「赤いくつの女の子」

 10/27(金)のアニメ『ドラえもん』で名編「赤いくつの女の子」が放送されました。
 この話は何度読んでも、懐かしいような、切ないような、ほろ苦いような、もどかしいような、甘酸っぱいような、何とも言えない特有の感慨を生じさせてくれます。自分がこれまで生きてきたなかで過去に置いてきてしまった、ささやかな悔恨…。ささやかだけれど、ずっとどこかに刺さり続けている心残り…。そんな心のデリケートなところに触れてくるのです。


 過去に置いてきたささやかな心残り…。それは気まずいまま別れてしまった友人だったり、一時的な感情で離れてしまったかつての居場所だったり…。私たちの身体がそこへ戻ることはすでにかないませんが、「赤いくつの女の子」は、読者がひそかやに抱えるそうした心残りも引き受けてタイムマシンで過去へ戻り、もやもやと心に刺さっていた小骨を取り除いてくれるのです。
 そんなふうに過去へ戻って悔いを晴らそうとするお話は『ドラえもん』をはじめとしたF作品のなかにいくつもありますが、私のなかでは「赤いくつの女の子」の存在感が非常に大きいです。大きい…というより特有なのです。掛け替えがない感じなのです。
 歴史的大事件や人生の大きな分岐点を変えようとするのではなく、幼いころの、ささやかだけれど深く刺さり続ける心残りを解消するため過去を訪れる…。その加減も含めて私の琴線に触れてきます。


 今回のアニメ「赤いくつの女の子」でも、終始目頭が熱くなって、胸にグッとくるものがあって、たまんない気持ちになりました。今回加えられた、ままごとの泥ハンバーグと野比家の食卓にのぼった本物のハンバーグが重なる演出とか、おばあちゃんの出方とか、ほんとうによかったなぁ。


 「赤いくつの女の子」は、童謡『赤い靴』の詞をモチーフにしたお話です。F先生はお仕事中、機嫌がよいときに大きめの声で『赤い靴』を歌っていたそうです。えびはら武司先生が『藤子スタジオアシスタント日記 まいっちんぐマンガ道』でそう書かれていました。

 
 ・これは童謡『赤い靴』のストラップです。以前、横浜人形の家へ行ったとき購入しました。

 
 
 
 ・横浜人形の家には、創作人形「赤いくつの女の子」が展示されていたりもします。


 今晩放送されたもう一編の「ウルトラよろい」は、フェイクひみつ道具といいますか、ドラえもんが冗談で言っただけで実のところ存在しないひみつ道によって話がどんどん展開するところが最高の妙味です。原作は実体としてのひみつ道具が一個も出てこないお話だったのですが、今回のアニメはドラえもんタケコプターを使って飛んでいたので、そうはなりませんでした(笑)
 F先生が描くのび太の顔には、時々ほうれい線のような線が浮かぶことがあります。今回のアニメ「ウルトラよろい」にもそのような線が出る瞬間があって、「おおっ!」と反応してしまいました。


 「ウルトラよろい」はアンデルセンの『裸の王様』をネタにしたお話ですが、25日付け「中日新聞朝刊」一面掲載のコラムも『裸の王様』の話題から文章を始めており、今週は『裸の王様』ネタによく遭遇するなぁ…と思ったり思わなかったり(笑)
 
 ということで、この日のアニメ『ドラえもん』は「ウルトラよろい」と「赤いくつの女の子」の2本立てで「ウルトラよろい」はアンデルセンの『裸の王様』をネタにした話だったわけですが、アンデルセンといえば、アンデルセンの童話にも『赤い靴』という作品があったなぁと…不意に思い出しました。
 アンデルセンの童話『赤い靴』と『ドラえもん』の「赤いくつの女の子」はさしあたって関係ないのですが、なんだか今回放送の2本がアンデルセンでつながったような気がして、ひとりで勝手に感嘆してしまいました(笑)