藤子・F・不二雄先生のSF短編『ある日……』が注目を浴びる

 現在、公式サイト「ドラえもんチャンネル」が「STAY HOME特別企画!」と銘打って『ドラえもん』をはじめ藤子・F・不二雄先生のマンガをセレクトして無料公開しています。

dora-world.com

 配信される作品は数日ごとに変わっていき、2/3現在配信中(2/1 AM10時から2/5 AM10時まで配信中)の作品は以下の3編です。

 

・「バイバイン」(てんとう虫コミックスドラえもん』17巻より)

・「かぐや姫だわよ」(てんとう虫コミックス『新オバケのQ太郎』4巻より)

・『ある日……』(藤子・F・不二雄SF短編集Perfect版7巻より)

 

 このうちの一作、SF短編『ある日……』が無料配信されたおかげで、SNS上でこの作品がけっこう話題にのぼっています。

『ある日……』に関するいろいろな感想や考察を読めて、示唆を受けています。

 

 さらに昨晩(2/2 PM7時~)、TBS系の番組「この差って何ですか?」でも『ある日……』が紹介されて、本作がますます注目を浴びることになりました。

 番組内で『ある日……』を選び紹介してくださったのは、スピードワゴンの小沢さんです。

 https://www.tbs.co.jp/konosa/

 

『ある日……』が「ドラえもんチャンネル」と「この差って何ですか?」で同じ時期に取り上げられるなんて偶然のはずがないでしょうから、「この差って何ですか?」で紹介されるのに合わせて「ドラえもんチャンネル」でも無料配信されたのでしょう。おそらく…。

 

『ある日……』がいっときに多くの人の目にとまりたくさん言及された規模としては、史上最高のことではないでしょうか。

 

 

  当ブログでも『ある日……』について言及したことがあります。

 https://koikesan.hatenablog.com/entry/2019/08/09/204104

 

 こちらでも『ある日……』を取り上げています。

 https://koikesan.hatenablog.com/entry/20140815

 

 (以下、『ある日……』の結末に触れています。未読の方はお気をつけを)

 

 

 リンク先を示したブログ記事で書いたとおり、私が『ある日……』を初めて読んだころ(1980年代中盤、高校生のころ)は、本作のラスト1ページの衝撃に心を持っていかれて「そこがすべて!」みたいな感情にとらわれました。

 当時思春期だった私は、藤子F先生のSF短編を自分の人生や社会の在り方の問題と結びつけシリアスに受け止めるきらいがありました。『ある日……』に関しても、ラストにおける「核兵器の実情に対する佐久間さんの迫真の訴え」や「終末は伏線も説得力も関係なく唐突にやってくるという佐久間さんの論」や「ほんとうに世界の終わりが唐突に訪れてしまった最終コマ」に甚大なショックと影響を受け、この作品の核心はこのラスト1ページに凝縮されている!とまじめに思い込んだのでした。

 そして、完全に佐久間さんに感情移入してしまったのです。自分も佐久間さん側の人間だ…と他人事じゃない気持ちに駆られました。

 ですから、佐久間さんの真剣かつ真実の訴えをちょっと小馬鹿にした感じで聞く中年男性3人の態度を腹立たしく思いました。私自身が世の中の常識側にいる人たちに小馬鹿にされているような、そんな気持ちになりました。(中年男性3人が、本当は佐久間さんを小馬鹿にしているのではなく、たとえば、「俺にもあんな熱く青くさいころがあったなあ」と懐かしみつつ大人の余裕で鷹揚な笑みを浮かべて佐久間さんの主張を受け止めていたのだとしても、当時の私には小馬鹿にしていると映ったのです)

 

 当時の私にとって、『ある日……』はラスト1ページこそが核心で、そこに達するまでに描かれた話は長めの前ふりだったのです。

 あのころの私は、『ある日……』をそういうふうにしか読めない精神状態だったのです。

(そういうふうにしか読めなかったのは、私の個人的な精神状態に加え、当時は米ソの冷戦の只中で、核戦争に対する恐怖が冷戦終結後よりも真に迫って感じられていたこともありそうです)

 

 ですが、あとになってもう少しゆとりをもって気楽に読めば、ラストに達するまでの大半のページが8ミリ愛好家である藤子F先生の趣味性に満ち満ちていて、先生がウキウキしながら描いておられる姿すら脳裏に浮かんできます。

 藤子F先生はアマチュア8ミリサークルの映写会を思うぞんぶんに描きたくて『ある日……』をこんな構成にされたのではないか…とすら思えてきます。

 8ミリに関するウンチクを随所に入れ込みつつ、本当は自分が趣味で撮ってみたいと夢想している8ミリ作品を自身のマンガ作品のなかで嬉々として大っぴらに描いてしまった…というのが、藤子F先生にとっての『ある日……』の一側面だったのかもしれません。