今年はコロナ禍のなか、ウイルス・細菌の感染症を題材とした本を意識的に読んですごしました。
ノンフィクションも読みましたが、マンガと小説をはじめとしたフィクションが中心の読書となりました。
そんなコロナ禍の読書について、当ブログで以下のように記事にしてきました。
●2020-03-30「パンデミックとたたかう」
https://koikesan.hatenablog.com/entry/2020/03/30/204138
●2020-04-30「マスクが日常化した世界の中で」
https://koikesan.hatenablog.com/entry/2020/04/30/214317
●2020-05-13「人間うつしはおそろしい」
https://koikesan.hatenablog.com/entry/2020/05/13/214802
●2020-06-24「瀬名秀明『ウイルスVS人類』」
https://koikesan.hatenablog.com/entry/2020/06/24/193827
●2020-12-29「【コロナ禍の読書】小松左京の『復活の日』」
https://koikesan.hatenablog.com/entry/2020/12/29/225226
これらのエントリで取り上げた作品以外にもいくつか感染症を描いたフィクションを読んだので、今日はそういう作品をまとめて取り上げようと思います。
藤子作品とはあまり関係のないエントリとなりそうですが…。
コロナ禍のなか、カミュの『ペスト』がベストセラーとなってよく読まれたようです。その影響で私も『ペスト』を読み返したいと思ったのですが、家のなかでこの本が見あたらなくて、春ごろは書店で買おうにも品切れ状態が続き、その後ようやく新潮文庫版を購入できたものの、結局まだ読めずじまいです(笑)
しかしながら、「ペスト禍を描いたフィクションといえばこれでしょう!」と楳図かずお先生の『漂流教室』を読み返しました。
『漂流教室』は、ペスト禍をメインの題材にした作品ではありません。長編の物語の途中でそういうエピソードを描いているのです。
子どもばかりとなった世界に一人のペスト患者が出たことで始まる惨劇。事態が進むにつれペスト感染の疑いがある子どもたちを皆殺しにしようとする一派が出てきて、殺戮が行なわれ、子ども間で戦争状態になります。そのうえ、ペストの感染がいろんな子どもたちへ広がっていきます……。
このマンガは、そんな苛烈で絶望的な修羅場を濃密に描いています。それは、平常時の道徳や常識が役に立たないどころか裏目に出る世界。親切心からペスト患者を世話したことで感染・発病してしまった子どもたちがいるのです。発病した子どもたちの姿を見た主人公の高松翔くんが発したセリフが印象的です。
「人には、しんせつにしなくてはいけないって、いままで学校でおそわったことは、どういうことだったんだっ!!」
状況が変われば学校で教わった正しさがひっくり返ってしまう……。そんな容赦のない真実が突き付けられます。
ペスト禍を描いたマンガということでは、朱戸アオ『リウーを待ちながら』(全3巻、2017年~18年)も思いあたります。日本の地方都市でペストが感染拡大していく事態を描いた医療サスペンスです。
リウーというのは、カミュの『ペスト』に登場する医師の名前から採られています。
筒井康隆御大の短編小説『コレラ』も、カミュの『ペスト』を意識した作品でしょう。
『コレラ』の概要を簡単に言えば、コレラの爆発的感染で東京が都市封鎖される話です。コレラに感染しても発病しない体質の男が、本作の記録者であり主人公です。彼は自分が保菌者だと知っているのに、そのことが発覚して隔離され不自由になるのがイヤだから…と勝手に行動し続け、他人にコレラをうつしたりします。
現実のコロナ禍を味わってきたものですから、その主人公の無責任さや罪深さがいっそう真に迫って感じられます。
現在流行している新型コロナウイルスについて、自分が感染していると気づかぬまま無症状者が動きまわったり人と会ったりして、知らず知らずのうちに他人に感染させてしまう…という厄介な問題が取りざたされました。それゆえに、自分が感染しているとわかっていて身勝手な行動をとり他人に感染させてしまう『コレラ』の主人公の無責任さ・罪深さを痛切に感じるのです。(現実の世界でも、自分がコロナ感染者とわかっているのに、人のいる場所へ故意に出かけて他人に感染させた人間があらわれましたが…)
この小説では、コレラの症状が出たときの描写がまことに筒井作品らしく露骨で強烈です。作中の言葉を借りれば、悲劇的であり喜劇的、カラフルであり音響効果満点の描写なのです。角川文庫版の解説を担当した飯沢匡氏はその描写のおかげで「食事が不味くなりすでに三日絶食を続け」たといいます。
手塚治虫先生の長編マンガ『陽だまりの樹』の第34章「コロリ参上」もコレラ禍の話です。米国船から長崎へ上陸したコロリ(コレラ)が江戸を襲うさまを描いています。急速な感染拡大、続出する患者、病床不足、乱れ飛ぶデマ、不安につけこむ詐欺……。いつの時代も疫病の流行はこういう事態をもたらすんだ…と思い知らされます。
作中では、コレラのことがもっぱら「コロリ」と呼ばれています。「コロリコロリと三日ほどで死んでいくために名づけられた」と説明されています。
そして、コロリで28421人の死者が出たと記録され、一説には20万人以上が亡くなったとも言われている、と記されています。政治家、有名な武士、商家、名士の大勢が次々に倒れ、あっけなく世を去っていったといいます。作中では、手塚良庵の母がコロリで亡くなりましたし、浮世絵師・安藤広重の死も描かれています。
感染症ネタというほどでもありませんが、手塚作品を挙げたついでにこんな事例も紹介しておきましょう。手塚先生の青年マンガ『ばるぼら』に「ぺスト」という単語が出てくるのです。
『ばるぼら』の主人公は、美倉洋介という耽美派の小説家です。その美倉が地下の下水道でネズミの群れに襲われるシーンがあります。そのとき美倉はネズミに抵抗しつつ「このペストめっ」と言うのです。
そういえば、『ばるぼら』の映画(手塚眞監督)が一般公開されたのも今年のことでしたね。映画では、「このペストめっ」のシーンは描かれませんでしたが…。
次は、われわれにとってはコレラやペストより身近な感染症であるインフルエンザを題材とした作品を紹介しましょう。
この小説の主人公は、幼いわが子がインフルエンザにかかることを神経質なまでに恐れています。町では毎年10月中旬に芝居興行が催されますが、この年はインフルエンザの流行がすでにやってきていて、主人公は女中たちに芝居を見に行くことを禁じます。それなのに嘘をついて観劇に行った女中がいたことが発覚。主人公はヒステリックになって暴君的な態度を見せ、ちょっとした騒動になって、その女中を辞めさせることに……。
といったお話ですが、読後感はじつに気持ちがよいです。
感染症が流行しているなか、家族を小学校の運動会へ行かせなかったり、女中をお使いに行かせたときは店先でぐずぐず話し込むなと喧しく言ったり、女中が内緒で芝居に行ったことにヒステリックに反応したり……。こうした“外出することに厳しい”空気感は、現在のコロナ禍の渦中に読むと相当な実感と切実さをともなって身に沁みます。
次に紹介する作品は、感染症は感染症でも架空の感染症を描いた話です。
今年は、「ロボット」という造語を世界で初めて使用した戯曲『R.U.R.(ロボット)』をカレル・チャペックが発表して100年にあたるそうです。つまり「ロボット誕生100年記念の年」なわけです。
そんなカレル・チャペックの作品に『白疫病』という戯曲があります。
白疫病なる伝染病が流行するなか、大学病院の院長、スラム街の開業医、武器製造会社の経営者、国の独裁者らの思惑が行き交い、戦争と平和の問題を絡めながら物語が展開されます。
大学病院でも治せない恐ろしい白疫病の治療法を、スラム街で貧しい人々ばかりを診ている開業医が発見します。その開業医は、白疫病の治療薬を提供するのと引き換えに、世界の支配者に向けて戦争の放棄を要求します。薬がなければ白疫病患者は死を待つばかりなので、薬の情報開示は医師としての使命であり義務なのですが、開業医は世界平和を要求することでもっと多くの命を救おうとするのです。
作者のチャペックは、『白疫病』について解説する文章のなかで、この開業医のことを「ヒューマニズムの狂信者」「頭の固い絶対平和主義者」と言い表しています。この戯曲が上演されたさい、開業医のその頑迷なふるまいは観客らから「平和のテロリスト」「ユートピア的恐喝」と呼ばれました。
そうやってネガティブな言われ方をするくらい、この開業医の要求は医師としての倫理に反しているのかもしれません。ですが、平和主義者としては態度が(過剰なまでに)一貫していると言えそうです。
白疫病にかかるのが50歳前後の人々ばかり……というのもまことに印象的です。
50歳前後の人たちは大きな不安に襲われているのに、若者たちはいたってドライに「若い者に席を譲る時が来たってことなのよ。それだけのことじゃないかしら」なんて言い放つのです。
疫病下における世代間の温度差…という点で、コロナ禍のなかで生じた事態と重なるところがあるような気がします。新型コロナでも重症化しやすいのは主に高齢者ですから、若者のなかにはコロナ感染にかわまず行動する人が出てきました。
ただし、若者でも重症化した事例はいくつもあるようなので、新型コロナ感染症は白疫病ほど特定の年齢層だけが発病するものというわけではありません。
『白疫病』の物語は、終盤になってあらゆる問題が解決し「なんて希望的な終わり方を迎えるんだろう!」と一時的に思わせながら、最後の最後のところでなんともやりきれなくなる結末を迎えます。希望が見えていだけに、結末を読んだときのショックと虚しさは大きなものがあります。
『白疫病』の本は今年の途中までは入手が難しかったのですが、9月16日、岩波文庫から『白い病』として刊行されて読むためのハードルがぐんと下がりました。
また、『R.U.R.(ロボット)』は100周年ということで、12月23日、中公文庫から新訳版が出ました。
どちらも本も翻訳者は阿部賢一さんです。