藤子・F・不二雄先生の命日にお墓参り

 もう2日もすぎてしまったが、23日は藤子・F・不二雄先生の没後10年にあたるご命日だった。私は当日、神奈川県川崎市の某霊園へ足を運び、F先生のお墓参りをした。藤子ファン仲間15人ほどが集まった。
 我々は午後に行ったのだが、F先生のお墓にはすでにたくさんの花が飾られていた。先生のご遺族や関係者、何人ものファンが訪れたのだろう。我々も花を供えたあと、1人ずつ墓前で手を合わせ、祈りを捧げた。

 
 F先生のお墓は、ドラえもん型の小さな石像(名刺入れ)やガラス瓶(花を活けるもの)が置いてある以外は、周囲にある他のお墓と変わらぬ外観と規模で、藤子・F・不二雄という存在の偉大さを思うと、いたってこぢんまりとした印象だが、そこがまたF先生の人柄が偲ばれるところで感慨が深まるのだった。



 この日は、お墓参りをする前、市川ビル跡地や新宿中央公園生田駅前の書店(F先生が週刊誌などを買っていた)などF先生の生活圏であった土地をいくつか巡った。


 お墓参りのあとは神保町の古書店街におもむき、夜は浜松町の居酒屋で飲み食い。お墓参りのときと2〜3人メンバーが入れ替わったが、およそ15人で賑やかに藤子話を楽しんだ。
 毎年命日が訪れると、F先生が亡くなったと知ったときの心の痛撃が思い起こされる。あのとき感じた悲しみや喪失感や絶望感がふと胸に去来する。そういう感情に見舞われながらも、藤子ファン仲間で集まって藤子話で盛り上がれば救われた気分になりる。そしてまた、藤子話で盛り上がることが、F先生への供養になるのだと思ったりもする。



 この日は横浜のビジネスホテルで1泊。
 翌24日は藤子ファン仲間4人で横浜にある放送ラブラリーと横浜人形の家へ出かけた。


 放送ライブラリーでは、『(旧)パーマン』(43話「狙われたパーマンの巻」、44話「パーマン基地計画の巻」 1967年8月27日放送)と、『(旧)怪物くん』(35話「不思議な人形の巻」、36話「悪魔の人形つかいの巻」 1968年8月18日放送)を視聴。『パーマン』は、パーマンの命を狙う全ギャド連の面々がいい味を出していた。『怪物くん』は、全体的に絵が好み。女の子の人形が1人で歩くさまが、ちょっと不気味だった。
 今回は視聴しなかったが、藤子関係では他に、『パラソルヘンべえ』(1話「ヘンべえがやってきた 」 1989年10月2日放送)、『まんが道』(1話 1986年1月17日放送)、『まんが道青春編』(1話 1987年7月27日放送)、『忍者ハットリくん(モノクロドラマ)』(1話「ハットリくん来たる」 1966年4月7日放送)が観られる。


 横浜人形の家では現在、「トキワ荘のよせがきカーテン」が特別展示されている。1951年、新漫画党のメンバー8人が1枚のカーテンに思い思いに絵を描いたもので、第二次新漫画党結成を記念して作成されたようだ。寺田ヒロオ藤子・F・不二雄藤子不二雄A石森章太郎赤塚不二夫つのだじろうといった錚々たる面々の、若き日の筆致を堪能できる。手塚治虫先生が描いた『バンビ』のカラー原画も展示されていた。これらの特別展示は、10月1日(日)まで行なわれる模様。


 昼は、行列に並んで「本丸亭」という塩ラーメンの専門店で食事をとった。チャーシューの旨味と麺のコシが上々だった。春菊が入っているも特徴的。


 その後横浜を離れて東京へ移動。渋谷と中野のまんだらけをまわり、夜は新宿の居酒屋で飲んだ。場をお開きにするのが名残惜しいほど話が弾んだ。