ぐうたら感謝の日

  本日、6月2日は「ぐうたら感謝の日」です。

 文字どおり、ぐうたら精神に感謝しながら一日をぐうたらすごそう、という祝日です。

 この祝日を決めたのはのび太。ぐうたら精神の体現者たるのび太らしい祝日です。

 今年の「ぐうたら感謝の日」はちょうど日曜日ですし、ぐうたらしやすくてありがたい、と個人的に思っています(笑)

 

 

 「ぐうたら感謝の日」が登場するエピソードは「ぐうたらの日」です。てんとう虫コミックスドラえもん』14巻などに収録されています。

 この話の冒頭で、のび太はカレンダーの前に座って「ついに、ことしもきたか…、ああ」と嘆いています。

 何が来たのか?

 

 

 6月です。

 6月が来たのです。

 

 

 のび太は言います。「ぼくのいちばんきらいな六月!」「一年をつうじてもっともふゆかいな六月!」

 なぜのび太は6月がそんなにも嫌いなのか?

 

 

 「国民の祝日が一日もない」

 「春休みとも夏休みとも関係ない」

 「日曜のほか一日も休めない」

 これが、のび太が6月を嫌う理由です。

 私は子どものころこのくだりを読んで「ほんとそうだな!」と目を見開かされ、深く共感しました。当時の小学校は週休2日制ではありませんでしたから、まさに休みは日曜だけだったのです。

 そんなのび太の話を聞いて、ドラえもんは「そんなに休みたきゃ休日を作ればいい」とあっさりのび太に同調してくれました。学校へ行きたくない子どもには天使のささやきのように聞こえます(笑)

 そこでドラえもんが出してくれたひみつ道具が“日本標準カレンダー”。このカレンダーを操作すると日本中のカレンダーがそれに合わせて変更される、というのです。

 のび太は、これを使って6月2日を「ぐうたら感謝の日」と決めます。6月2日は日本中が「ぐうたら感謝の日」になるのです。

 

 

 「勤労感謝の日があるんだから」という理由から「ぐうたら感謝の日」を思いついたのび太の発想は、安直なのに天才的です。ぐうたらに感謝する日だなんて、実にのび太にふさわしい祝日だと思います。のび太が思いつき、のび太が制定したからこその、強い説得力があります(笑)

 そして、過労死やブラック企業など“働きすぎること/働かされすぎること”が社会問題化している現在の日本社会を思うと、なんと本気で労働者に寄り添って手を差し伸べてくれる精神だろう、と感嘆します。「勤労」ではなく「ぐうたら」に感謝するところが本質をついていると感じるのです。

 

 そのように、ぐうたらに感謝するというのは望ましい精神ですし、その精神を主旨とする祝日を制定するなんて、現代社会に対して皮肉が効いているしとても粋な行ないだと思うのですが、実にもったいなかったのは、のび太が「ぐうたら感謝の日」を制定するさい「この日はだれも働いちゃいけない日!法律で、そう決まったの」と言ってしまったことです。のび太に他意はなく、ぐうたらに感謝する日なんだからみんな働かずにゆっくりのんびりしようよ、くらいのライトな気持ちで言ったのでしょうが、のび太のその言葉が融通のきかないかたちできっちり適用されてしまったのですから、たいへんです。学校や通常の会社が休みになるばかりか、家事や商店や警察など一切合切の労働が休みになってしまいました。さすがに、すべての労働が止まってしまえば社会生活は機能しません。せっかくの「ぐうたら感謝の日」は、あえなく破綻することになるのでした(笑)

 「ぐうたら感謝の日」は、誰も働いてはいけない日ではなく、ぐうたら精神に感謝しつつなるべくぐうたら過ごす日……。そのくらいの緩やかさでちょうどいいと思いますし、私は毎年この日を迎えるたびにそういう日として心にとめています。

 

 ちょっと余談になるかもしれませんが、この話のなかで、のび太が「底ぬけに遊ぼう」と言うシーンがあります。この「底ぬけに遊ぼう」という表現が以前からとても好きです。日曜以外はまったく休めないはずだった6月に祝日ができたことへの手放しの歓喜と、そのありがたい一日をとことんまで遊び尽くしたいという旺盛な欲求がこの短いセリフから軽やかに伝わってきて、こちらの心までもがのびのびと解放されていくような気分を味わえるのです。

 

 

 私は「ぐうたら感謝の日」という(架空の)祝日を制定してくれたのび太(および藤子F先生)に感謝しながら、なるべくぐうたらして一日を送りたいと思います(笑)