ぐうたら感謝の日

 本日(6月2日)は「ぐうたら感謝の日」です。

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 ぐうたら感謝の日は、『ドラえもん』の一編「ぐうたらの日」のなかでのび太くんが決めた国民の祝日で、「だれも働いちゃいけない日」というのが主旨です。

 

「ぐうたらの日」の冒頭でのび太くんは、一年をとおして6月が一番嫌いで不愉快だと吐露し、その理由を力説します。そのシーンを子どものころ読んだ私は「わー、ほんとうだ!」と蒙を啓かれ、「そのとおり!」と強く共感し、その瞬間から「6月とはそういう月なんだ」とのイメージから逃れられなくなりました(笑)

「6月が一番嫌い」というのび太くんの個人的感情に共感するしかなくなるその理由(国民の祝日が一日もなく、春休みとも夏休みとも関係ない)がもつ説得力たるや、子どものころの私には甚大なるものがあったのです。

 

 先に言ったとおり、ぐうたら感謝の日は「だれも働いちゃいけない日」であるわけですが、私は文字どおり「ぐうたらに感謝する日」と解釈してこの日をすごすようにしています。

 ぐうたら感謝の日の提唱者でありぐうたらの体現者でもあるのび太くんに目いっぱい心から感謝する日……。それが私にとっての6月2日です。

 

「ぐうたらの日」が発表されたのは1975年のこと。高度経済成長の残響が鳴り渡りモーレツ社員が大活躍していたであろう時代に、勤労の精神を尊ぶがごとくぐうたらの精神を尊んだそのセンスに敬服するばかりです。

 

 後年、日本では過労死の問題が大きくなり、現在ではワークライフバランスとか有給休暇義務化とかそういった潮流が強まっているわけですが、1975年の時点で「勤労感謝の日」と対になる「ぐうたら感謝の日」を発想するなんて、時代の先どり的なセンスを感じずにはいられません。

 時代の感覚が今ようやく“ぐうたら感謝の精神”に追いついてきた…というか、そうした勤労と真逆の精神も勤労の精神と等しく大切なのだ…ということが、かつてと比べて社会レベルで認知されてきたかな…と思ったりするのです。

(もちろん藤子・F・不二雄先生はこれを純粋なギャグとして描いていて、社会風刺をしようとか未来予測をしようとか、そういうことを意図したわけじゃないでしょう。「勤労」が疑いようのない美徳だという社会常識があるからこそ、その常識を逆転させた「ぐうたら感謝の日」が明快なギャグになりうるわけですものね)

 

 ぐうたら感謝の日は「勤労感謝の日があるんだから…」とのび太くんが発案した祝日ですが、似たような発想で特別な日を決めちゃった例として、「父の日や母の日があるなら…」とQちゃんが勝手に決めた「兄の日」を思い出したりもします♪