深さがたまりません。東京の下町の風景と人情がぬくもり豊かに伝わってきます。

 

 親子3人でちゃぶ台を囲んでビールを飲むシーンが好きです。両親は、息子が酒を飲める年齢に達する前に他界してしまったわけですが、それから28年経って、こういう不思議なかたちで親子3人で酒を酌み交わすことができたのです。それを思うと、なんともしみじみしてきます。単純に親子3人の楽しげな様子を見ているだけでも晴れやかな気分になれますし。

 父親とキャッチボールするシーンもいいですねえ。

 そして、原田が母親のアイスクリーム作りを手伝うシーンは妙に艶めかしかった!

 

 そんな、奇妙だけれどノスタルジックで人情味あふれる親子のエピソードがこの映画で描かれているわけですが、それに加え、原田と同じマンションに住む妖しい美女との色っぽいエピソードもあります。そちらは終盤どえらいことになる(ホラー展開になる)ので面食らいます。親子のシーンからにじみ出るあたたかな人情味と比べ、テイストの差にびっくりさせられます(笑)

 

 『異人たちとの夏』が公開された当時(1988年秋ごろ)、藤子不二雄Ⓐ先生が当時「コミックトム」で連載していたコミックエッセイ『パーマンの指定席』でこの映画をとりあげています。連載第69回でのことです。

 Ⓐ先生はそこでこう書いています。

 

大林宣彦監督は、いつものケレン味を抑えて、懐かしく哀しい幻想のドラマを描いている。主人公の風間杜夫も、父親役の片岡鶴太郎、母親役の秋吉久美子も素敵だ!もう還らないハズの過去がもどってきたことのうれしさと哀しさが漂う奇妙な味の映画として、日本映画ひさびさのヒットだ! 空疎な大作ではなくて、こんな粋な映画をもっと見たい!

 

 Ⓐ先生は浅草のすき焼き店のシーンで、涙をポロポロ流したそうです。このシーン、ほんと泣けるんですよ。

 食事の途中で父母の姿が消えていき、2人がそのとき使っていた箸がテーブルの上に残されます。その箸がアップで映されたとき、グッと胸に迫るものがありました。

 箸を主人公が持ち帰る行為も、映画のラストでの箸の使われ方も心にしみました。

 

 また、Ⓐ先生は、「そこ(註:亡くなったはずの父母が暮らす下町のアパート)へ行くと、中年の主人公は子供にかえり、父と母に甘えられるのだ!」と書いています。

 大人になって親に甘えられなくなった人物が、親あるいは親のような存在と不思議なかたちで遭遇し、幼子に戻ったかのようにその相手に甘えてしまう……といえば、F先生の『やすらぎの館』や『ドラえもん「パパもあまえんぼ」』が思い出されます。

 それと、Ⓐ先生の『笑ゥせぇるすまん「たのもしい顔」』も思い浮かびます。頼もしい顔をしているばかりに周りから頼られてばかりのサラリーマン男性が、ラスト、包容力に満ちた母のようなふくよかな女性にどっぷりと甘えることになります。どっぷり甘えるあまり、社会復帰できなさそうにも見えますが……。でもそれは、バッドエンドのようで、本人にはこのうえなく幸せな状態なのかもしれません。

 

  と、2回にわたって大林宣彦監督の作品(とそれに関連した藤子先生の話題)について書いてきました。

 

 最後に、

 

 大林監督のご冥福を心よりお祈りいたします。