カレーライスと草もちを食べて藤子マンガを思う

“両国の下宿先”へ帰るのが遅くなった満賀道雄才野茂。もう夕食の時間が過ぎてしまっています。
 外で食べるにしても、持ち金が10円しかありません。しかたなく、この日の夕食はたい焼きを1匹買って半分ずつ食べるだけで辛抱することに…。
 ところが、下宿へ帰るとおばさんが気をきかせてカレーライスを出してくれたのです!! 2人の満ち足りた様子にこちらまで喜びたくなります。
まんが道』のそういうシーンを思いながら、私はココイチでカレーライスを食べてンマーイ!したのでした。


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 私が注文したこのカレーライスが、見ようによっては満賀道雄の顔に見えなくもなくて、なんならドラえもんにも見えてきて、少しときめきました😄 

 

 カレーライスを食べた翌日、おやつに草もちを食べました。


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 のび太しずちゃんの家でおやつを食べすぎて満腹になり本来食べるべき肝心のアンキパンを食べられなくなる…なんてシーンが『ドラえもん』の「テストにアンキパン」にありましたね。そのときのおやつが草もちだったよなあ、と思いながらおいしくいただきました😄

 

※追記

“両国の下宿先”と表記しましたが、藤子先生の下宿先は実際には両国(墨田区)ではなく森下(江東区)にありました。ですが、今回は現実の藤子先生ではなく『まんが道』のワンシーンの話をしているので、作中で満賀や才野が普通に使っている「両国の」という言い方に従った次第です。

まんが道』の作中でもバス停や手紙などによって下宿先が森下にあることはちゃんと描写されているのですが、満賀と才野はいつものごとく「両国の下宿」と言っています。それまで富山県に住んでいた満賀と才野にとって、上京前から“両国”という地名には馴染みがあったのでしょう。それで上京後も下宿先のある一帯は“両国の辺り”というイメージが強く、実際には森下にあると知ったうえでも習慣的に「両国の」と呼んでいたのではないかと私は推測します。今は地下鉄の森下駅がありますが、当時は下宿先の鉄道最寄り駅はおそらく両国駅でしたから、“両国”という地名は今以上にシンボリックに感じられたと思われます。自然と「両国の下宿」という言い方になったのでしょう。いわば下宿先の愛称みたいなものですね😊
 現実の藤子先生(特に安孫子先生)もそのようにお感じになっていたのだろうと思います。