原恵一映画祭「オトナ帝国20周年記念特集」【アップしそびれていた話題】

 10月16日(土)のことです。

 第7回モーレツ!原恵一映画祭in名古屋「オトナ帝国20周年記念特集」に参加しました。

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 熱心な原恵一ファンの皆様が毎年この時季に開催している熱い催しです。

 

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 会場は名古屋駅近くのシネマスコーレ。

 名古屋でこういう愛しい催しが開かれるのはそれだけで貴重な機会ですし、毎回趣向を凝らした企画を立ててくださってほんとうにありがたい限りです。

 

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 名作『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』(以下、『オトナ帝国』)の35mmフィルム上映には感銘を受けるばかりでした。デジタルが圧倒的主流となってフィルム上映のできる劇場が限られてきたなか、シネマスコーレはフィルム上映可能な稀少な劇場とのこと。そういう事情を知ったうえでこのたびのフィルム上映に触れると、デジタルとかフィルムとかにそこまでこだわらない私ですらじつに感慨深い思いに満たされるのです。

 

 『オトナ帝国』は、懐かしい景色・懐かしい現象・懐かしいアイテムの描き方がすばらしくて、マインドコントロールによって病的なまでに懐かしさに魅入られていく劇中のオトナたちの心情に私もぐんぐん吸い寄せられました。うかつにも、あちらの世界へ入りびたってしまいそうでした。

 そもそも、「懐かしい」という心情は甘美ですてきなものです。この映画で描き出される懐かしさもまた、とても魅惑的なものでした。

 ところが、この映画を観ている最中、その魅惑的な懐かしさにハマりすぎては危険だ、と私の理性が警告を発しました。懐かしさの捕囚になってはいけない、いっときだけ懐かしさを嗜んだらパッと“今”に帰還すべきだ、と自分に言い聞かせたくなりました。

 そうしないといけないくらい、私はどうしようもなくこの映画が描き出す懐かしさに魅入られていったのです。

 そういう思いを、今回の『オトナ帝国』鑑賞では強く抱きました。これまでも『オトナ帝国』を観れば大なり小なりそういう思いを抱いてきたのですが、今回はこれまでにも増してそれが強かったのです。

 どうしてでしょう。

 

 私が年齢を重ねたことで、これまで以上に懐かしさに弱い体質になったのかもしれません。年齢を重ねるにしたがってしだいに涙腺が弱くなっていったように、懐かしさにも弱くなってしまったのでしょう。

 私は、昭和30年代とか40年代の日本の風景・状況が何らかのメディアで“良きもの”“美しきもの”として映し出されたとき「ああ、いいなあ」と好感や懐かしさを抱くことが多いです。古き良き日本の風景だなあ…とうっとりすることもあります。

 しかし、だからといって、あの時代が今よりよかったとは思いません。

 あの時代に(一時的にタイムスリップしてみたいとは思うけれど)完全に戻ってしまいたいとは思いません。

 自分がバリバリの子どもだった時代ですから、昭和40年代(~50年代あたり)には特に身におぼえのある強い郷愁を感じます。自分が子ども時代を送ったからこその、あの時代への個人的な憧れを封じることはできません。

 

 ですが、だからといってあの時代に完全に帰りたいとまでは思わないのです。客観的に見て、あの時代が今より断然よかったとも思いません。

 よいこともあったけれど嫌なこともいっぱいあったし、あの時代を完璧に理想化したくなるほどの強い思いは私のなかに生じません。

 

 私は、「あの時代の〇〇はすごかったけど、今の〇〇は面白くない」とか「あの時代はよかったなあ。それに比べて今は…」とか「今どきの若者は〇〇だ」みたいな語法が苦手です。「今よりあのころのほうが絶対よかった」というような断定に抵抗を感じます。(とともに、「おっさん構文」とか「老害」といった語も苦手です。特定の年齢や世代や時代によくないイメージを与えようとする言葉に違和感をおぼえるのです)

 

 そうやって苦手だとか抵抗を感じるとか言いつつ、自分でもそうした言葉をつい使ってしまうことはあるし、特定の時代や世代に対して偏見的な評価をしてしまうこともあります。ですから、そうした言葉たちを完全に否定するわけではありません。否定しようにも否定できないのです。

 客観的に見て今より昭和30年代・40年代のほうがよかった点も多々ありましょう。昭和の優位性がデータで裏づけられる事象だっていろいろありましょう。また、客観性はないけれど、昭和への懐かしさのあまり「あのころはよかったなあ、それに比べて今は……」と感慨にひたってしまうことだってあるでしょう。

 

 それはそうなのですが、でも、これだけは意識しておきたいのです。自分自身がそういう感じ方・言い方をしてしまったとき、できるかぎり注意を払おうと。自分がそういうことを感じたり言ってしまったりしたとき、そのことに無自覚でいたくないのです。なるべく警戒していたいのです。

 「昔はよかったなあと思ってしまうのは、自分が新しい時代の文化や情報や技術についていけなくなっただけではないか……。だから昔はよかったという観念に逃げ込もうとしているにすぎないのではないか」と、そうやって警戒することで、昔はよかったと一方的に思ってしまうことに対する抑止としたいのです。

 むろん、上述したように、客観的に見て現在のほうが昭和のころより劣化した事象もいろいろありましょう。昔のほうがよかったと言ってしまいたい誘惑にもかられるでしょう。それはそれとして認めながら、自分が新しい時代についていけなくなっただけではないか…という自問自答を忘れたくないのです。今まさに自分が生きているこの時代への敬意と感謝をおろそかにしたくはありません。

 

 そうやって警戒・自問自答したうえで私は、昔を懐かしく振り返り、「あのころはホントよかったなあ」と一時的に郷愁にひたって少々うっとりするくらいの気分は肯定的に味わいたいと思います。ミュージアムや博覧会や映画やマンガなどで、ある程度美化されたあの時代の情景・文化に触れて刹那的に気持ちよくなって懐かしがることができれば本望です。

 

 個人的にどの時代がいちばん好きかなんて簡単に決められません。あえて言えば、私には昭和30年代とか40年代よりは今のほうがおそらく住みやすいはずです。今のほうがたぶん生きやすいだろう、と感覚的に思うのです。

 肉体も感性も記憶力も若いころより衰えてしまったので、若かった自分が生きていた時代を輝かしく愛おしく美しく感じる瞬間はあるでしょう。けれど、今の時代のほうがどちらかと言えば私に合っていると思うのです。今のほうが昔よりも合わないなと感じる事柄もありつつ、今のほうが比較的適応しやすい気がするのです。

 錯覚かもしれませんが、そう感じるのです。

 

 あれ、なんだか『オトナ帝国』の話からだいぶ外れてしまいましたね…。

 ともあれ、以上のように考えているはずの私なのに、原恵一映画祭で『オトナ帝国』を鑑賞したときは意外なほど昭和の懐かしさに誘惑され、劇中のオトナたちと連れ立って昔の世界にどっぷりハマり込みそうになったのです。無自覚に、無警戒に、手放しで「昭和サイコー!」と叫びたい心境にとらわれたのです。なんだかヤバい気分でした(笑)

 われながら、それが少し不思議でしたし、やはりなんだかんだ思っても「昭和」の誘惑は強力なのだと再認識したのでした。

 自分が生きた元号への愛着をあえて言うなら、「平成」「令和」よりも「昭和」に分があるのは否定できません。私のなかには「昭和」を格別視する体験的な土壌が拭いがたく存在しているのです。世代的な宿命でしょう。

 昭和のころより今のほうが生きやすいのではないかと感じながら「昭和」に最も愛着を抱くという、妙に分裂的な精神を私は持っているようです(笑)

 

 私はこれまで『オトナ帝国』を何度か観てきました。観るたびに泣けたシーンは今回もやっぱり泣けました。

 靴の臭いで正気を取り戻したヒロシが自分の半生を回想するシーンと、タワーを駆けのぼったしんちゃんが渾身の訴えをするシーンです。この2つのシーンは毎度泣けます。

 私が泣けたからその映画は傑作である、とは言いません。あまりよい出来栄えではない映画だとしても、泣けてしまうことはけっこうあります。泣けた=傑作と評価するのは無理があります。そもそも私は、泣くことを目的に映画を観るわけではありません。

 とはいうものの、「泣けた」というその感情体験は、それを体験をした個人にとってはやはり好ましいことなのです。泣けた映画には個人的に好感を抱きたくなるものです。

 『オトナ帝国』の場合は、泣けたからそれだけでも観てよかったと思えますし、そのことを除いて冷静に評価しても傑作だと思います。泣ける傑作映画なのです。

 そんなすばらしい映画を、今回は劇場のスクリーンで、しかもフィルム上映で観られたのですから、このイベントに対するありがたみは非常に大きいです。

 

 『オトナ帝国』上映の前には、テレビシリーズ『クレヨンしんちゃん』の未ソフト化エピソード『母ちゃんと父ちゃんの過去だゾ1』の上映もおこなわれました。

 この上映作品セレクトが絶妙なのです。

 なにしろ、『母ちゃんと父ちゃんの過去だゾ1』で描かれた内容が発展して映画『オトナ帝国』へとつながっていったのですから。原恵一監督が「実はテレビシリーズに『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』を作るきっかけになった回があった」とおっしゃっていて、その回がほかならぬ『母ちゃんと父ちゃんの過去だゾ1』だったのです。

 それを思うと、このエピソードを『オトナ帝国』の同時上映作として劇場で観られたのは、またとない特別な体験だったわけです。「なんと贅沢で意味深い二本立て興行だったことか!」と感嘆の気持ちを禁じえません。

 

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 『母ちゃんと父ちゃんの過去だゾ1』と『オトナ帝国』の上映後は、『オトナ帝国』の絵コンテ(の一部)をスクリーンに映して見せてくれるコーナーとなりました。

 昭和の情景への思い入れがみなぎる原恵一監督による、絵コンテ段階でのあの緻密な描き込みを見れば、観客(=私たち)や劇中のオトナたちが映画本編のなかで懐かしの世界にスイスイとのめり込んでいくのも必然だよな、とうなずかされます。原監督の昭和のへの思いと優れた演出力・表現力に抗うことなどできません。その世界へ引きずり込まざるをえないのです。

 水島努氏が担当したカーチェイス・シーンの絵コンテも映されました。ネコバスの運転ローテーションや追突して山積みになるスバルの群れのめまぐるしい動きが、絵コンテでどう描かれていたか見られて満足です。

 絵コンテにあったのに本編でカットされたシーンも紹介されました。それは絵コンテだけでもウルッと来そうな、抒情的なシーンでした。

 

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原恵一映画祭は、色紙や関連品などの展示も毎度のお楽しみです♪

 

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・資料性の高いパンフレットは永久保存版。『オトナ帝国』公開当時の新聞記事・広告や関連グッズがいろいろと掲載されています。まさに「資料」です。

 このパンフレットに掲載されている“原恵一絵コンテ・演出リスト”は、以前までの同リストでは不明だった『オバケのQ太郎』の担当回も判明して、(現時点での)完全版となっています。労作です。

 

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・受付のときに整理券と一緒にもらえた“しんちゃんめんこ”は、『オトナ帝国』のレンタルビデオの販促品だったようです。

 

 スタッフの皆様、今年もお疲れさまでした。

 すてきなイベントをありがとうございます!

 

 余談ですが、今回の原恵一映画祭で『オトナ帝国』が上映されると知る前から浅羽通明『昭和三十年代主義』を読み始めていました。

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 この本の第二章は、昭和30年代ブーム・昭和レトロブームが本格的に到来する前に先駆け的にこのテーマに斬り込んでいた作品として『オトナ帝国』を取り上げ論考を展開しています。この本をたまたま読んでいた頃合に原恵一映画祭の上映作が発表されたので、個人的にタイムリーでした。