「女性自身」に水野先生の記事

 水野英子先生を取材した記事を読むべく「女性自身」11月9日号を購入しました。

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 水野先生がご自宅で著作権勉強会を開いていたあたりのエピソードは(私の不勉強で)あまり聞いたことがなく、今回の記事で特に興味深かったところです。

 

 記事の全体を読み終えた感想はこうです。

 女性にはタブーだらけだった時代に「女のくせに」「女はこうあるべき」という圧力に負けず、シングルマザーへの風当たりが今よりずっと冷たかった時代に未婚の母となっても一度の後悔もなく、ライフワークという思い入れがあった作品を連載していた雑誌が休刊しても屈しなかった……。そんな水野先生の不屈の開拓者的な生きざまに凄みをおぼえ、感銘を受けました。そして、「いまでも描きたいテーマは湯水のように湧いてくる」という現在の水野先生にもまた心震わされるのでした。

 

 当ブログらしく、今回の記事をちょっと藤子ネタと紐づけてみます(笑)

 水野先生がトキワ荘に入居したさい、そこに住む漫画家は男性ばかりでした。その件について水野先生は今回の取材で、赤塚先生の母、石ノ森先生の姉、藤子先生の母や姉と思いがけず多くの女性が出入りしていてホッとした……といったことを述べています。私はそこを読んで、トキワ荘に在住した漫画家で唯一の女性である水野先生だからこその視点だなあ、と感じ入りました。

 

 また、この記事で水野先生は、手塚治虫先生の『漫画大学』がバイブル的な作品とおっしゃっています。手塚漫画の絶大な影響で漫画家になった先生には、これぞ人生を変えたバイブル的な手塚漫画の一冊を挙げている方が多いですね。藤子先生や石ノ森先生なら『新宝島』、赤塚先生は『ロストワールド』、萩尾望都先生は『新選組』といった感じで。

 

 次の話題は今回の記事とは直接的には関係ありませんが、私は水野英子先生と藤子不二雄Ⓐ先生のツーショット写真を撮ったことがあって、それを水野先生に差し上げたことがあります。2013年のことです。

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 使い捨てカメラで撮影した不鮮明な写真でしたが、水野先生は「藤子さんと2人の写真を持ってなかったんですよ」と喜んで受け取ってくださいました。

 このツーショット写真は、2002年にパシフィコ横浜で開催された「アジアMANGAサミットinYOKOHAMA」の会場で撮ったものです。