「紙工作が大あばれ」「恐竜が出た!?」「恐竜さん日本へどうぞ」放送

 2月24日(金)の「わさドラ」は、1時間に拡大しての〝恐竜スペシャル〟。今月初めあたりから毎週続いている恐竜関連のエピソードが、今回は3本立てで放送された。映画『のび太の恐竜2006』公開に向けて視聴者を恐竜漬けにしようという作戦である。私は、恐竜をはじめ古生物や絶滅動物が好きなので苦にならないが、ちょっと恐竜関連のエピソードを続けすぎな感は否めない。『のび太の恐竜2006』公開前の1ヶ月間を恐竜一色で盛り上げていきたいという愚直な熱意は伝わるが、やりすぎは逆効果だろう。今週と来週を恐竜ネタで埋めつくすくらいがちょうどよかったのではないか。



●「紙工作が大あばれ」

初出:「小学二年生」1977年12月号ふろく
単行本:「てんとう虫コミックス」17巻などに収録

【原作】
 藤子・F先生は恐竜が大好きだったが、工作や模型も大好きだった。人気漫画家になってからはゆっくり工作をしている暇がなかっただろうが、本作は、F先生の大好きな工作でF先生の大好きな恐竜を組み立てるという、F先生の趣味が素直に表出した話である。


 冒頭、ジャイアンスネ夫が、雑誌ふろくの組み立て式円盤で遊んでいる。それを見たのび太も家にへ帰って円盤を作ろうとするが、ママが捨ててしまったあとだった。のび太は「あれだけは作るつもりだったんだあ」と泣きわめく…… 本作は「小学二年生」1977年12月号の別冊ふろくで発表されたものらしいが、ふろくで発表された作品の冒頭でふろくのネタを使うところにF先生の遊び心が見られる。
 

 のび太らは、紙工作でいろいろなものを組み立てる。なかでも傑作なのは、紙でこしらえたお菓子をのび太ドラえもんしずちゃんが食べるシーンだ。3人がおいしそうにお菓子を食べるだけの何気ない構図だが、そこに、紙をかみちぎる擬音〝メリメリ〟〝ビリビリ〟〝バリバリ〟を添えることで、少し不思議な雰囲気が見事に醸成されている。お菓子を食べるおいしさ・楽しさと、紙を食べる異常さ・不思議さの感覚をほどよくブレンドした、魅惑的なひとコマである。




わさドラ】(燃えろティラノサウルス! 紙工作が大あばれ) 
 紙工作のテレビに映る映像が、原作と同じだったのにちょっと感嘆。教会を背景に、月夜の空を魔法使いがほうきにまたがって飛ぶ映像である。
 紙工作のお菓子を食べるシーンは、とても楽しそうでおいしそうだったけれど、肝心の音の演出が少し足りなかったような気がする。


 紙工作の恐竜を退治しようと紙工作で武器を作るドラえもんのび太、しずかちゃんのハサミを使う手が小刻みに震えていたのが非常に印象的だった。3人の焦りや緊張がひしひし伝わってきた。


 怖い恐竜から逃げている真っ最中なのに、「さすが40ページ分の恐竜だ」(ジャイアン)、「大迫力だ」(スネ夫)、「大したもんだ。力作だよ」(のび太)などと、男の子たちは巨大な工作物に感心することしきり。身の危険にさらされていても、彼らはその巨大でカッコいい紙工作に魅了されていたのだった。


 ラスト、原作のパパは、火のついたマッチをポイ投てするが、さすがにこの行為はアニメで変更されるだろうと思っていた。アニメでは、紙工作の恐竜がパパにかぶりついたところでパパがライターで火をつけ、そこから火が移って恐竜が燃えてしまうという流れになっていた。だが恐竜が燃えるシーンで炎は描かれず、恐竜がまたたくまに灰と化していく描写になっていた。その様子は、紙が燃えているのではなく、何か別の化学変化が起こっているように見えた。炎を描かなかったことに何か自主規制的な意味合いがあるのだろうか。
 最後は、ちりぢりとなった恐竜の灰が、雪のように辺りに舞い散って、いやに綺麗なシーンになっていた。




●「恐竜が出た!?」

初出:「小学三年生」1979年7月号
単行本:「てんとう虫コミックス」21巻などに収録

【原作】
 未来の恐竜展のプログラムは、それをポンと叩くと、中から本物のように動くミニチュアサイズの恐竜が出てくる、という優れもの。てんコミ6巻の「ほんもの図鑑」に似た機能があるのだ。のび太は、そのプログラムから恐竜をたくさん出し、箱庭的な恐竜の動物園を作って楽しむ。こうしたミニチュア趣味・箱庭的空間は、F先生のさまざまな作品で見られ、『ドラえもん』でもミニチュアの街並だとか箱庭のスキー場だとか様々なかたちで登場している。本作の恐竜動物園なんて、小さな小さなジュラシック・パークといった趣で、かなり夢のある箱庭だと思う。


 本作で描かれた、大昔に絶滅したはずの恐竜が現代の日本で目撃された…という騒動は、「もし今の時代に巨大な恐竜たちが生き残っていたら…」というF先生のロマンを、短い話のなかで表現したものだろう。
 現在も恐竜がどこかで生き残っているかもしれない、もし生き残っていたらどんなことになるだろう、という〝IFの世界〟を、F先生がその当時の最新の学説と卓抜な想像力を駆使して本格的に作品化したのが、『大長編ドラえもん のび太と竜の騎士』である。
 少年のころコナン・ドイルの小説『ロスト・ワールド』を読んでワクワクした経験のあるF先生だが、現実問題として考えれば、現代のように監視衛星が飛び回り、地球の隅から隅まで探査されてしまった時代にあっては、恐竜が生き残っている地域があるとは考えにくいと言う。
 現代でもたびたび恐竜の目撃談があったりすることから1匹や2匹くらいどこかに生き残っていても不思議ではなさそうだが、1匹や2匹の固体が残っていても仕方なく、何百匹という集団がまとまって生活していない限り、恐竜が生き残っている地域はありえない、とも述べている。そこでF先生は、地球の内部に空洞があって、その空洞のなかで恐竜たちが保存されて生き残っている、という設定を考え、『のび太と竜の騎士』を生み出したのだった。


 F先生は、恐竜が現代に生き残っている可能性は低いとしながら、このようにも語っている。

もう本当に、(恐竜が)絶対にいないのかと問い詰められたら、絶対にとはいいきれないわけです。今まで、何匹もいたのが、最後の1〜2匹になって、それが今、目撃されているのかもしれない。そういう可能性も百パーセント否定できないわけですよ。
(「藤子・F・不二雄の異説クラブ2」(小学館/1991年1月発行)

 こうした考え方は、オカルト現象・疑似科学全般に対するF先生の基本的な態度として貫かれている。

世上に取りざたされる諸々の不可思議現象、つまりオカルト、超能力、霊、前世、来世の存在、ついでにUFO、ネッシー、雪男まで引っくるめて(かなり乱暴な引っくるめ方ですが) ま、有るとか無いとか議論のつきないそれらの諸々に対してですね。僕の立場を問われるならばですね。つまりその、肯定派なのか否定派か、そこんとこハッキリさせろと言われればですね。そりゃもうキッパリ断言するけど、昔から一貫して宙ぶらりん派であります。
(中公愛蔵版『新うしろの百太郎』1巻(つのだじろう著/中央公論社/1995年発行)F先生による解説文「信じようと信じまいと」)

 F先生は、諸々の不思議現象に人一倍強い関心と深い造詣を持ち、さかんに創作のネタにしていたものの、それらの現象を手放しで信じるのではなく、むしろ科学的かつ懐疑的な眼差しをむけながら、〝完全に肯定もしないが、完全に否定もしない〟という中間的な態度をとっていたのだ。




わさドラ】(のび太の街、大パニック 恐竜が出た!?)
 話の導入部、ハイキング中のカップルが恐竜を目撃するシーンでの恐竜の見せ方がうまかった。こういう始まり方はわくわくする。


 高井山で恐竜が目撃されたとの報道を受けてドラえもんのび太が現地を探索。いろいろな恐竜が、ドラえもんのび太の死角となる位置でちらりと顔を出したり横切ったりしたあと、いよいよ2人が恐竜と遭遇するまでの場面は、ハリウッドの秘境探検映画を観ているようなゾクゾク感があった。こういう場面でゾクゾクするなんて、私も恐竜(が出てくる冒険物語)が好きなんだなあと改めて実感した。


 ドラえもんのび太が、高井山に恐竜が出現した謎を順々に解明していくシークエンスは、推理小説の種明かし場面に触れているような醍醐味があった。
 ドラえもんのび太が高井山で目撃した、ティラノサウルスと思われる肉食恐竜の右目の周囲が不自然に黒かったので、「あれっ、なんでだろう?」と気になっていたのだが、その黒い部分がヒントになって推理が進んでいく展開を見て、「なるほど!」と腑に落ちた。
 未来の恐竜展のプログラムにある肉食恐竜の右目にのび太がいたずら書きをした事実を思い出したドラえもんは、自分らが高井山で目撃した目の周りの黒い恐竜と、そのいたずら書きをされた恐竜が同一だという認識に至ったのである。





●「恐竜さん日本へどうぞ」

初出:「小学五年生」1981年8月号
単行本:「てんとう虫コミックス」31巻などに収録

【原作】
「恐竜さん日本へどうぞ」は、1981年7月、東京上野の国立科学博物館で開催された「中国の恐竜展」から材をとった作品だ。「中国の恐竜展」を訪れた50万人のうちの1人だったF先生は、同展で見聞した内容をただちに『ドラえもん』に取り込んだのである。私はこの作品を、「コロコロコミック」1983年8月号の再録で初めて読んだ。恐竜といえば北アメリカ大陸やアフリカ大陸で発見された種類ばかりが有名だったなか、本作で中国の恐竜に初めて触れた私は、その珍しさに興味をそそられた。なかでも主役といえるのは、体長22メートル、体重50トンのマメンチサウルスだろう。 作中のマメンチサウルスは、博物館に展示された骨格標本が精密かつ巨大に描写され、白亜紀の場面ではその全身像が見開きの大ゴマでスケール感たっぷりに描かれている。マメンチサウルスが何気なく振り向くたびに、ドラえもんのび太がたいへんな思いで走らなければならないという事態を見せることでも、この恐竜の桁外れな首の長さが強調されている。
 現実の「中国の恐竜展」でマメンチサウルスの骨格標本を見たF先生の大きな感動が、そうしたいくつかのシーンから熱く立ちのぼっている。




わさドラ】(恐竜おもいっきりスペシャル! 恐竜さん日本へどうぞ)
 原作で見開き大ゴマを使ってマメンチサウルスの大きさを表した場面、アニメでは、首、胴、尾を順番にパンしていくことで、その長大な全長を表現していた。マメンチサウルスが何とはなしに首をきょろきょろするだけで、それを追いかけるドラえもんのび太が長距離を走る羽目になるところも、よく描写されていた。


 しずかちゃんが、遊びに行く先としてのび太ではなくスネ夫の家を選ぶオチは原作と同様だが、「わさドラ」では、その旨を伝えにしずかちゃんがわざわざのび太の家まで足を運んできた。おかげでのび太は、一瞬しずかちゃんが自分のところへ来てくれたと喜び、実はそうではないと分かってべそをかくのだった。このオチは楽しめた。





●書籍情報
バカボンのパパはなぜ天才なのか?」(斎藤孝著/小学館/本体1500円)
〝「失言力」で人生の強度を上げる〟というテーマで、『ドラえもん』が論じられている。
http://www.bk1.co.jp/product/2649109