「昭和50年男」vol.013の特集「オレたちのリアルなSF」

 10月11日に発売された「昭和50年男」vol.013の特集は「オレたちのリアルなSF」です。

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 この特集のテーマ全般が私には相当な好物ですが、今号をわが家に迎えたくなった最大の要因は、特集内のひとつ「SFマインドを育んだ『大長編ドラえもん』」という記事です。

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 記事のタイトルをパッと見ただけでずいぶんそそられますし、この記事で『大長編ドラえもん』を語る人物が瀬名秀明さんというのが何といってもツボをついてくれます。

 『大長編ドラえもん』シリーズで瀬名さんが特に思い入れをお持ちの『魔界大冒険』『宇宙小戦争』『鉄人兵団』といった作品が取り上げられており、なかでもとりわけ思い入れが強いという『鉄人兵団』について多く語られています。

 

 瀬名さんは『鉄人兵団』について

「最後のタイムパラドックスを利用したオチは禁じ手だと言うSFマニアもいますが、僕はすばらしい結末だ、これでいいんだと思っています」とおっしゃっています。私は以前から瀬名さんの藤子作品観に共鳴するところが多いのですが、この点もとても共感します。

 私は前に『鉄人兵団』についてこんな文章をネット上に発表したことがあります。

本作では、タイムマシンで過去にさかのぼることで鉄人兵団の祖国であるメカトピアの歴史を改変する。その歴史改変を実行するより前のシーンに、私にとって重要なポイントがある。それは、旧約聖書の人類誕生になぞらえたかのようなメカトピアの創世と、鉄人兵団が地球侵略に至るまでのメカトピアの歴史が語られることだ。

その歴史とは、こんなものだった。

メカトピア最初のロボットであるアムとイムが誕生(メカトピア建国)→ロボットが増えるにつれ社会の中で支配ロボットと被支配ロボットという階級差が発生→ロボットは皆平等という考えが広がる→革命が起きる→平等社会の到来と奴隷制の廃止→ロボット以外の奴隷を求めて鉄人兵団が地球侵略を開始……。

リルルの口からメカトピアの歴史が語り終えられたとき、しずかちゃんが発したセリフ「まるっきり人間の歴史を繰り返してるみたい」が胸に痛く刺さった。

 

そのように語られたメカトピアの歴史を根源からやりなおすことが、鉄人兵団の侵略を止めることになるわけだが、では、具体的にどんなことをしたのか?

メカトピア最初のロボットであるアムとイムに、他人を思いやるあたたかい心を植えつけたのである。そうすれば、メカトピアのその後の歴史が軌道修正され、鉄人兵団などという悪い考えを持ったロボットが出てくる歴史とは異なる歴史になる。つまり、鉄人兵団の地球侵略は最初からなかったことになるのだ。

当時、思春期のハシカのように人間の罪深さに悲嘆し憤っていた私の心に、「まるっきり人間の歴史を繰り返してるみたい」なメカトピアの歴史と、その歴史が生み出した問題と、問題を解決する方法とが一体となって鋭く響いた。心をえぐるように響いた。

そのうえ、映画にはなく原作マンガだけの表現になるが、アムとイムに競争本能を植えつけたことがいけなかったと、問題が生じた根本原因まで説かれたのだから、私は心の底から感服してしまった。『鉄人兵団』は当時の私のバイブルのような作品と化した。

 

むろん、現実にはタイムマシンはないから歴史はやりなおせない。そもそも、今の人間がいろいろと悪いことをしているから歴史を根源からやりなおそうなどというのは、フィクションだから面白いのであって、現実のこととして本気でそう思ってしまうのであれば、妄想的であり危険な考えでもあるだろう。だが、人間の歴史を根本からたどって何が問題だったのかを反省し、これから先の歴史を少しでも良いものにしていく、という視点を得られたのは大きな収穫だった。今の私は「人間は」とか「歴史は」といった大それたことをあまり考えられなくなったが、当時はそういうことを考えては狂おしい気持ちになっていた。

 

 と、こんな調子で『鉄人兵団』のオチに深く心を動かされた私ですから、瀬名さんの言葉におおいに共感し、頼もしい味方を得た気がしたのです。

 瀬名さんが「すこしふしぎ」について述べているくだりも好きです。

 

 特集「オレたちのリアルなSF」では、各界の人物がSFについてインタビューを受けています。そうしたインタビューのところどころに『ドラえもん』が出てきて、日本SFにおよぼした『ドラえもん』の影響・役割の大きさをあらためて実感しました。

 たとえば、小説家・平野啓一郎さんのSF遍歴をたどる「現代社会の問題を照射する SFのチカラ」では、平野さんのSF遍歴の始まりとしてこう語られています。

「小さい時はやはりアニメですね。ドラえもんガンダムマクロスくらいまでは観たのかな」

「すぐれたSF作品には、未来を考えるヒントが散りばめられている」「たとえばAmazonのシステムは、好きな商品をなんでも手に入れられるという意味で、ドラえもんの4次元ポケットみたいなものだと思うんです。インターネットの普及により、多くのサービスは“いかにめんどうくさいことを代行させるか”という発想で生まれている。そう考えると、怠け者ののび太こそがSF的な人間像なのかもしれません」

 

 また、神山健治監督のインタビュー「現実世界に根ざした描写は未来を予見 神山健治の眼」では、こんなふうに『ドラえもん』に触れられています。

東のエデン』(09年)にはどんな願いでも聞いてくれる「ノブレス携帯」が出てくるし、『ひるね姫 ~知らないワタシの世界~』(17年)には自動運転で目的地へ連れていってくれるサイドカー「ハーツ」が登場します。そんなふうに、神山作品には未来的なハイテク技術が登場するのが常だとこの記事は書いています。そのことについて神山監督は

「僕のなかで、それらの技術は『ドラえもん』のひみつ道具みたいな感覚です。『こうなるといいのに』『こんな物があればいいのに』という理想がまずあって、そこに至るまでのドラマを描きたい。『未来はこうなるであろう』と予測しているわけではなく、ひみつ道具を先に設定してから物語を展開させているんです。だから、そういう技術は、いつも一つしかないんです」

 と説明しています。

 

 大槻ケンヂさんがご自身のSF体験を語るインタビュー「昭和50年男のアニキ大槻ケンヂが語るのほほんSF講義」でも少しだけ『ドラえもん』に言及されています。

「今の子どもたちは、並行時空世界の設定とかをスッと受け入れるでしょう? 驚きますよね。たぶん、そういうSF設定をみんながすんなり受け入れられるようになったのは、『ドラえもん』の影響が大きかったんじゃないかな」

「F先生のSF魂みたいなものが、いまだに『ドラえもん』を通して連綿と受け継がれていますもんね」

 

 『ドラえもん』はマンガを読む体験の入口となる作品であると評されることがありますが、今回の特集で以上のような各人の発言を読むと、『ドラえもん』はある世代以降のSF体験の入口となり、日本人の頭にSFマインド・SF設定・SF知識を浸透させる役割を担い続けている作品でもあるのだということを確信できます。『ドラえもん』は日本人のSFゴコロの礎となっているのです。