先日、部屋の整理整頓をしていて、この本が発掘されました。
2004年に台湾で刊行された、藤子・F・不二雄先生の伝記本です。
タイトルに「藤子不二雄」とありますが、表紙画が示すとおり、藤子F先生の伝記です。
巻末の年表も、F先生のものだけです。
とはいえ、F先生とⒶ先生の出会いから始まって、二人で一人の藤子不二雄時代のエピソードがいろいろと書かれているようなので、「藤子不二雄の伝記」といっても全然間違っていません。
この本、挿絵がちょっとユルくて、イイ味出してます。
ペンネームを「藤子不二雄」と決めた場面です。Ⓐ先生のメガネが描かれてないので、パッと見「誰?」という感じがします(笑)
F先生のレアな無精ひげ姿!?
藤子・F・不二雄先生の生涯を、その少年時代(Ⓐ先生との出会いあたり)から綴った伝記本といえば、日本にはこんな本があります。
・小学館版学習まんが人物館『こどもの夢をえがき続けた 「ドラえもん」の作者 藤子・F・不二雄』(まんが:さいとうはるお、シナリオ:黒沢哲哉、1997年)
・ちくま評伝シリーズ・ポルトレ『「ドラえもん」はこうして生まれた 藤子・F・不二雄』(構成・文:中島佳乃、巻末エッセイ:瀬名秀明、2014年)
ちくま評伝シリーズ『藤子・F・不二雄』には、参考文献のひとつとして私の著書が記されています。そのぶん、すこし余計に愛着を感じてしまうのでした♪
「ガクマンプラス」2011年9・10月号に掲載された『藤子・F・不二雄物語』(まんが:姫野よしかず)も、(話の導入は現在の場面からですが)F先生とⒶ先生の出会いが描かれています。
刊行当時に話題を呼んだ『ドラえもん物語 ~藤子・F・不二雄先生の背中~』(2017年)は、むぎわらしんたろう先生が実際に間近で見てきたF先生のエピソードを描いているので、F先生の子ども時代は出てきません。むぎわら先生の子ども時代なら出てきますよ♪
2人の藤子先生の出会い、そしてそれ以後の藤子先生の歩んだ道のりをたっぷり描いた本といえば、Ⓐ先生の自伝的マンガ『まんが道』がその筆頭格でしょう。
私が、藤子先生の子ども時代からトキワ荘時代のエピソードの数々を、感動とともに知ったのも『まんが道』でした。
が、先に紹介した伝記本と違って、『まんが道』はノンフィクションではありません。Ⓐ先生による脚色や創り話も込みで楽しむ作品ですね。
ノンフィクションであり、分量的にも内容的にも充実した藤子先生の伝記本ということなら、やはり『二人で少年漫画ばかり描いてきた ―戦後児童漫画私史』が最高峰ですかね。藤子先生による本格的な自伝本です。
「文庫版のためのあとがき」を含めても1980年までの記述でして、それ以降のエピソードは書かれていませんが、それにしたって、量的にも質的にも最高の“藤子不二雄の伝記本”ではないでしょうか。
『二人で少年漫画ばかり描いてきた』は、主にⒶ先生が本文を執筆し、各章の短い「前書き」をF先生が書いています。
Ⓐ先生はほかにもいろいろな機会にご自分たちのエピソードを書いています。結局のところ、“藤子不二雄の伝記”の最大最高最良の書き手はⒶ先生、ということなのでしょう。
そんなⒶ先生の最新の言葉を読めるのが、5月15日発売の「ビッグコミック」6月増刊号『人生ことわざ面白“漫”辞典』第65回「弱り目に、祟り目Ⅱ」です。
アウトドア志向でパーティー好きのⒶ先生ですから、コロナ禍による閉じこもり生活が続いてだいぶ参っておられるご様子です。
さて、先に小学館版学習まんが人物館『藤子・F・不二雄』を紹介しましたが、同じレーベルから『手塚治虫』も出ています。
この本の巻末の解説文をF先生が書いています。
F先生は冒頭から、手塚先生のことを「恩人」「先生」「大先輩」「天才まんが家」と連射のように敬意を表し、文章の終盤では「『新宝島』が世に出た1947年をもって、元号は“手塚元年”にしたいと思っているほど』と手塚先生への心酔ぶりを全開にしています。
小学館版学習まんが人物館『手塚治虫』の発行は1996年4月なので、1996年9月に亡くなられたF先生にとって、この解説文は最晩年に書かれたもの、といってよいと思います。F先生は文字どり人生の最後まで現在進行形のホットな手塚ファンだった、ということが伝わってくる、熱い解説文です。
小学館の編集者(千葉和治氏)が手塚先生のことをちょっと批判的に語ったら、F先生に火の出るほど怒られ、1週間ほど先生の事務所に出入りさせてもらえなかった……。
という話があります。F先生がプロの漫画家として大成してもずっと生粋の手塚ファン、熱烈な手塚信者だったことがうかがえるエピソードです。
(藤子・F・不二雄大全集『ミラ・クル・1/宙ポコ/宙犬トッピ』(2010年発行)の巻末解説参照)