藤子不二雄の事績を書いた偉人伝

koikesan2006-09-22

 子どものころ読んだ偉人伝の定番といえば、エジソンキュリー夫人ヘレン・ケラー野口英世などの名前を思い出す。偉人伝になるような人物は、途方もなく立派で偉大で模範的で、歴史上に永久に名をとどめる尊敬すべき人物に感じられたものだ。
 現在はわれらが2人の藤子先生の伝記も出版されていて、それが小学校の図書館や町の書店などにエジソンヘレン・ケラーの伝記と並んで置かれていると思うと、なんだかちょっと喜ばしい気持ちになる。



 藤子・F・不二雄先生の伝記は、学習まんが人物館『こどもの夢をえがき続けた「ドラえもん」の作者 藤子・F・不二雄というタイトルで、1997年に小学館から刊行された。藤子不二雄A先生のほうは、火の鳥人物文庫『藤子不二雄A 夢と友情のまんが道なるタイトルで、2002年に講談社から出版されている。『藤子・F・不二雄』のほうはマンガの形式で、『藤子不二雄A』のほうは活字本である。
 どちらも、2人の出会いから話が始まり、少年時代からトキワ荘時代に多くのページを割いている。時代的にもエピソード的にも『まんが道』で描かれたことと重なる部分が多い。『まんが道』は藤子A先生の自伝的マンガだが、ずいぶんと虚構が入り混じっているため、ノンフィクションであるこれら2冊の伝記本のほうが、より事実に即して書かれている、とみてよいだろう。
 2冊の伝記本では、藤子先生が『オバQ』の大ヒットで人気マンガ家になったところがクライマックスで、その後も続く長い漫画家生活はどちらかと言えば端折って記述されている。


 『藤子不二雄A 夢と友情のまんが道』は、発売当時、カバーの応募券を切りとって送ると抽選で藤子A作品の複製原画が当たるプレゼント企画をやっていた。それに応募した私は『愛…しりそめし頃に…』の複製原画が当選。満賀道雄が上海ローズでリリーさんと会っているページだった。藤子A先生直筆のサインと「〜さんへ」という為書きもあった。


 言うまでもなくA先生は現役の漫画家であって、伝記本が出たあともご自分の歴史を重ねつづけている。F先生は明日が没後10年にあたるご命日である。



 現在、台湾でドラえもん人気が再燃している模様だが、その台湾でも藤子・F・不二雄先生の伝記本が出版されている。『多拉A夢之父‐藤子不二雄的故事』という全159ページの本で、台湾の文経社から出ている児童偉人伝シリーズ「成功小傳記」のうちの一冊だ。2004年発行。(「多拉A夢」は「ドラえもん」という意味。実際の本では「多」にも「拉」にも口偏が付いている) 
 本書は『藤子不二雄的故事』というタイトルだが、内容は「2人で1人の藤子不二雄」ではなく、あくまでも「藤子・F・不二雄」の伝記である。もちろんF先生の伝記とあればA先生も登場するわけだから、「藤子不二雄的故事」なる書名もまんざら間違いとは言いきれない。
 本文は、台湾の本なので中国語(繁体字)で書かれ、児童書なのですべての漢字に注音符号がふられている。注音符号とは、日本語で漢字にルビをふるようなものだ。
 基本的に活字ばかりの本だが、ところどころで挿絵も見られる。ドラえもんなどキャラクターの絵は、公式なものを使っておらず、台湾の漫画家?が描いているようで、そこはかとなくパチもん臭さが漂っている。F先生が無精ひげをはやしてマンガを描いているとか、どの安孫子先生もメガネをかけていないとか、日本ならありえない挿絵がいくつかあって、脱力的な笑いを授けてくれる。
 本書の著者は凌明玉という女性で、同じシリーズの『宮崎駿的故事』も執筆しているようだ。



 中国語を読みこなす能力がないので何が書いてあるのか詳しくは紹介しきれないが、目次から内容を察していただければ、と思う。

目次


前言
第一章 新来的転学生
第二章 一起去冒険罷!
第三章 共用一個筆名
第四章 手塚治虫的回信
第五章 只做三天的工作
第六章 歩上夢想之路
第七章 多拉A夢的誕生
第八章 藤子不二雄折夥了!
第九章 多拉A夢的結局
第十章 永別了!大師
後記
附表一 多拉A夢的四次元魔力分解図以及秘密档案
附表二 多拉A夢電影大長編一覧表
附表三 藤本弘創作簡易年表

 海外で、『ドラえもん』という作品・キャラクターが愛されるばかりでなく、その作者である藤子・F・不二雄先生が偉人としてとりあげられるのは、ファンとして素朴に嬉しいし誇らしく思う。