『ノスタル爺』についてまた語ります

 「ドラえもんチャンネル」で「みんなで選ぶ!藤子・F・不二雄“SF”の秋」が開催中です。藤子F先生のSF短編作品のなかからTwitterの投票で選ばれた作品を4週連続で特別公開する、という企画です。

 その第1週めの作品として『ノスタル爺』が選ばれました。11月5日(金)昼ごろから8日(月)午前11時まで期間限定で配信中です。

 https://dorachan.tameshiyo.me/DZSNOSUTARUJI

 

 それにしても、『ノスタル爺』のネット人気、高いですね。今年2月にも無料配信されたばかりですし。

 本作の一部画像がネットミーム化していることと無関係ではないのでしょう。『ノスタル爺』を一部画像でしか知らないネット民の方々が本編を読んで衝撃を受ける絶好のチャンスです(笑)

 

 いま『ノスタル爺』のネット人気が高いと言いましたが、私個人にとってもこの作品の人気は高いようで、今年2月に無料配信されたのを受け本作について当ブログでけっこう長々と語ってしまっています。

 https://koikesan.hatenablog.com/entry/2021/02/11/212532

 

 自分が『ノスタル爺』好きであることをこれといって意識してこなかったのですが(いや、とても好きな作品ではあるものの、数々のSF短編のなかで突出してこれが好きという意識はなかったのですが)、2月に続き今回もこうしてブログ記事を長々と書こうとしているのですから、私のなかの『ノスタル爺』人気はとても高いということになりましょう。少なくとも、こうして何事かを語りたくなる作品であるのは間違いありません。

 

 というわけで、今回の配信でも『ノスタル爺』を読んでみました。

 単行本などでもう何度も何度も読んでいる作品ですが、やはり名作は何度も読んでも面白いし、いろいろと感じさせてくれるところが多いです。

 そして、読むたびに新たな感想や気づきがもたらされます。

 

 戦争で生き残って孤島のジャングルでサバイバル生活を送り30年ぶりに日本へ帰ってみれば、故郷がダム湖の底に沈み、妻も亡くなっていた……。自分が日本に残してきた大切な何もかもが失われていたのです。

 失ったもののあまりの大きさゆえに生じる全身全霊の郷愁。その郷愁が超越的な奇跡を起こし、その郷愁が絶対的なものだったがゆえにその後の人生を捨ててでも奇跡を手放さなかった男……。それがまさにノスタル爺なのだ、とあらためて実感しました。

 ノスタル爺だなんて、それ自体はおやじギャグのような脱力ダジャレですが、本編を読み終えるとその語の重みがグッと増してきます。

 

 この物語で甚大な郷愁にとらわれる主人公の名は、浦島太吉といいます。浦島太吉こそがノスタル爺その人なのです。

 けれど、この物語を太吉の視点ではなく里子の立場から読むと、もうひとつの甚大な感情に触れることになります。

 里子は、幼いころからの太吉の許嫁(いいなずけ)でした。戦局が押しつまり、太吉は学徒動員で戦場へ送り出されることになります。戦場へ行ってしまえばおそらく生きて帰れないだろう、という状況でした。

 そんななか、浦島家の跡とり息子で本家の総領である太吉に嫁もとらせず戦場へは送れない、という浦島一族の意向によって、太吉と里子は若くして結婚します。

 結婚した直後に夫が戦場へ送られておそらく戦死してしまう……そんな無茶な結婚に太吉は不服でしたが、戦時中の旧家のしきたりに逆らえるはずもありません。

 太吉はこんな結婚あくまで断るべきだった……と悔います。それに対し、太吉と結婚した(見ようによっては結婚させられた)里子は、この結婚にどんな気持ちを持っていたのでしょう。結婚当日の様子を見ても、彼女はほぼ黙っているばかり。その気持ちを彼女の言葉で知ることはできません。結婚式の最中など、ずっと伏し目がちにしているようにも見えます。

 そもそも、あの時代のあの状況下では、女性側の気持ちはろくに汲みとってもらえないでしょうし、自分の意思を主張することなど許されない空気だったことでしょう。たとえ里子がどんな気持ちを抱いていたにせよ、黙って嫁入りするほかなかったと思います。

 

 でも、そうは言っても、里子は太吉とのこの結婚に不服はなかったと思います。むしろ、ずっと好きだった太吉とついに一緒になれたことの喜びを静かにかみしめていたのではないでしょうか。彼女は結婚を幸せに感じたにちがいありません。

 ただ、その幸せが、悲劇的なまでにつかの間のものだったのです。

 結婚したその晩、太吉から「もしおれが戦死したら、こんな家さっさと捨てちゃってくれ。きみ自身のしあわせをつかんでくれ……。きみならきっといい人が……」と伝えられてしまいます。

 ずっと好きだった男性とついに結婚できたのに、結婚した夜にそんなことを言われてしまうなんて……。太吉が里子のことを思いやってそう言ってくれたにしても、里子には太吉といることが唯一にして最高の幸せなのです。

 里子は、太吉に自分の意思を告げます。「待ってます。いつまでも」「きっときっと帰ってね!!」と。

 

 その言葉のとおり、里子はずっとずっと太吉を待ち続けることになります。太吉の戦死公報が届いても、別の婿をとって浦島家を継がせる話が出ても、里子は頑として太吉以外の男性とつき合おうとはしませんでした。

 太吉の親族が太吉に対し「あの子にとっては、おまえが人生のすべてだったんだろうな」と言ったとおりです。

 

 里子の「きっときっと帰ってね!!」という望みがかなったかのように、太吉は生きて日本へ帰ってきました。戦死したと誰もが思っていた太吉は、戦争を生きのび、そのままジャングルの孤島で30年間も生き続け、日本へ帰ってきたのです。

 ところが、皮肉なことに、太吉が30年ぶりに日本へ帰ってみれば、里子はすでに亡き人になっていました。

 里子は太吉をずっと思い続けていたのに……。誰もが戦死したと信じていた太吉が実は生きていたのに……。運命のめぐりあわせがつらすぎます。

 

 ああ、里子はなんと一途だったことでしょう。一途な、あまりにも一途な思慕です。

『ノスタル爺』は、そんな里子の一途な思慕の念を描いた物語としても読めるのです。幼なじみの男子と若くして結婚し、結婚してすぐ夫を失い、失ったあとの寂しく長い人生を、夫を忘れることなく生き続けた里子。

 そういう読み方をすると、無性に胸がかきむしられます。

 

 『ノスタル爺』が描いた太吉の郷愁の念は甚大なものでしたが、里子の一途な思慕の念もまた甚大なものでした。『ノスタル爺』を貫くのは、この2つの甚大な感情なのです。

 2つの甚大な感情の一方である太吉の郷愁の念は、その成分の大半を里子への思いの強さが占めているはずです。奇跡を起こすほど甚大な郷愁を太吉が抱いたのは、里子に対し思い残したことが途方もなく大きかったからでしょう。

 

 言ってしまえば、『ノスタル爺』を貫く2つの甚大な感情のうちの一方は「太吉が抱いた里子への思慕の念」、もう一方は「里子が抱いた太吉への思慕の念」ということになります。

 2つの甚大な感情は、太吉と里子の相思相愛というかたちで作品世界を満たしているのです。

 

 里子は、太吉が戦死したとの報を聞き、悲しみにくれ絶望しながらも、どこかで太吉の生存と帰還を信じていたことでしょう。いつかきっと太吉は帰ってくる…という希望にも似た信念を持ち続けていたことでしょう。

 たとえ彼が永遠に帰ってこないとしても自分には太吉しかいない、と固く思っていたことでしょう。

 そのうえで、私はこんなふうにも思うのです。里子は土蔵に閉じ込められた気ぶり爺さんの正体が太吉ではないか…とうすうす直観していた可能性もあると。

 太吉は戦争へ行ってずっと帰ってきませんでした。太吉と離ればなれになったあとに続くあまりにも長く寂しい人生を、里子がどうにかやっていけたのは、気ぶり爺さんに太吉の面影を感じ、太吉がそばにいてくれるような感じを得ていたからではないか。その感じが里子を救い、支えていたのではないか。

 いや、もしかすると里子は、気ぶり爺さんが太吉だとはっきり気づいて、村人に見つからないようこっそりと土蔵の窓越しに彼と密会していたのかもしれない……。

 などと、そんな妄想が勝手に膨らんでいきます。(この可能性に思いをいたしている方が他にもいらっしゃるようで心強いです)

 

 とはいえ、30年ぶりに帰ってきた太吉に向けて親族の男性がこんなことを言ったのが気になります。太吉が戦場へ送られ村に不在になってからの里子の様子を、親族の男性は次のように伝えるのです。

「そればかりいってたよ。死ぬまでな。(略)せめておまえの子どもでも残っていれば、生きる張りもあったろうに……といってな」

 里子は、太吉との間に子どもがいれば生きる張りもあったのに……と死ぬまでそればかり言っていたというのです。

 もし里子が土蔵の気ぶり爺さんを太吉だと気づいていたら、そのいつも土蔵にいる太吉の存在が生きる張りになったはずです。それなのに、せめて太吉との子どもがいれば生きる張りもあったのに……などと死ぬまで言い続けたということは、里子には生きる張りがなかったことになります。

 そのことを踏まえれば、里子は気ぶり爺さんを太吉だとは微塵も想像していなかった……と考えるのが妥当のような気もしてきます。

 

 まあ、そんなふうに二次創作的な妄想をあれこれめぐらせるのも、『ノスタル爺』の楽しみ方のひとつということです(笑)

 

 

 むろん、『ノスタル爺』の楽しみ方はほかにもいろいろあります。

 たとえば、時間ループSFとして楽しむ、なんてこともできるでしょう。『ノスタル爺』をSFのサブジャンルのどこかにカテゴライズするなら、私は「少し変則的な時間ループもの」だと思うのです。

 浦島太吉という一個体は、いったん過去に戻るものの、その後は時間移動することなく生きて死んでいきます。ですから、その観点で見れば、本作はタイムスリップものではあってもループものとは言えません。

 ところが、一個体としての浦島太吉は一回タイムスリップするだけだとしても、浦島太吉という存在は時間を無限ループしているのです。

 どういうことかというと……。

 

 太吉は、戦争から日本へ帰ってきて過去の故郷へタイムスリップし、その過去の故郷で幼いころの自分と遭遇します。そうやって遭遇した幼いころの太吉もまた、成長したら戦争へ行って日本へ帰ってきて過去の故郷へ戻り、そこで幼いころの自分と遭遇することになります。そして、その幼いころの太吉もまた成長したら戦争へ行って日本へ帰ってきて過去の故郷へタイムスリップしそこで幼いころの自分と遭遇し……というサイクルが延々と繰り返されるのです。

 この観点で見たらどうでしょうか。

 太吉という存在は無限に時間をループしており、したがってこの物語はループものである、ということになります。それゆえ私は、『ノスタル爺』は少し変則的なループもの、と言い表したのです。

 

 『ノスタル爺』は、「浦島太郎」のおはなしを変奏した、ひとつのバリエーションとして読んでも興味深いです。別の世界から故郷へ帰ってみれば、非常に長い時間が過ぎており故郷の様子はすっかり変わり果てていた……。そんな「浦島太郎」のおはなしの続きを読むような感覚で楽しめるのです。

 竜宮城から帰ってみれば長い年月が過ぎ去ってしまっていて愕然とした浦島太郎は、失った故郷への強いノスタルジーにとらわれ、自分が子どもだったころの故郷へタイムスリップし、そこで土蔵に閉じ込められて……というふうに「浦島太郎」の続きが展開されていく感覚です。

 『ノスタル爺』は、変わり果てた故郷へ戻った浦島太郎がその後どうしたかを描いた物語、という見方ができるわけです。

 

 戦時中の日本の山村の習俗や価値観に触れられる、という点も本作の豊かさですね。その山村の風景が緻密かつ叙情的に描かれているのもいいですね。『ノスタル爺』は、風景描写と作品のテーマが密接に結びついた作品だと思うのです。