各メディアで大きく報じられているとおり、藤子不二雄Ⓐ先生が4月7日に亡くなられました。88才でした。
先月10日Ⓐ先生米寿のお誕生日には、藤子不二雄FCネオ・ユートピアの企画「バⒶる写真を撮って送りましょう!」に参加してⒶ先生を祝福したばかりです。
お誕生日の時点ではⒶ先生がお元気であることを間接的にうかがっていましたし、いつも明るくお元気なⒶ先生のことですから、まだまだ永くご健康に暮らされるだろうと思い込んでしました。Ⓐ先生がいなくなるなんて想像したくもありませんから、先生の末永いご健康を信じるばかりでした。
それなのに、
4月7日、
訃報に接することに……。
2004年に当ブログを開設して以来、藤子ファンとして最も訪れてほしくなかった日、訪れるわけがないと信じたかった日が、現実に来てしまったのです。
Ⓐ先生の訃報に触れた瞬間は、それが現実とは思いたくないあまりに心が固まり、頭が呆然としました。
しばらくして、固まった心が少しほぐれて、我に返ってみたら、つらいような、悲しいような、胸が苦しいような感情にみまわれました。
その後、Ⓐ先生の訃報を伝えるテレビ番組でⒶ先生がお話になっている姿を見たら、どっと涙が止まらなくなって、ある程度時間が経過して気持ちが落ち着いたかと思ったら、そのうちまた泣けてきて……。
いったい自分が今どんな感情でいるのかよくわからなくなるくらい、情緒不安定ぎみの時間をすごしました。
呆然としつつ、悲しみつつ、胸苦しくなりつつ、この日の夜は、トキワ荘名物チューダーを飲んでⒶ先生に献杯しました。チューダーをつくる気力だけはかろうじてあったようです。
4月7日から2日がすぎた現在、精神状態はだいぶ落ち着いてきました。
4月7日の時点では、しばらくはネット上で発信できそうにない……というくらい不安定でつらい精神状態でしたし、そのまま現在もその不安定さが続いてもおかしくなかったのです。
ところが、私の発信がまるでないことによって、私のことを心配してくださる方が複数名出てきて、これ以上心配をおかけしないためにも、できるだけ早いうちに一度発信しておかねば、という気持ちになってきました。
決定的だったのは、訃報のあった翌日、手塚治虫先生のご長女・手塚るみ子さんから「大丈夫じゃないと思いますが、気をしっかり持って」といった内容のメールをいただいたことです。
Ⓐ先生は賑やかで楽しい雰囲気が大好きな方でした。訃報に触れたばかりの日は仕方ないにしても、あんまり長い間しんみりした気持ちで居続けてはⒶ先生に顔向けできないな、と思いました。そして、なんと言ってもⒶ先生とF先生が神様と崇めた手塚治虫先生、その娘さんから「気をしっかり持って」と励まされたのですから、それはもう気をしっかり持ってファン活動するほかない、と踏ん切りがついたのでした。
それで訃報から2日しかたっていない今日、当ブログを更新することになりました。
ご心配くださったみなさま、ほんとうにありがとうございます。
訃報の当日も翌日も、何名もの藤子仲間からメールやLINEメッセージが届きました。同じ思いの仲間たちと言葉を交わすことで悲しみやつらさを分かち合えたのは一つの救いでした。
それとともに、Ⓐ先生がほんとうに亡くなってしまったんだ……と認めざるをえない気持ちにもなりました。
部屋の壁に、かつてファンレターのお返事としていただいたⒶ先生の直筆色紙が飾ってあります。
ドーンのポーズの喪黒福造やⒶ先生のサインとともに、Ⓐ先生による励ましの言葉が直筆で書かれています。私が何らかの理由で不調なときそのことを手紙に書いて送ったら、こんなにも心のこもったあたたかい色紙が届いたのです。返事がほしいとか色紙を送ってほしいとかそういうおねだりは一切してないのに、ですよ。なんとありがたいお心遣いでしょうか!
この色紙を受け取ったときは、あまりのサプライズに感涙するばかりでした。
そして先生の訃報に触れた4月7日には、この色紙を前にして声を出して泣いてしまいました。
この色紙の言葉もそうですが、私はⒶ先生に、Ⓐ先生の作品に、子どものころからずっと元気をもらって生きてきました。これからもそうやって生き続けるつもりですが、Ⓐ先生の他界によって自分の半生において重要で大きな何かが一つぽっかり失われてしまった感覚はぬぐえません。
Ⓐ先生の訃報が出た当日は、あるテレビ番組とあるラジオ番組からコメント出演依頼をいただきました。けれど、タイミングなどが合わず出演には至りませんでした。
たとえ出演していたとしても、あの日の不安定で沈んだ精神状態では、ふだん以上にまともに話せなかったでしょう。
でも、そうやってマスメディアからお声をかけてもらえたことを光栄に思います。ありがとうございました。
Ⓐ先生の訃報から時間がたつにつれ、私のなかで「Ⓐ先生の作品もⒶ先生ご自身もすべてが好き!すべてが愛おしい!」という気持ちがふつふつとわいてきています。むろん、そういう気持ちは昔から抱いていますが、今はそれが汲めども尽きぬ泉のごとくこんこんとわき出ている感じなのです。
作品への盲目的信仰や作家の神格化って批判されがちなところがありますし、私もそういうふうになることにできるだけ警戒してはいるのですが、正直なところ、私がⒶ作品・Ⓐ先生に向けるメンタリティは信仰や神格化に近い気がします。
ですから、せめて今だけは、「私は盲目的な藤子不二雄Ⓐ信者だ!」と手放しで叫んでしまいたいです。
今後、信仰とか神格化の件は別としても、精一杯の敬意と感謝をⒶ先生に捧げ続けたいです。Ⓐ先生の作品に魂を救われてきたのは、大げさじゃなくほんとうのことなのですから。
Ⓐ先生、長い間ありがとうございました。先生の作品と足跡はずっと残り続けますから、これからもいっぱい楽しませていただきます。今後もお世話になります。よろしくお願いします。
藤子不二雄Ⓐ先生のご冥福を心よりお祈りいたします