大山のぶ代さんを偲ぶ

 大山のぶ代さんの訃報に触れてから大山さんを偲んですごしています。

 https://koikesan.hatenablog.com/entry/2024/10/11/213649

 

 私が大山さんと初めてお会いし(多少なりとも)お話できたのは、2006年6月11日のこと。東京のリブロ池袋本店で開催されたサイン会のときでした。

 自分の順番がめぐってきて大山さんの前に立った瞬間、小学生のころからずっと特別な存在であり続けずっと親しんできたドラえもんの声の主がいま目の前にいる!と心が震えました。
 緊張しながら「『ドラえもん』のアニメがスタートしたときからずっと観てきました。いま感激してます」と伝えると、大山さんは、にっこりと頷きながらサインを書いてくださいました。

 為書き用に前もって紙に記しておいた私の名前をご覧になった大山さんが「あら、田村高廣さんと同じお名前ね」と田村さんとの交友をお話くださったのもとても印象深いです。

 これがそのときいただいたサインです。「高広くんへ」と為書きを入れてもらえたのも嬉しいし、記念になります。
(いま現物は実家に置いてあって写真を撮れないので、前にガラケーのカメラで撮った画質のよくない写真を載せています)

 

 東京に続き同じ年の8月5日に京都でも大山のぶ代さんのサイン会があって、参加しました。会場は大垣書店ダイヤモンドシティ店。

 大山さんの前に立った私は、「26年間楽しませていただいて、本当にありがとうございました」と感謝の言葉をお伝えしました。すると大山さんは「いえいえ、こちらこそありがとう」とあたたかい言葉を返してくださったのでした。
「大山さんの声じゃないドラえもんが始まるとは思ってもみませんでした」と、ドラえもん声優交替の報を聞いたときの率直な驚きも大山さんに伝えました。大山さんは「原作がしっかりしてるから、誰がやっても大丈夫なのよ」とにこやか答えてくださり、その言葉に心打たれた私は「そうですね!これからもずっとドラえもんを観続けます」と決意表明。水田わさびさんのドラえもんも心から愛好して今にいたっています。

 京都のサイン会でいただいたサイン。このときは為書きはなしでした。

 

 私が参加したこれらのサイン会は、大山さんの自伝エッセイ『ぼく、ドラえもんでした。 涙と笑いの26年うちあけ話』(小学館)出版を記念したものでした。

 池袋と京都のサイン会でそれぞれにこの本を購入したわけですが、その前に読む用としてこの一冊を買っていました。


 訃報に触れた翌日には、大山さんの他界を報じる記事を紙の形で保管しておきたくて、一般紙×3、スポーツ紙×4を入手。

 コンビニで入手しましたが、中日新聞だけは自宅でとっているものです。


 紙の形で保管しておくといえば、

 いま自宅に保管してあるこれらの雑誌には共通点があります。

 

 ドラえもん声優交替に関する何らかの記事が掲載されているのです。
 当時、ドラえもんの声優交替劇はこうした一般の週刊誌や月刊誌をも賑わす出来事でした。
 これらの雑誌はすべて2005年3月〜5月ごろに発売されたものです。声優交替後の新しいアニメ『ドラえもん』がスタートした時期です。声優交替の第一報があったのは、それより数ヶ月前の2004年11月のことで、多くのテレビ番組や新聞で報道されました。そのとき購入した新聞記事も自宅に保管してあるはずですが、少し探したくらいでは見つからなさそうです…。