飲食することで藤子不二雄Ⓐ先生を偲ぶわけ

 愛知県在住の鉄腕アトムコレクター小池信純さんが3月終盤ごろから、作品を飾れる酒場「お酒とクリエ」で手塚治虫ポストカードコレクション展を開催されていました。

 私は、その会期の最終日(4/23)に企画された昼飲み会に参加。

 ポストカードの展示を鑑賞しつつ、何杯もお酒を飲みつつ、手塚作品の話題を中心に趣味のお話を皆さんと熱く語り合いました。

 

 手塚作品のポストカードが展示されているこの空間で、手塚先生を神様と仰いでおられた藤子不二雄Ⓐ先生を偲ぶこともしました。

 藤子不二雄Ⓐ先生へ献杯

 

 1989年手塚先生の追悼で出版された朝日ジャーナル臨時増刊号の表紙イラストを、Ⓐ先生が手掛けています。

 空飛ぶ円盤でどこか遠い宇宙へ旅立たれた手塚先生。

 Ⓐ先生もその宇宙で手塚先生やF先生、多くのお仲間たちと再会をはたし、今ごろワイワイ歓談しておられることでしょう。

 

 生前の手塚治虫先生が藤子先生を評するさい「漫画少年イズム」ということをよくおっしゃっていたことを思い出します。

もちろん、現在両氏の個性は作品を一目見ればすぐ見分けがつく。しかし、どんなに両氏が異質な作品を描こうと、絶対に共通不可分な要素がある。それはなにかというと、つまり学童社で培われた“漫画少年イズム”だということだろう。この言葉は、現在においてはややもすると皮肉にきこえるかもしれないが、漫画が、一般的に退廃的なムードに傾斜しつつあるとき、エンターテインメントとして一級品で、派手で、しかも良質な漫画は、むしろ貴重なのである。これは両氏の資質やインテリジェンスによることは無論のことだが、なによりも「漫画少年」時代、“新漫画党”結成当時に完成された個性の、ストイカルなリベラリズムのなせることだろう。

 ※『二人で少年漫画ばかり描いてきた』(1977年、毎日新聞社)

藤子さんは「漫画少年」というよき土壌に育ったきわめてオーソドックスな作家だ。その明るく穏やかで良心的な作品が、結局、万人に愛されているということは、独善と退廃、刺激過剰に陥ったきらいのある今の漫画文化に、つよく警鐘を打ち鳴らしているといえる。だからこそ、永遠の生命力がある。

 ※藤子不二雄ランドVOL.1『海の王子』1巻(1984年、中央公論社)

 「漫画少年」というよき土壌で培われた個性をその後長年にわたって保ち続けながら万人に愛されている“藤子不二雄”という作家。その個性の貴重さ・良質さを手塚先生は説いておられたのです。

 

 

 この手塚治虫ポストカードコレクション展昼飲み会のときもそうでしたが、藤子不二雄Ⓐ先生の訃報に触れてから、チューダーを飲んだりラーメンを食べたりと飲食することで先生を偲ぶ機会が多いです。

 “飲食”という行ないでⒶ先生を偲ぶのは、慣習的なものと言いますか無意識的なものと言いますか、これといって深い意味はないのですが、あえて言えば、『まんが道』の「ンーマイ!」をはじめⒶ先生は食べること飲むことのまっすぐな喜びと楽しさを私に教えてくれた存在であるからです。

(同様に、『大長編ドラえもん』など藤子・F・不二雄先生の作品からも飲食することの純粋な楽しさを教わった気がします)

 

 好きな物を食べて「おいしい」と感じることの快楽は幼少のころより楽しんできたのですが、「飲食するってこんなにも生きることの楽しさや幸福感と直球で結びついているものなのか!」とはっきり目覚めさせてくれたのはⒶ先生とF先生、つまり“藤子不二雄”だったと思うのです。

 

 そういう個人的な体験もありまして、「Ⓐ先生の作品を再読すること」「Ⓐ先生の思い出を振り返ること」に加え、「飲食」という営為によっても頻繁にⒶ先生を偲んでいる次第です。