「魔界大冒険」小研究1(デカルト、ニュートンと科学革命)

 もはや旧聞に属する話だが、柳沢厚生労働大臣がある講演で「女性は子どもを産む機械」という失言をして大騒ぎになった。この問題について考えるところはいろいろあるのだが、ここでは「女性は子どもを産む機械」という言葉を元にして、少し話を飛躍させてみたい。


 柳沢大臣は、女性という一方の性のみを機械にたとえてしまったわけだが、性別に関係なく人間の身体そのものを機械にたとえる思想の大元といえば、やはり近代哲学の父・デカルトになるだろう。「われ思う、ゆえにわれあり」というフレーズで有名な人物だ。
「われ思う、ゆえにわれあり」は、デカルトの自叙伝的哲学書方法序説』で書かれているのだが、この『方法序説』のなかで、人間の身体は機械のようなものだという考え方が提示されるのである。そこでは、人間の身体だけでなく、自然の営みもまた機戒のように物理的に把握できるメカニズムとして考えられている。こうしたデカルトの思想を「機械論的世界観」と呼ぶ。
 さらにデカルトは『方法序説』のなかで、機械論的世界観で説明できる身体と、そういう方法では説明不能な精神とを“別物”として切り離して考える「心身二元論」も唱えたのだった。



 こうしたデカルトの機械論的世界観や心身二元論が、力学・物理学をはじめとした自然科学に思想的な土台を与え、そのことが近代の科学技術文明を世界的な規模で大きく発展させていったのである。
 戦後の日本でも岩波文庫で『方法序説』が翻訳され、毎年1万冊くらい売れながら、日本の高度経済成長に寄与したという。



 デカルトの思想が端的にあらわれた今日的な問題に「脳死」と「臓器移植」がある。「脳死」を人の死と認めてしまう背景には、デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」という考え方が根差しているのだ。
 自分で思う(考える・思惟する)ことができるからこそ人間は人間として存在しているのだとすれば、自分で思う(考える・思惟する)ことができなくなった人、すなわち脳死状態になった人は(たとえ臓器が動いていても)生きた人間ではない、だから脳死の人の身体から臓器を取り出して他者に移植してもかまわない、という論理が生まれるのである。
 臓器をあたかも機械の部品のように取り替え可能なものと見る発想も、デカルトの機械論的世界観に基づいている。



 こうした端的な事例でなくとも、我々は現在、高度に発達した科学技術文明の恩恵にどっぷりと浸かって生きている。科学技術文明は、環境破壊や物質至上主義、人間疎外、ニヒリズム生命倫理の侵犯といった多くの深刻な問題を生み出しているから、そういった問題を手厳しく批判しその文明の有様を懐疑する声がよく上がるのだが、だからといって科学技術文明を潔く手放して産業革命以前の生活レベルへ回帰しようとする人はなかなかいない。科学技術文明は、人間の生命の欲求を満たしてくれるからである。
 デカルトの機械論的世界観を思想的土台とした科学技術文明が、多くの深刻な問題を生み出しているとしても、現代の日本人の大半がその文明から快楽を得、喜びを得、幸せを得ているという事実がある以上、我々は、人間を機械として見る考え方を、一方的に正義の側に立って批判・糾弾・排斥することはできないと思うのだ。生命学を提唱する学者・森岡正博氏は、そんな現代人の生命の欲求と科学技術文明の現状との切っても切れない関係を「共犯関係」という語で呼んでいる。


「人間は機械である」という、一見冷血そうで非人間的に感じられる考え方と、日々の自分たちの快適な生活とが実は共犯関係にあるんだという自覚のもとで、柳沢発言やエコロジー生命倫理や、そのほか現代文明が抱える諸問題を見つめなおしていければ、と思うのであった。



 さて、このままでは藤子不二雄とまったく関係のない記事になってしまうので、ここからデカルト哲学の話を『のび太の魔界大冒険』と強引に絡めて書いてみたい(笑) ここでテキストにするのは、現在公開中の映画『のび太の新魔界大冒険〜7人の魔法使い〜』ではなく、藤子・F先生が描いたマンガ版『のび太の魔界大冒険』(あるいは1984年に公開された映画版)のほうである。


のび太の魔界大冒険』の作中で出木杉の口から、魔法と科学は同根でありながら科学だけが発達し魔法は迷信として廃れていった、という歴史認識が語られる。
 この、魔術的な事象が退けられ近代科学が成立していく歴史的なパラダイム・シフトに、デカルトの哲学が大きくかかわっていたと考えられるのだ。(『魔界大冒険』の作中にデカルトの話は出てこないが…) 
 デカルトが活躍した17世紀は、ガリレオケプラーパスカルニュートンライプニッツなど科学史上の偉人たちが多く輩出し、天文学、力学、物理学などの近代科学が本格的に誕生していった時代である。その近代科学の成立によって、占星術錬金術、その他の魔術が科学的ではないとして退けられていったのだ。
 17世紀はまさに「科学革命」の世紀だった。そのクライマックスとなった年は、ニュートンが『プリンキピア』を出版した1687年と言われている。現在の科学史ではニュートン以前と以後を分けて考える傾向が強いようだ。
 科学だけでなく文学の領域においても、17世紀には同様の大きな変化が起こったという。シェイクスピアやダンに始まった17世紀の文学は、ミルトンへを経て、ドライデン、スウィフトで世紀の終わりを迎える。どちらかといえば情熱や錯綜や空想のみなぎる文学で始まり、良識、精確さ、明晰さを特徴とする文学で終わっているのだ。17世紀は、偉大な詩を生み出す才能よりも、優れた散文を書く才能が次第に重視されていくようになり、世紀の終わりには「散文と理性の時代」がスタートしたのだった。


 そんな時代潮流のなかで、大きな思想的土台となっていたのがデカルトの哲学であった。自然も人間の身体も機械のようなメカニズムであると唱えたデカルトの考え方は、自然や人体を客観的に認識し数量化する自然科学と、それを加工し利用していく科学技術文明の発展を強く後押ししたのだ。
のび太の魔界大冒険』は、そうした魔法から科学へのパラダイム・シフト(=科学革命)が人類の歴史上で起こらず、本来なら衰退していたはずの魔法が高度に発達した仮想世界を描き出した作品と言えるだろう。魔法こそが文明を担う最優位の価値、正統な学問、メインカルチャーとみなされ、そのかわり科学が迷信として文明の下層に退けられてしまった“もしもの世界”を、想像力と説得力たっぷりに示してくれるのだ。
 現実の人類史で起こった17世紀の科学革命に思いを馳せながら『のび太の魔界大冒険』を鑑賞するのもまた一興だろう。