「自信ぐらつ機」「悪運ダイヤ」放送

 11月10日(金)のアニメ『ドラえもん』は、「自信ぐらつ機」と「悪運ダイヤ」を放送。



●「自信ぐらつ機」

原作初出:「小学五年生」昭和59年11月号
単行本:てんとう虫コミックス第37巻など
アニメサブタイトル:「ドラえもんぐらっとして、のび太は大変!? 自信ぐらつ機」

 ジャイアンスネ夫の自信あふれる言動に触れたのび太は、「どうでもいいけど……。自信たっぷりなやつっていやだね」と不快感を示す。のび太のこのセリフは、2人の藤子先生の“自信”というものへに対する考え方に通ずるものがある。
 1983年8月31日、NHKで放送されたテレビ番組「おはよう広場 子どもおもしろ講座 藤子不二雄先生の自信をもつには」で藤子先生はスタジオに集まった子ども達に向けて、少年時代は2人ともコンプレックスのかたまりだったと話していた。藤本先生は「スポーツはダメ、勉強もそれほどじゃなく、自慢できるのは足で耳の後ろを掻けたことくらい」、安孫子先生は「背が低かったのでバカにされ、肉体的・力的な劣等感に悩んでいた」と述べ、そんな2人が自信をもてるようになったのは“マンガ”と“友達”との出会いによってだったという。
 しかし、自信とはそれほど単純なものではなく、ふらふらと動き回るもので、今でも自信のなさに苦しむことがある、と藤子先生は話を続ける。藤本先生は、「自信がありすぎるとうぬぼれになるし、コンプレックスがバネになることもある」、安孫子先生は「100%自信をもってしまうと嫌味になるので、6割は自信があって4割は自信がないほうが感じがいい」と話し、2人ともが自信をもちすぎることに対しマイナスの印象を表明している。2人のこの“自信”というものに対する考え方が、先に挙げたのび太のセリフ「自信たっぷりなやつっていやだね」とつながって感じられるのだ。



 今日のアニメでは、自信を持っていた人物が「自信ぐらつ機」の発する電波によって極端に自信を失っていく様子が実に可笑しかった。とくにスネ夫。自分の顔に自惚れていたのが一転、自分の顔を見て「オエー」と吐き気を催すほどになってしまう。このとき、「それに、なんだ、この変な髪型は!」と、顔だけでなく自分の髪型にまでツッコミを入れたのが良かった。スネ夫の髪型が変なのは視聴者の誰もがそう思っていることで、それをスネ夫本人が自己ツッコミすることで笑いを誘ったのだ。
 ドラえもんのドラ焼きへの過剰なこだわりも見ものだった。ドラえもんがドラ焼きの味の微妙な劣化にこだわるのは原作と同様だが、さらにその味の劣化が最終的にはドラ焼きの絶滅につながっていくのではと心配するくだりはアニメだけのものだ。ドラ焼きの絶滅を心配するという極端な発想へ到達したことで、ドラえもんのドラ焼きへの異常な執着心が浮き彫りになって面白かった。



●「悪運ダイヤ」

原作初出:「小学四年生」昭和47年9月号
単行本:てんとう虫コミックス第8巻など
アニメサブタイトル:「のび太の不幸をあなたに… 悪運ダイヤ」

 この作品は、のび太の運の悪さを「これでもか」というほど徹底的に描いている。のび太は、冒頭で転んだり画鋲を踏んだり、と運の悪い出来事を体験する。その難から逃れるため、自分にふりかかった悪い出来事を他人に移せる「悪運ダイヤ」を使うことに。ところが、悪運ダイヤをスネ夫に持ってもらって安全になったとたん転びもしなくなり、ようやくジャイアンに殴られるかと思えば良心の咎めスネ夫が悪運ダイヤを返しにくる、といった具合に、悪運ダイヤを使い出しても、やっぱり運が悪いのだ。しかし最後には最も都合のよい相手・ジャイアンに悪運ダイヤを拾ってもらえて、運のよさが巡ってくるのだった。



 今日のアニメでは、ドラえもんが主体的に悪運ダイヤを出すのではなく、未来デパートに幸運ダイヤを注文したつもりが誤って悪運ダイヤが来てしまった、というふうに変更していた。悪運ダイヤを出したのはドラえもんの本意ではない、といったニュアンスに変えていたのだ。ドラえもんは自ら悪運ダイヤのような恐ろしい道具を出すキャラクターではない、といった善のイメージを守りたいがための変更だったのだろうか。ラスト、ジャイアンが悪運ダイヤを持って痛い目にあう場面では、のび太ジャイアンに「ちょっとかわいそうかも」と同情心を示し、ここでもキャラクターに少しばかり善のイメージを与える配慮をしていた気がする。
 ドラえもんが読んでいたマンガ雑誌「ゴロゴロコミック11月号」の表紙に、ゴンスケっぽいキャラクターが載っていたのは、ささやかながらツボだった。