愛しのブロントサウルス

 きのう(8月7日・金)から、ついに『のび太の新恐竜』の公開が始まりました。

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 本来は3月6日の公開予定だったのに、新型コロナウイルス感染拡大の影響で8月7日の公開へと延期されました。3月に公開するのは難しいけれど、夏ごろになればある程度コロナ禍もおさまっているだろう、ということで延期されたわけです。じっさい、新型コロナの陽性者数は減少していって、5月25日には国の緊急事態宣言が解除されました。

 ところが、です。この夏になって、ふたたび新型コロナの陽性者数が増えてきていて(重症者数や年齢などの内訳は前と異なりますが)、私の住む愛知県では独自の緊急事態宣言まで出されたくらいですから、8月7日に『のび太の新恐竜』が無事公開できるのか心配なところもありました。それだけに、現実に公開されてだいぶホッとしています。

 

 そんな、例年とは違う特異な映画ドラえもん公開日を迎える前日(8月6日)に、私は『愛しのブロントサウルス 最新科学で生まれ変わる恐竜たち』(白揚社、2015年発行)という本を読み始めました。

 恐竜を題材とした映画を観るにあたって、恐竜に関する最新の科学的知見を得よう!というわけです。(最新といっても2015年現在のものですが…)

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 (以下の文章は、『のび太の新恐竜』を観る前、主に8月6日に書いたものです)

 

『愛しのブロントサウルス』は、研究の進展・新発見・新学説によってそれまで信じられていた恐竜像が塗り替えられ、自分が子どものころから親しみ憧れていた恐竜たちのイメージが失われていくことへの郷愁のような心情が根底に流れています。まず、そこに共感をおぼえました。

「修正されたイメージは古いイメージとぶつかりあう」

「科学的発見は、僕らが知っている気でいたものと僕らが現在理解しているものとの激しいせめぎあいを生むのだ」

 といった記述で、著者は子どものころ親しんでいた大好きな恐竜たちのイメージが最新科学の提示する恐竜像によって損なわれていく事態を表現しています。

 

 そして、ブロントサウルスこそが「古生物学者が調査する実際の生物と大衆文化における巨獣たちのあいだの衝突を見事に象徴している」恐竜である、ということで、書名に大きく掲げているわけです。

 

 著者は子どものころからブロントサウルスへの思い入れが強く、だから“ブロントサウルスは本当はいなかった”というニュースに衝撃を受けたそうです。

 私も、その気持ちは(彼ほどの知識も情熱も濃度もありませんが)わかるところがあります。

 

 私が子どものころ、ブロントサウルスは恐竜図鑑などに普通に載っていました。いろいろな恐竜のなかでも、スター級の恐竜のひとつでした。

コロコロコミック」1980年1~3月号で発表された『大長編ドラえもん のび太の恐竜』にも、ブロントサウルスが大々的に登場していました。

 ブロントサウルスは、ほんとうに親しみ深くて有名で人気者の恐竜だったのです。

 

大長編ドラえもん のび太の恐竜』ではタイムマシンで恐竜が繁栄していた時代へ行きますが、その時代は白亜紀です。白亜紀約1億4500万年前から6600万年前の時代です。『のび太の恐竜』は1億年前が舞台でした。

 ところが、ブロントサウルスは、ジュラ紀後期 (約1億5200万~1億5000万年前)の恐竜です。1億年前にはもういなかったはずの恐竜なのです。

 F先生もそのあたりのことは認識されていたはずです。

 にもかかわらず、F先生は白亜紀の舞台にジュラ紀の恐竜であるブロントサウルスを堂々と登場させました。それほどまでに、F先生はブロントサウルスがお好きだったのでしょう。棲息していた時代が違うためじっさいにはありえなかったブロントサウルスとティラノサウルスの絡みを、F先生は『のび太の恐竜』の作中で実現させたのです。

 

 F先生が子どものころは恐竜の研究が進んでいなかったし、戦時下だったこともあって、恐竜に関する知識は非常に乏しいものでした。ですから、たまに手に入る恐竜情報の断片はとても貴重でした。そんな貴重な恐竜情報の断片のなかでも、特にF先生が気に入っていたのがブロントサウルスにまつわるものでした。

「化石の入門書の色刷り口絵、ブロントソーラス(今で言うアパトサウルス)が湖水から長い首をもち上げている場面がぼくのお気に入りでした」

 と、F先生はそんなことを述べておられました。F先生が子どものころご覧になったその化石入門書では、ブロントサウルスはブロントソーラスと表記されていたようですね。(F先生のこの言葉は、てんとう虫コミックスアニメ版『映画ドラミちゃん ハロー恐竜キッズ‼』(小学館、1993年)より引用しました)

 

 『愛しのブロントサウルス』の著書とF先生がもし会っていれば、互いに幼少期からのブロントサウルス愛を語り合ってずいぶん盛り上がったことでしょう(笑)

 

  じつをいえば、古生物学者のあいだでは、ブロントサウルスの名はとっく消えていました。1903年のことです。ブロントサウルスはアパトサウルスと同種である、と主張する学者が出て、それが学会で認められ、ブロントサウルスとアパトサウルスはどちらもアパトサウルスへと名称が統一されたのです。先に命名されたほうに優先権があるということで、アパトサウルスの名が勝ったのです。そのように、ブロントサウルスの名称問題はとっくの昔に解決されていました。

 それなのに、名称の変更がすぐには大衆文化や博物館まで届かなかったものですから、ブロントサウルスの名は大衆のなかで生き続けることになったのでした。

 

 とはいえ、それも時間の問題でした。名称の統一問題の波は、やがて大衆文化や街の博物館や市販の図鑑などにも到来することになります。私の感覚では1980~90年代のことです。ブロントサウルスの名称表記がアパトサウルスへと統一され、新しい図鑑などを開くとブロントサウルスの存在がなきものとされる(あるいは俗称扱いされる)事態に、私もショックを受けましたし、それなりの寂しさを感じました。

 ブロントサウルスだったころのあの恐竜は、映画やマンガや小説などによく登場するスターだったのに、アパトサウルスに統一されてからは大衆文化のなかで影が薄くなったような気がしますし……。

 私のなかでは、ブロントサウルスはブロントサウルスなのです。アパトサウルスといわれても、なんだかピンとこないんですよねえ……。

 

  著者は、ブロントサウルスの名が廃止されていった状況と重ね合わせるように、惑星から準惑星に格下げされた冥王星を思い出しています。科学的な分類変更が科学ファン(恐竜ファン・天体ファン)にショックを与えた事例として……。

 

 などと寂しい思いをしている者たちに朗報が舞い込みました。この『愛しのブロントサウルス』の翻訳者あとがきでも書かれていますが、2015年になって、ブロントサウルスはアパトサウルスとは別の独立した種とすべき、とする研究が発表されたのです。

 

 ブロントサウルス復活!?

 を期待させるニュースでした。

 

 その後この説はどうなったのでしょうか?

 ブロントサウルスは学会で正式に認められたのかしら?

 気になるところです。

 

 古生物学者によって、それまでの愚鈍な爬虫類という恐竜のイメージがトカゲやワニよりも鳥との共通点が多い動物へと仕立てられていく……。そうした機運を「恐竜ルネサンス」と呼んだそうです。

 恐竜ルネサンスにおいてかなりイメージが変わった恐竜といえば、特にティラノサウルスなんて、私が子どものころ図鑑などで見ていたイメージからずいぶん変化したなあと思います。

 私のティラノサウルスの原イメージは、『のび太の恐竜』で描かれたような、あの姿ですから。

 

『愛しのブロントサウルス』の著者も、ティラノサウルスのイメージの変化に言及しています。

「僕が初めて会ったときのティラノサウルス・レックスはゴジラのように二本足で立ち、ずらりと牙のならんだ顎を上げて、尾を地面に引きずっていた。

 (略)

 僕が最初に出会ったティラノサウルスは、もっと活発で魅力的な新しいティラノサウルスによってばらばらに引き裂かれた。捕食動物の頂点に君臨するものらしく発達した筋肉をもち、背中を地面に平行に保ち、高い代謝率で体温を維持し、フィラメント(線維)状の羽毛で体がおおわれている。その姿は暴君恐竜と呼ばれるティラノサウルスが現代の鳥類の遠い親戚であることを暴いている」(同書、14~15ページより引用)

 

 そうなんですよね。私が思い抱いていたティラノサウルス像も、まさに「ゴジラのように二本足で立ち、ずらりと牙のならんだ顎を上げて、尾を地面に引きずっていた」姿なのです。そのイメージが大きくくつがえったのは、映画『ジュラシック・パーク』に登場するティラノサウルスを観たときだったと思います。あれはカルチャーショックでした。

 

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 上述のとおり、私のティラノサウルスの原イメージは『のび太の恐竜』で描かれたような姿でしたが、F先生はそのティラノサウルスの表現についてこんなことを述べていました。

「今、世の中は恐竜ブームです。よろこばしいことではありますが、まんがにとって大変な時代でもあるのです。一つには恐竜学は日進月歩という情勢があります。次つぎに新発見があり、新学説が発表され、きのうの定説があすも通用するとは限らない。しかもそれらの新知識で育った子ども達が読者になるのですから、もういいかげんな恐竜まんがはかけないのです。と言うと、いかにもこれまでのまんががいいかげんだったようですが、実はそうなのです。ドサクサにまぎれて、このさいあやまっておきますが、たとえば“フタバスズキリュウ”を恐竜と呼んだり、ティラノの前肢が三本指だったり、今から見るとけっこう穴だらけなのです。これから気をつけます」(てんとう虫コミックスアニメ版『映画ドラミちゃん ハロー恐竜キッズ‼』小学館、1993年)

 

 恐竜をマンガで描くさい、かつては少しばかりいいかげんな知識でも許容されたし文句もあまり来なかったのに、恐竜学の進展や恐竜知識の一般的浸透などによって、できるかぎり最新の、正しい知識を使って描かなくてはいけなくなった、というわけですね。

 そして、いくら恐竜が大好きで恐竜知識が豊富にあっても、次々と新発見や新学説が出てくるので、その時点で最新の学説を使って作品を描いたとしてもそのうち古びた知識(誤った知識)と化してしまうおそれがあるわけです。F先生は恐竜が好きで恐竜に詳しいからこそ、そのへんのことで頭を悩まされたでしょうし、こだわりも強かったでしょうし、苦慮されたことと思います。

 ちなみに、ティラノサウルスの前肢は2本指が正しいです。

 

 さて、『愛しのブロントサウルス』ですが、今回は第2章「ちっぽけな恐竜が世界を支配する」まで読みました。三畳紀にはどちらかといえば日陰者だった恐竜がどうしてジュラ紀になって大繁栄し世界の支配者になれたのか……について書かれていて、まことに興味深いです。