10月26日(土)~27日(日)、富山を旅しました。目的は、富山市内の高志の国文学館で開催されている「藤子不二雄Ⓐ展」の観覧と、富山県内の藤子先生ゆかりの地を巡ること(つまり聖地巡礼)でした。
当ブログでこの旅のレポートをすでに2回おこなっています。
■藤子不二雄Ⓐ展富山会場へ(10/26~27富山県の旅 その1)
https://koikesan.hatenablog.com/entry/2019/11/01/192126
■富山市内の『まんが道』ゆかりの地(10/26~27富山県の旅 その2)
https://koikesan.hatenablog.com/entry/2019/11/05/183522
今回は3回目のレポートになります。
10月26日、「藤子不二雄Ⓐ展」観覧後は藤子ファン仲間2名と富山駅から高岡駅へ移動しました。『まんが道』で描かれたスポットを中心に、高岡市内にある藤子先生ゆかりの地を巡るためです。
・富山駅⇔高岡駅を移動したことで、満賀道雄(藤子不二雄Ⓐ先生)の通勤コースをたどったことにもなります。
・ドラえもんの散歩道
・文苑堂書店駅前店の跡地。『まんが道』の中で満賀道雄と才野茂が手塚マンガやマンガ雑誌などをよく買っていた書店です。当時とは建物や経営母体などが変わりながらもずっと営業を続けてきてくれましたが、残念ながら今年5月26日をもって閉店となりました。ですから「跡地」と記しました。
・藤子Ⓐ先生のお母さまが働いていた喫茶店「ピジョン」の跡地。『まんが道』立志編「期待と不安」の回で「満賀道雄の母は、伯父の経営する喫茶店に勤めていた」とありますが、その喫茶店がここにありました。私がここを初めて訪れたときはこの建物の2階でまだピジョンが営業しており、コーヒーを飲んだ記憶があります。満賀のお母さんは、この喫茶店から売れ残りのケーキやシュークリーム、古くなったアメリカ雑誌などを持って帰ってくれました。なかでも満賀が楽しみにしていたのが、アメリカ雑誌「コリアーズ」。漫画がたくさん載っていて、気に入った作品があると切り抜いて「外国漫画傑作選」と銘打ったスクラップブックに貼っていました。
・高岡大仏のすぐ近くにある塩谷昆布店には、藤子両先生の直筆色紙が飾ってあります。店主さんが、Ⓐ先生から届いた年賀状を見せてくださいました。
・高岡大仏。『まんが道』にたびたび登場します。今回は地元ボランティアの方がガイドしてくださいました。
・高岡大仏の台座の下は、このように中に入れるようになっています。写真左の格子窓の前あたりは、満賀が霧野涼子のキスシーンを目撃してしまった場所です。『まんが道』の中でも屈指の衝撃シーンのひとつで、それがきっかけで満賀の名セリフ「おれの恋人はまんがや!!」が生まれました。
・高岡古城公園に入っていきます。この公園は、『まんが道』の舞台としてさまざまなかたちで登場します。今回は主に『まんが道』で描かれた地点を中心に巡りました。
・高岡古城公園内の忠魂碑
・高岡古城公園内の相撲場
・高岡古城公園内から見るお堀越しの街並み
・高岡古城公園の二つ山では、満賀と才野になったつもりで手塚治虫先生の『新寶島』を読んで、目もくらむようなショックをうけました。『まんが道』原画の写真は、「藤子不二雄Ⓐ展」会場で撮影したものです。
・高岡古城公園の本丸広場。『まんが道』の作中で満賀道雄と弟の鉄郎が野球をしていた場所です。今回その現場でたまたま遭遇した地元男性から「ここで子どものころ野球をやったよ」とうかがいました。現在は芝生が敷かれていますが、かつては野球場だったそうです。
・高岡古城公園内にある絵筆塔。154人のマンガ家さんがデザインしたカッパ絵で覆われています。藤子両先生の絵も見られます。
・この3枚も高岡古城公園ですが、『まんが道』で描かれたスポットというわけではなく、きれいな風景だったので載せてみました。
・銭湯「養順湯」跡。養順湯は満賀がよく利用していた銭湯です。今は焼肉屋を営業しています。
・2人の藤子先生が出会った聖地・定塚小学校です。
・2人の藤子先生が出会った当時、藤子F先生が住んでおられたお宅の跡地。建物は先生が住んでいたときのものではありません。今は定塚ギャラリーとして活用されています。
・満賀と才野は、高岡郵便局の窓口から投稿作品などを東京へ送っていました。大人向け雑誌に投稿して獲得した稿料を貯金していたのもこの郵便局。(建物などは当時と違います)
・山町筋にある志甫商店は、『まんが道』立志編の「ときめきの雪」の扉に登場します。
・山町筋にあるレトロな薬屋。この建物をモデルにした景色が『まんが道』あすなろ編で描かれています。
まだ巡りたい場所があったのですが、日が沈んできましたし、早朝から活動した疲労もあったので、高岡の聖地巡礼はここまでとしました。