「ホラふき御先祖」

 一昨日(10月31日・金)に放送されたアニメ『ドラえもん』のBパートは「ホラふきご先祖」でした。


 藤子・F・不二雄先生の作品にはタイムパラドックスを描いた作品がいくつもあります。そのなかに「昔から語り継がれてきた言い伝えや民話などが、じつは、現在のドラえもんのび太(あるいは現代に生きる他のキャラ)が過去へ出かけておこなったことが原因で成立したものだった」という構造の話があります。そういう話の面白さを小学生だった私に教えてくれた一編が「ホラふき御先祖」なのです。それから「ぼく、桃太郎のなんなのさ」もそんな作品のひとつです。
「ホラふき御先祖」ではのび太の先祖が“ホラのびさん”と呼ばれるようになった原因が、「ぼく、桃太郎のなんなのさ」では有名な昔話「桃太郎」の伝説が発生した原因が描かれています。どちらの原因も、現代に生きるのび太ドラえもんたちが過去に出かけて影響を及ぼしたことによるものです。
 

「ホラふき御先祖」「ぼく、桃太郎のなんなのさ」よりももっと後に(小学校を卒業してから)読んだ同系統のF作品では、『ドラえもん』の「天つき地蔵」、『T・Pぼん』の「白竜のほえる山」、初期作品の『電光豆剣士』といった話が特に印象深いです。現代に生きるそれぞれのFキャラたちが、じつは「天つき地蔵」のお地蔵さまだった、じつは「西遊記」の登場人物たちだった、じつは猿飛佐助だった、という話です。


 これらの話を読んで不思議だったことのひとつが、のび太らが過去へ出かける以前から既成のものとして存在していた先祖の言い伝えや有名な昔話が、のび太らが過去へ出かけて以後の行動が原因で発生していることです。原因と結果の前後関係が混乱して、卵が先か鶏が先かの議論のような、堂々巡りの思考のような、時間の順序が狂ったような、不思議な感覚がもたらされます。そしてその感覚がまことに魅力的なのです。(こうした原因と結果の前後関係がおかしくなる面白さは、今回テーマにした作品に限らず、多くのタイムパラドックス作品に見られるもので、『ドラえもん』でいえば「あやうし!ライオン仮面」などがその代表例です)


「桃太郎」や「西遊記」などはF作品と関係なく幼少のころから触れてきた馴染み深い物語ですから、その発生の原因が描かれたことに特に面白さを感じました。「ぼく、桃太郎のなんなのさ」「白竜のほえる山」は、「桃太郎」「西遊記」という有名で馴染み深い物語のルーツを解き明かしてくれているようで、読後に「なるほど、そういうことだったのか!」と感じさせてくれます。謎解きような魅力があるのです。もちろん、ここで解き明かされる“「桃太郎」「西遊記」のルーツ”というのはF作品のなかだけで成り立つ完全な虚構ですが、虚構だとわかったうえで「なるほど、そういうことだったのか!」という感覚を与えてくれるところがステキです。『ドラえもん』『T・Pぼん』の世界と「桃太郎」「西遊記」の世界がパズルのピースが埋まったかのように見事につながった!という気分を味わえるのが楽しいのです。