映画『PLAN75』を観た

 今年7月のことです。

 映画『PLAN75』を劇場で観ました。藤子・F・不二雄先生の異色短編『定年退食』と共通のテーマをもった映画との噂を目にしたからです。

 

 75才以上の国民に生死を選ぶ権利を与える制度「PLAN75」。その制度が施行され運用されている近未来の日本を描いた映画でした。

 そういう制度があるかどうかの違いだけで、現在の現実の日本が抱える問題をつぶさに記録したかのようなリアリティがじわじわと胸に迫ってきました。

 

 地味に慄然としたのは、「PLAN75」を宣伝するポスター、のぼり、CMの雰囲気です。生死を選ぶという重大な制度でありながら、宣伝がじつに明朗なのです。

 その明朗さが怖かった……。

 死を選ぶことをカジュアル化しようという国の本音が透けて見えるような、イヤ~な感じを受けました。

 現に、旅行のツアーに申し込むようなカジュアルさで「PLAN75」の申込み受付がおこなわれる描写がありました。

 

 なぜか泣けてきたのが、ボーリングのシーンです。死を選択した主人公に一瞬訪れた少し楽しげな時間。ルール上は会っていけない「PLAN75」担当者が主人公に会ってくれた、という事態が私の涙を後押ししたようです。

 

 あえて語られない多くの余白から、観客がそれぞれに想像させられ、考えさせられる……。そんな映画でもありました。

 倍賞千恵子さん演ずる主人公の沈黙から伝わってくるものに、胸が締めつけられました。彼女の凛としたたたずまいが、この映画の魅力を支えていた気がします。

 

 前述のように、『PLAN75』は75才になったら生死を選べる制度が施行された近未来日本を舞台とした映画です。

 生死を選べる……といえば国民の選択の幅が広がったようで好ましく感じられる面もありますが、この制度は高齢者が死を選んでくれることを期待するニュアンスを多分に含んでいます。

 そのように、ある年齢に達したら国から棄民的な制度を課される話は、『PLAN75』や『定年退食』のほかにもあります。

 https://koikesan.hatenablog.com/entry/20180921

 ↑当ブログでは、こちらの記事で永井豪『赤いチャンチャンコ』や筒井康隆『定年食』』などを紹介しています。このテーマに関心がおありの方に読んでいただけたら幸いです。

 

 パンフレットを購入して劇場をあとにし、一緒に見た友人と感想を語り合いました。