永田竹丸先生ご逝去

 永田竹丸先生の訃報が…。

永田竹丸先生の訃報にあたり豊島区長よりコメントを発表します 令和4年10月27日

漫画家の永田竹丸先生(齢88歳)が19日に亡くなられたと、ご遺族より訃報の連絡を受け、高野之夫豊島区長より下記の通りコメントします。

 

区長コメント

突然の悲報に接し、心より哀悼の意を表します。

永田先生には、トキワ荘マンガミュージアムの開館企画展「漫画少年トキワ荘」に多大なご協力を賜りました。さらに、トキワ荘の文化継承にあたり、資料収集や地域の取り組みにもお力添えをいただき、深く感謝しております。

ご生前のご功績を偲び、心からご冥福をお祈りいたします。

 

https://www.city.toshima.lg.jp/013/kuse/koho/hodo/r0410/2210271356.html

 

 「中日新聞」で連載された『キャラとメル』などの漫画で幼少の頃から楽しませていただきました。

 トキワ荘通い組のおひとりで第一次新漫画党メンバーだった永田先生…。『まんが道』の登場人物としての永田先生のお姿も印象深いです。それまで雑誌などで先生の漫画を目にしていたのですが、永田竹丸という存在を初めてくっきりと認識したのは『まんが道』においでだったと思います。

 藤子ファンとしましては、藤子スタジオに在籍されチーフアシスタントを務められたのも重要なご経歴です。

 

 2013年に森下文化センターで開催された永田先生のご講演を聴き、講演後「漫画少年」の展示を一緒に見学できたのは大切な思い出です。

 

 藤子・F・不二雄先生が、永田竹丸先生と森安なおや先生に藤子不二雄Ⓐ先生を加えた三人がトキワ荘の遊び人グループだとおっしゃっていたのも思い出します。

 

 永田竹丸先生のご冥福をお祈りします。

 

 

 ※追記

 永田竹丸先生は、1968年(67年の説もあり)~73年藤子スタジオに在籍。ご自分の仕事もしつつ、藤子スタジオのチーフアシスタントを務められました。

 永田先生の席は藤本先生(藤子・F・不二雄先生)のすぐ脇。『ドラえもん』連載スタート直前の時代にその席でお仕事をなさっていたわけで、藤本先生が当時のことを描いたマンガ『ドラえもん誕生』(初出:1978年)に永田先生のお姿が登場しています。作中では、アイデアがなかなかまとまらない藤本先生が「夜の10時にもなって、まだまとまらない。おれ、もういやだ!!」とわめきだしても、その脇で黙々と作業している端正なお顔の男性が永田先生です。

 永田先生はⒶ作品である『まんが道』『愛…しりそめし頃に…』に登場するとともに、別の時代を描いたF作品『ドラえもん誕生』にも登場するのです。

 

 永田先生のマンガ作品のなかで比較的多くの人に読まれていると思われる『トキワ荘物語 漫画少年合作の記』(初出:「COM」1970年3月号)は、永田先生が藤子スタジオに在籍されていたころに描かれた作品。『トキワ荘物語』は、トキワ荘グループの漫画家さんが「COM」でリレー連載したもので、むろん藤子先生(Ⓐ先生)も執筆陣に加わっています。

 そして、永田先生の『トキワ荘物語』には「漫画少年合作の記」という副題がつけられています。

 藤子スタジオでチーフアシスタントの仕事を担う永田先生は、『トキワ荘物語』をなるべく夜や休日に描き進めようと思っていました。が、それだけでは間に合わなくなり、藤子スタジオでも手隙の時間に描くことに。

 締切が間近に迫ったある日、永田先生は藤子スタジオのアシスタントの一人・Sさんに背景を手伝ってくれるよう頼みます。

 そういうわけで、永田先生の『トキワ荘物語』は、ストーリー構成や人物のペン入れはもちろん永田先生がやったのですが、背景については、永田先生は写真資料などを参考にアタリだけやって、あとはほとんどSさんが描いたのだそうです。

 

 このSさん、こつこつと丹念に緻密な背景を描くアシスタントさんで、『マグリットの石』の陰間鏡二などのモデルとなった人物です。