「アメトーーク」でドラえもん芸人放送

 19日(金)テレビ朝日の深夜バラエティー番組『アメトーーク』で「ドラえもん芸人」が放送された。司会は、雨上がり決死隊の2人、ドラえもん芸人として、柴田理恵、千秋、千原兄弟有野晋哉品川祐関暁夫が出演。『ドラえもん』をテーマに熱いトークやクイズが繰り広げられた。



ドラえもん』に対するマニア度という面から見れば、当然ながら濃度が薄く、披露された知識の多くが精密さ・正確さに欠けていたが、ドラえもん好きの一視聴者として、素直に面白がって観ることができた。(最初から、大らかに屈託なく観ようと決めていた・笑)



 やっぱり柴田理恵さんの泣き芸が出た。彼女が出るからにはこれしかない(これ以上のものは期待していない)。今回は自分で「のび太結婚前夜」について語っているうち感極まって泣き出すパターンではなく、他の芸人さんからドラえもん感動話を聴いているうちに思わず泣きじゃくってしまう、というかたちだった。柴田さんは、『ドラえもん』に関する知識は乏しいが、素直に(ちょっと過剰なほどに)感動できる心を持っているので素敵ではないか。私は、柴田さんが感動話で簡単に泣いてしまう人だと知っていながら、彼女の泣きにつられてホロリときてしまったw (番組的には、柴田さんの泣きから視聴者の笑いを誘発したいのだろうが)
 知識の多寡や薀蓄を披露する才気も大切だけれど、純粋に愛情表現ができたり素直に感動できたりする感性を保持し涵養していくほうが、より根源的に大切なことだなあ、としみじみ思った。



 千原Jr.は、藤子・F・不二雄先生が描いた3つの最終回話を披露。3つのうち1つはてんとう虫コミックス第6巻で読める「さようなら、ドラえもん」だが、あとの2つは単行本未収録作品(「小学四年生」1971年3月号と同誌1972年3月号で発表された作品)である。彼がこうして単行本未収録作品について語れるのも、2002年6月放送のCS(フジテレビ721)の番組で「ドラえもんの最終回を訪ねて」という企画をやったからであろう。この番組のなかで千原Jr.は、単行本未収録の最終回2作を実際に読んだのである。そのときの記憶が曖昧になっているためか、今回はストーリーの細部をかなり誤って語っていた。
 ちなみに、「小学四年生」1972年3月号で発表された最終回は、1973年に放送された日本テレビ版アニメ『ドラえもん』の最終話の原作として使われているそうだ。



 有野さんはあまり出しゃばらなかったが、彼が語ることは勘違いや混乱がなく、しっかりと知識を押さえている印象であった。マニア的には、有野さんあたりに最も好感がわくかな。
 クイズで優勝した有野さんは、アニメ『ドラえもん』に出演が決まったけれど、いったいどんなかたちでドラえもんのび太に絡んでくるのだろう…
 あと、上京したばかりで不安なとき映画ドラばかり観て救われた、という宮迫さんの話に少しグッときた。



 さて、屈託のない気持ちで観ていたとはいえ、アニメ『ドラえもん』を放送しているテレビ朝日が全国のお茶の間に不正確なドラ知識を流しっぱなしでは、変な誤解や噂が広まる原因にもなりかねず、その点は心配だ。個人的に気になった点をここで訂正しよう… と思ったら、「『修魑』流ブログ 魑道をゆく」さんが、私がやろうとしていた以上に多くの点を訂正をしてくださったので、そちらをご参照いただきたい。
http://blogs.yahoo.co.jp/shu_chi_shu_ra/archive/2007/04/20



「『修魑』流ブログ 魑道をゆく」さんが指摘されたほかに私が触れたいことはこれといってないのだが、私がすでに書き進めていた部分だけは、せっかくなのでアップさせてもらいたい。たいていのドラえもんファンには周知の内容だが、一般の視聴者が混乱を招きやすい部分を整理しておきたかったのだ。


●品川さんが語った知識「ジャイ子の兄ちゃんだからジャイアンという仇名になった」は、公式設定でも何でもなく、ひとつの仮説である。ひところアニメ・マンガの世界観やキャラクターなどに解説を加えたりツッコミを入れたり科学的な分析をほどこしたりする“謎本”なる非公式本が流行ったが、そうした謎本の一冊『野比家の真実』のなかでこの仮説が示されたのだ。あくまでも謎本を書いた人による一つの仮説でしかなかったものが、あたかも公式設定であるかのようにネット上で広まってしまって、今でも「ジャイ子の兄ちゃんだからジャイアンという仇名になった」と信じ込んでいる人が多くいる、というわけだ。



●品川さんが「ドラえもんが青色になった理由」として、「もともとは違う色で耳もあって、ネズミにかじられて、そのときの恐怖で青くなった」と説明し、その補足みたいな感じで関さんが「で、3日3晩泣き続けて、それでメッキが剥がれて青くなった」と付け加えていた。でも、これだけの説明だと話がごっちゃになって混乱を招いてしまう。
 ドラえもんが青色になった理由が初めて示されたのは、方倉陽二先生の描く『ドラえもん百科』においてだった。ネズミに耳をかじられたドラえもんが自分の姿を鏡で見て青ざめてしまった、というものだった。この方倉設定が、1980年1月2日放送のアニメ「ドラえもんのびっくり全百科」のなかで紹介され、「ドラえもんが青くなった理由」として本格的に流布していったのだ。私の世代では、この方倉設定に馴染みの深い方が多いんじゃないかと思う。
 ところが、1995年に公開された映画『2112年ドラえもん誕生』(監督・脚本 米谷良知)において、この方倉設定が覆される。工作用ネズミロボットが誤ってドラえもんの耳をかじってしまい、ドラえもんは耳を失う。そこでドラえもんは元気を出そうと「元気の素」を飲むのだが、それが実は「悲劇の素」だったため、3日3晩泣き続けることに。そうやって泣き続けた振動で黄色のメッキが剥がれ、地の青が露出してしまった、という新たな設定が提示されたのである。さらに原作者の藤子・F・不二雄先生が、「混乱している情報を整理する意味でこのアニメを作りました。もう二度と変えませんから信じてくださいね」と、この映画で描かれた内容こそ決定版の公式設定だと明言したため、旧来の方倉設定は退けられてしまったのである。
 つまり、品川さんが語ったのは『ドラえもん百科』で提示された方倉設定、関さんが捕捉したのは映画『2112年ドラえもん誕生』で提示された決定版設定、ということであり、2人の発言は別個の設定なのである。