「変身ビスケット」「しずかちゃんさようなら」放送

わさドラ』第13回放送。



●「変身ビスケット」

初出:「小学六年生」1974年4月号
単行本:「てんとう虫コミックス」1巻など


 冒頭。家に来客があるため、ママが早めに夕食の支度をするシーンから始まった。原作では、すでにお客が来ていて、ママがのび太に「お菓子を買ってきて」と頼むコマからいきなりスタートするが、アニメでの冒頭シーンの追加は、そういういきなりな始まり方を自然な流れに変える効果があった。
 唐揚げをつまみ食いするのび太に、ママが「そんなに意地汚いとオオカミになっちゃうわよ」と注意するくだりは、その後のび太やママが変身ビスケットをつまみ食いして本当に動物になってしまうことへの前フリになっている。
 のび太がしずかちゃんたちと会う約束をしているというのも追加点だが、これはなくてもよかった。しずかちゃんと出木杉をこの話に登場させるための、とってつけたような追加だと感じた。


 ママにお使いを頼まれたのび太は、それをドラえもんに押しつけようと自分の部屋へ行く。だが部屋の中にドラえもんは見あたらず、動物型ビスケットの入った箱がポツンと置いてあるのみだった。のび太はこのビスケットをお客に出そうと考える。そしてのび太も、ネコ型のビスケットをひとつつまみ食いする。
 原作ののび太は、ビスケットを軽く上へ投げて口で受けとるという方法でつまみ食いをするが、アニメでは普通に手で口へ持っていって食べていた。子どもが真似をして食べ物を喉に詰まらすことのないように、という配慮だろう。


 お客にビスケットを差し出したのび太は、もっとちゃんとしたお菓子を買ってくるようママに言われ、仕方なくお使いに出る。そして、和菓子屋で買い物をしていると、言葉づかいに「ニャン」というネコの鳴き声が混じりだし、そのうちネコの姿に変身してしまう。
 ネコに変身したのび太は、原作ではあっさりとドラえもんに出会い、ビスケットの真相を知らされるが、アニメでは、そうなるまでの間に追加エピソードが挿入された。ネコのび太がジャンアンとスネ夫に発見され、街の中を追いかけられるのだ。
 このときネコのび太は、ネコらしく塀の上を走って逃げる。そして、ドラえもんと会ったネコのび太は、自分の顔を前脚で撫でまわしたり、ドラえもんにじゃれつくような仕草をする。こうしたネコの生態を思わせるネコのび太の描写は、アニメ・オリジナルだ。
 原作では、人間が動物の姿に変身しても、言葉にその動物の鳴き声が混ざる程度で、行動パターンはほぼ人間のままだったが、アニメでは、姿だけでなく、行動・仕草にも動物らしさを匂わせていた。アニメーションという動く絵の特質を生かした演出だ。


 もとの姿に戻ったのび太は、ドラえもんとともに自宅へ帰り、お客が変身ビスケットをどれだけ食べたか確認する。すると、お客は4個もビスケットを食べていた。
 のび太の「いやしんぼ」という台詞が、「くいしんぼ」に変更されて、ちょっと残念。


 のび太ドラえもんは、動物に変身したお客の姿をママに見せないようにする作戦に出る。
 まず、ウマ型の効き目があらわれ、お客の笑い声が「ヒヒヒン」とウマの鳴き声に近づくと、のび太ドラえもんは「大事な話」と言ってお客を部屋から連れ出し、無理やりトイレを使わせる。ウマになったお客の顔は、単純に笑えた。


 次は、ニワトリである。ママが「すみませんねぇ。やんちゃな息子で」と詫びると、お客は「いえいえ、お元気で結構ではありませんか」と答える。この「結構」が、「ケッコウ、ケッコウ」となり、「コケコッコー!」というニワトリの鳴き声に変わっていく。一種の駄じゃれだが、それがくだらなくて楽しい。
 ウマのときもそうだったが、温厚そうな中年男性のお客が、急に「ヒヒヒン」とか「コケコッコー」などと奇矯な声を上げる瞬間は、聴覚に訴えるぶん原作よりおかしく感じられた。


 わけのわからない電話に怒り心頭のニワトリ姿のお客が、「トサカにくる!」と言うのは原作と同様だが、この台詞は音声で聴くより文字で読むほうが印象に残る。
 ドラえもんが電話でニワトリお客に「目玉焼きに何をかけますか?」と尋ねたのは、なかなかイケていた。目玉焼きは、もともとニワトリが産んだ卵なので、その卵を食べる話をニワトリに向けたドラえもんは、ある意味残酷なことをしたのではないか。
 そういう見方を除いても、ドラえもんが電話で話した内容は、いかにも時間稼ぎの無駄話という感じがして、愉快だった。


 その後、お客はサルやカエルに変身。
 ネコのび太が、見た目だけでなく、行動までネコらしくなったように、お客も、ニワトリやカエルなどでその動物の特徴的な動きを見せた。


 ラスト。ママに怒られると思うと、足がすくんで家に入れないドラえもんのび太。そこに会社帰りのパパが登場し、代わりにママに謝ってくれるという。ところが、玄関に出てきたママがウサギの姿をしていたため、それを見たパパは気絶。ウサギ姿のママも、見た目だけでなく行動までウサギらしくなり、ピョンピョンと飛び跳ねていた。
 ウサギのママが言葉に混ぜる「ピョン」の発音が、通常のママのイメージから乖離していて、滑稽に感じられた。





●ミニシアター

初出:「よいこ」1970年4月号
単行本未収録

 原作は、サブタイトルなし、2ページ(6コマ)の作品。
 今日のアニメでは、素材感のある下地にキャラクターが描かれていた。





●「しずかちゃんさようなら」

原作サブタイトル:「しずちゃんさようなら」
初出:「小学六年生」1980年11月号
単行本:「てんとう虫コミックス」32巻など

 本作は、「てんとう虫コミックス」32巻の巻末に収録された感動の一編。しずちゃんのび太を心配し介抱する姿に胸をうたれる。
てんとう虫コミックス」の『ドラえもん』は、収録作品のセレクトや収録順の決定に藤子・F・不二雄先生自身が携わっていて、その巻末に、一冊を締め括るにふさわしい感動作・力作が配置されることが多い。「しずちゃんさようなら」も、そういったてんコミ巻末作品のひとつである。


 本作は、のび太としずかちゃんが将来結婚することが前提の話だが、その点『わさドラ』は、4月22日放送の「のび太のおよめさん」で2人の結婚を視聴者に伝えており、用意は万全である。


「ろくな大人になれない」と先生に説教されたのび太は、「言われてみればそうかな」と先生の言葉をまっすぐに受けとり、そんな自分が大人になってしずかちゃんと結婚すれば彼女を不幸にするにちがいないと真剣に思い込む。それで、今のうちにしずかちゃんと別れようと決心するのだった。
 少しでも立派な大人になれるよう今から努力しようと考えるのではなく、将来結婚する予定の女性と子どものうちに別れておこうと発想するところが、非常に偏っていておもしろい。その決心は、はたから見れば実にばかばかしくお門違いであっても、当人は極めて真剣で、その悩みは深い。
 のび太が思い描く未来の不幸のイメージは、のび太の悩みの深さと偏りを反映している。とくに、貧しい家の中でしずかちゃんが1人の赤ん坊を抱きかかえ、もう1人をおんぶしている図は、のび太の不幸のイメージの極端さと陳腐さをよく描出していた。
 のび太から将来の心配を聞かされたドラえもんは、腹を抱えて笑い転げる。わさびさんの演技が心の底から笑っているようで見事だった。


 のび太から引越ししようと持ちかけられたママは、「やぶから棒に何を言いだすの?」と反応するが、この「やぶから棒」という語を音声で聞くと、文字で読む以上に落語チックな感じがして楽しい。


 しずかちゃんから借りていた本を全部返そうというとき、本を包むために使った風呂敷が原作どおり唐草模様だったのは好印象だ。今どきの小学生が唐草模様の風呂敷を背負って歩く姿は、それだけで目を引くシーンになる。


 本を返しただけで帰宅するのび太を追いかけてきたしずかちゃんに、のび太は「ぼくらはもう会わないほうがいいんだ」と言葉を向ける。このあたりの大原めぐみさんの演技は、男らしく毅然とした口調ながら、のび太の独り善がりな思い込みのニュアンスも含んで表現していて、聴き応えがあった。


 のび太は、しずかちゃんに嫌われるため、しずかちゃんのスカートをめくる。このシーンはアニメで自主規制されるかも、と少しばかり思っていたが、ちゃんとスカートめくりをやってくれた。ただし、原作のようにパンツが見えるアングルでは描かれなかった。このあたりがギリギリの線なのだろうが、パンツが見えないなら見えないで、それなりにインパクトのあるシーンになっていた。
 原作ののび太はこのあと、怒ったしずかちゃんに殴られたのか、頭にこぶをつくる。それがアニメでは、頬へのびんたに変更され、のび太の左頬にしずかちゃんのてのひらの跡がくっきりと残る。このほうが女の子の怒りの表現として自然であり、望ましい変更だったと思う。


 そうして話はクライマックスへ。
 出木杉のび太の様子が変だと言われ、ジャイアンスネ夫から、のび太が先生に叱られた事実を教えられたしずかちゃんは、のび太が家出するのでは、と心配になり、深刻な表情を浮かべながら急いでのび太の家へ向かう。
 原作のしずかちゃんは、のび太が自殺するのでは、と心配するのだが、さすがに自殺というのはアニメで扱うにはヘビーだったか。


 しずかちゃんがのび太の家に着くと、のび太は、誰からも嫌われる「虫スカン」という錠剤を飲んで、しずかちゃんを自分から遠ざけようとする。この「虫スカン」が、今日のアニメでは、頭にふりかける液剤に変更された。『わさドラ』では、これまでも飲み薬系のひみつ道具がすべて違う形態に変更されているが、今回はその変更が、話の展開にかなりの影響を及ぼす。
 原作のしずかちゃんは、虫スカンを飲みすぎて苦しむのび太をトイレへ連れて行き、「のどのおくへ指をつっこんで」「はいてしまえば楽になるわ」と、のび太の口から薬を吐き出させる。それに対し、アニメのしずかちゃんは、のび太を風呂場へ連れて行き、のび太の頭から虫スカンを洗い流すのだ。


 原作における、のび太が自殺するのではと思い込んだしずかちゃんが、トイレで薬を吐き出させ、治ったのび太を見て「毒を飲んだのかと思ったわ」と安堵する一連の展開は、しずかちゃんの友達を想う強い気持ちや甲斐甲斐しい介抱ぶりが深く心に刻まれる名シーンなのだが、今日のアニメでは、そのあたりが原作より若干平凡なシーンになってしまった。


「自殺」や「飲み薬」が使えないという制約のもとで、製作陣は様々に工夫して作品を作ったと思うが、残念ながら、原作のような強い印象は得られなかった。
 だが、しずかちゃんがのび太の発する不愉快オーラに堪えながらのび太のもとへ進んでいく様子は丹念に描けていたし、のび太が無事と分かってのび太をもう一度風呂に突き落とすしずかちゃんの姿からは、安堵や怒りや悲しみが入り混じった彼女の複雑な感情が集約されて伝わってきた。だから、決して悪いクライマックスシーンだったとは思わない。