Mさんからのメール

 元日に、Mさんからメールが届いた。Mさんから肉筆のお手紙をいただいたことは過去にあったが、電子メールとなるとこれが初めてである。
 Mさんは、年末年始のお休み中にホームページ巡りをしていて、このブログにたどりつき、ここで公開している私のアドレスへメールをくださったのだ。
 さっそく私もMさんにメールを返信した。こうしてMさんと個人的に交流をもつのは何年ぶりのことだろう。


昨年12月29日の日記で、私が十代の頃に活動していた藤子ファンサークルについて少し触れた。Mさんも、その時代からの藤子ファン仲間である。
 私がMさんのお名前を鮮烈に意識したのは、昭和58年5月に発行された藤子不二雄公認ファンクラブの会誌「月刊UTOPIA」9・10合併号においてである。当時、私は15歳だった。
 この号は、『少年時代』の特集を大々的に組んでいて、会員が書いた『少年時代』にまつわる投稿文を何編か掲載していた。そうした投稿文の一編に、Mさんの文章があったのだ。
 私はMさんの文章を一読して胸をうたれた。その文章はまず、『魔太郎がくる!!』への共感を示すところから始まっていて、小学生の頃から『魔太郎がくる!!』の信奉者であった私の心は、その冒頭部分だけで一気にさらわれていった。文はすぐに本題の『少年時代』の話に入っていくのだが、そこでMさんは、『少年時代』をテキストにしながら、いじめや友情、人間関係の複雑さといったことから、教育の問題、現代の子どもが置かれた状況にまで誠実に言及している。それを読み終えた私は、藤子作品を読むことでここまで深く真摯に考えを巡らせている人がいることに大きな感銘を受けた。
 

 さらに、この「月刊UTOPIA」9・10合併号の誌面には、昨年12月27日にもお会いした埼玉のOさんが『少年時代』に対する深い想いを綴った名文も掲載されているし、北海道の藤子ファンであるKさんの非常に印象的な投書も載っている。自分がファンジンに投稿するなんて考えてもいなかった当時の私は、彼らの文章に込められた敬虔なまでの藤子ファン魂に触れて、「こんなふうに、藤子作品から得た感動や、藤子作品への愛情を文章にできたら、どんなに素晴らしいだろう」と強く思った。そのとき以来、この3名の文章こそが、私が〝藤子不二雄〟について書く文章の模範となり、そしてまた、私が藤子ファンとして生きていくうえでの精神的な拠り所にもなったのである。
 その時点ではまったく知り合いではなかったこの3名と、のちに手紙やサークル活動などで交流をもてるようになり、私は彼らを仰ぎ見ながら、〝藤子不二雄〟にまつわる文章をあちこちに投稿することになっていったのだ。