パンデミックとたたかう

 もうすぐ3月も終わろうとしていますが、これから書くのは3月上旬に私が行なった話です。

 

 2月の下旬になって瀬名秀明さんからご著書を2冊ご恵贈いただいたのと、新型コロナウイルス感染拡大というご時世から、この本があったことを思い出し、読んでみました。

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 岩波新書パンデミックとたたかう』。 

 2009年の新型インフルエンザ大流行を受けて、瀬名さんとウイルス感染症の疫学研究者・押谷仁氏がパンデミックをテーマに対談した本です。

  帯に「いま必要なのは適切に恐れることだ」とあります。本書のテーマのひとつです。それは、新型コロナウイルス感染拡大の只中にある我々にも当てはまる心構えでしょう。

 

 この本を読んで感じたこと、印象的だったことを箇条書きします。

 (この感想は3月上旬時点のものです)

 

・ウイルスを過度に恐れるのはよくないが、まったく恐れないのもよくない。恐れや不安がないと、人は対策に向けて動こうとしないから。国や自治体、専門家、医療従事者、メディアは情報をきちんと伝え、一般市民はそれをきちんと理解する、というのが「適切な恐れ」の基本である。

 と私は本書を読んでそう受けとめました。適切な恐れとはどういうことか学んでも、やはり適切に恐れることの難しさを感じざるをえませんが、なるべく適切であろうとはしたいと思うようになりました。

 

・「きちんと伝える」ためには、伝える側が「リスク・コミュニケーション」の訓練を受けるべきである。ネガティブなことを言うときにはポジティブなことも言う、わからないことは必ずわからないと言う、もう完全に大丈夫と思わせてはいけないしもう駄目だと思わせてもいけない……といったふうに、情報を受け取った人々が適切に恐れを抱けるような伝え方をすべき。それがリスク・コミュニケ―ションである。

 と私は理解しました。

 

・本書で語られているのは2009年時点の話ですが、日本は感染症の危機管理が立ち遅れている、と押谷氏は指摘しています。専門家の意見がきちんと政治決断に反映されるようなっていないとか。

 それから10年あまり経ちましたが、政治権力が専門知や科学的な知見を重んじない風潮は今もあまり変わらない(あるいはさらに進んでいる)気がしないでもない、というのが私の個人的な感じ方です。新型のウイルスの感染拡大ですから、この先どうなるか予測できない面も多く、専門家だって間違える可能性があるわけですが、政治判断が専門知や科学的知見をきちんと汲み上げるプロセスを経てなされているかは重要でしょう。判断の正当性や合理性はそうした専門知に担保されるのではないでしょうか。

 そして、そうすることで、政治判断が望ましい結果を生む可能性が高まるのではないかと思うのです。

 

パンデミック対策における「プロアクティブ」の重要性に関する話も興味深いです。 

 パンデミック対策では、常に事態を先取りしてプロアクティブに動く必要があるのだが、(2009年の)日本は「起きたことに対する対応(リアクティブ)」が主になっていた、と押谷さんは感じたそうです。

 

・確証バイアスの話も印象的でした。

 さまざまな情報が錯綜すると、人は自分の考えに近い情報に飛びついてしまいがちである。自分がある事柄をいったん正しいと発言してしまうと、その後、その事柄の正しさをくつがえすような情報が出てきても、なかなか自分の誤りを認められない。

 専門家は「自分は客観的だ」と思っているから、思いのほか確証バイアスの罠に陥りやすい。

 といった内容でした。私にも心当たりがある話だな、と感じました。

 

 

 『パンデミックとたたかう』の感想はここまです。

 

 『パンデミックとたたかう』を読んだあと、「ウイルスの感染・流行」を描いた作品ということで、藤子・F・不二雄先生のSF短編『流血鬼』を読み返しました。

 

 その作中では、ウイルスの世界的流行がこんなふうに語られています。

 バルカン諸国で発生したといわれる奇病がその後ヨーロッパやアメリカにも伝播した疑いが強く、症例が少ないため予防治療法の研究が進展していない。

 そんななか、リチャード・マチスン博士が病原体とみられるウイルスの分離に成功したもようである。

 このウイルス性の病気に対して吸血鬼伝説と結びつけた怪談もどきの噂が医学界の全面的否定にもかかわらず根強く広まっていて、十字架、ニンニクが爆発的な売れ行きになっている……。

 

 根拠のない噂の広がりが影響して十字架やニンニクが爆発的な売れ行きになっている、というくだりに私は注目しました。未知のウイルスに対して何らかの噂が広がって特定の商品が爆発的な売れ行きを示す……という意味で、このくだりは、新型コロナウイルス感染拡大のなかデマや噂などが影響してトイレットペーパーや食品に客が殺到し品切れになってしまうという、ここ最近のこの現実世界の状況とイメージが重なります。

  このくだりは、藤子・F・不二雄大全集『少年SF短編』1巻(小学館、2010年)の159ページなどで読めます。

 

 ここでウイルスの話題から少し離れますが、『流血鬼』を読むと、「恐ろしい」「イヤだ」としか感じられなかった物事に対する感じ方・見え方がドドドドとひっくり返るさまが非常に鮮やかに描かれていて驚嘆させられます。ショッキングですらあります。

 物語の終盤になってタイトルの意味が判然とするという点でも、常識や価値観の逆転という点でも、作劇上の大どんでん返しという点においても絶品です。何度読んでも、初読時の驚きがよみがえってきます。

 

 『流血鬼』のほかにもう一作、『ドラえもん』の「流行性ネコシャクシビールス」も再読しました。これも「ウイルスの感染・流行」を(ギャグとして)描いた話です。

 ウイルス感染症の流行(流行性感冒など)とファッションの流行を“流行つながり”でくっつけた着想がまず秀逸です。流行性ネコシャクシビールスというひみつ道具のネーミングも語呂がよくて愉快。

 そして、一コマ目のインパクトから、のび太ドラえもんの悪ノリっぷり、最後のオチに至るまで、話が徹頭徹尾面白いのです。

 

 この話に出てくる「ビールス」という語は「ウイルス」のドイツ語発音ですが、私が子どものころはウイルスよりもビールスという言い方のほうをよく聞きました。

 

  感染症関連のネタということで、こんなグッズを紹介しましょう。

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 ドラえもんデザインの感染症予防用マスクです。

 2003年ごろアジアを中心にSARS重症急性呼吸器症候群)が流行しました。多くのSARSウイルス感染者を出した香港では、SARS予防用のマスクが売り出され、ドラえもんがデザインされたものもありました。

 そんなマスクを、香港在住の知人がプレゼントしてくれたのです。(写真は、当時ガラケーで撮ったものなので画質が粗くてすみません)

 

 最後に……

 新型コロナウイルスの感染拡大が収束し、感染者が最小限に食い止められ、以前のような日常に戻れる日が早く到来することを祈るばかりです。