「たとえ胃の中、水の中」「ペロ!生きかえって」

 5月12日(金)のアニメ『ドラえもん』は、キャラクター大分析シリーズ第2弾「しずかDAY!」。


●「たとえ胃の中、水の中」

【原作】

初出:「小学五年生」昭和50年11月号
単行本:てんとう虫コミックス第10巻などに収録

 ママのオパールをピーナッツと間違えて飲み込んでしまったしずちゃんが、助けを求めてドラえもんのび太に相談にくる。そこで2人は、自分らの体を縮小してしずちゃんの体内に入り込み、オパールを取ってくることに。
 縮小した人間が人体の内部に進入し探検を繰り広げるというSF的アイデアは、手塚治虫先生の『吸血魔団』(1948年)とそのリメイク『38度線上の怪物』(1953年)、それらのマンガを元にアニメ化した『鉄腕アトム』第88話「細菌部隊」(1963年)、さらにそのアニメからアイデアを拝借したといわれるアメリカ映画『ミクロの決死圏』(1966年/リチャード・フライシャー監督)といった作品を思い出させる。たとえば、『38度線上の怪物』では、細菌ほどに小さくなったヒゲオヤジとケン一がたまたま肺病の少年に吸い込まれ、その体内で結核菌と白血球の戦いに巻き込まれていく、そしてまた『ミクロの決死圏』では、ミクロ化した5人の医者が手術不可能な脳内出血患者の体内に潜入し内部から治療をほどこそうとする、といったふうに生死をかけた戦いや医療プロジェクトが描かれるが、それに対し「たとえ胃の中、水の中」は、しずちゃんが誤って飲み込んだオパールを縮小したドラえもんのび太が取りに行く話で、実に『ドラえもん』らしい生活感覚が根をおろしている。しかも、人体の探検はあっさりと終わり、しずちゃんの体内から脱出したドラえもんのび太が、そのことにまだ気づいていないしずちゃんを「潜水艦がエンコした」と騙して驚かすくだりのほうが話のクライマックスになっているのだ。



 ドラえもんのび太が、小さくなってしずちゃんの口から胃へ入りオパールをとってくる、と提案したとき、しずちゃんは「なんかばっちい感じ…」と拒否反応を示す。さらに、いざドラえもんのび太を飲み込む段になると、「のむの?」と躊躇する。こうしたしずちゃんの態度は、デリケートな乙女心の発露だが、しずちゃんを助けようとしているドラえもんのび太の立場から見れば結構失礼なものだ。乙女の潔癖や繊細なためらいが、同時に友達に対する非礼となってしまっているところにユーモアを感じる。



 2人がたどりついたしずちゃんの胃の中では、どろどろした液状物質(胃液で消化されつつある食物)の上にピーナッツのかけらが浮いていた。その絵は、クールな背景の多い『ドラえもん』にしては生理感覚に訴える生々しさがあって、インパクトを残す。



 ドラえもんのび太は、「潜水艦がエンコした」と悪戯でしずちゃんを騙し、「このまま食べ物といっしょにながされていって、小腸から大腸へ…… あすあたり、でられるとおもうんだけど」などとやけに臨場感のある嘘の事態を報告する。自分の大腸に流れついたドラえもんのび太が、そのあとどういうかたちで体外へ出ることになるかとっさに想像したしずちゃんは、「いやよ、いやよ」と泣きわめく。このシーンは要するに下ネタだが、直接的な表現がない分、想像力に委ねる面白さがある。




【アニメ】(しずかちゃんを探検!? たとえ胃の中、水の中)
 
 冒頭、「たとえ胃の中、水の中」というサブタイトルになぞらえて、「ぼくはしずかちゃんのためなら、たとえ火の中、水の中。いつだってどこへだって助けに行くよ」いうのび太のセリフが加えられた。



 原作ではあっけなく終わった体内の探検シーンが、アニメでは結構長めに延ばされ、ドラえもんのび太の乗った瞬間移動潜水艦が、しずかちゃんの歯に引っかかったり、食道と間違えて鼻の穴を通過したり気管に突入したりと、原作にないアクシデントが追加された。鼻の穴の場面では、しずかちゃんの鼻毛が拡大されて映されたが、こんなふうにあからさまにしずかちゃんの鼻毛を見せてしまっていいのかしら?!
 のび太のママをごまかすため、しずかちゃんがのび太ドラえもんのモノマネを演じた。このとき、しずかちゃんの口がのび太ドラえもんに似せて極端に変形し、それはそれなりに面白かったが、こんなふうにしずかちゃんの口を変形させてしまっていいのかしら?!



 騙されていたと知って怒り狂ったしずかちゃんが手当たり次第に物を投げつけ、のび太オパールを飲み込んでしまう。ここは原作ではインク瓶だったが、インク瓶を飲み込むのは物理的に無理がありそうだし、たった今しずかちゃんの体内から取り出してきたばかりのオパールを今度はのび太が飲んでしまうという展開は、ドラえもんの徒労感が強調されたりして、悪くないオチだった。





●「ペロ!生きかえって」

【原作】

初出:「小学二年生」昭和46年11月号
単行本:てんとう虫コミックス第3巻などに収録

 かわいがっていたペットの死は、そのペットを家族や友達のように思っていればいるほど重いもので、胸を切り裂かれるほど悲痛な感情にみまわれる。多くの人がそういう体験をしたことがあるだろう。私も、ペットの死にさいして強い悲しみに襲われたことがあって、とくに、私が生まれる前から自宅で飼っていた犬と、幼児期から中学生にかけて一緒にすごした猫が死を迎えたときの悲しみは深かった。そのときの感情を重ね合わせながら本作を読むと、しずちゃんの悲しみがわがごとのように痛切に感じられてくる。



 冒頭、愛犬ペロを失って悲しむしずちゃんに、のび太は「秋ばれの、気持ちいい日だねえ」「こんな日はうきうきするね」と脳天気に声をかける。しずちゃんの事情を知らなかったとはいえ、のび太のこの言葉はあまりに間が悪く、スネ夫に「ひどいこというな」となじられたうえ、しずちゃんをますます悲しませてしまう。
 そんな冒頭ののび太のセリフは、ラストシーンの「きょうは、ほんとに気持ちのいい日だね」「秋空をとびまわりたいような、すてきな日ね」というのび太ドラえもんしずちゃんの喜びに満ちたセリフと対応している。冒頭ではただ間が悪いばかりだったマイナスの言葉が、ラストに来て、素直に感動をあらわすプラスの言葉へと膨らんで蘇生したのである。



【アニメ】(しずかちゃんの愛犬が… ペロ!生きかえって)

 幼い頃のしずかちゃんが風邪で高熱を出したとき、ペロが一晩中付き添ってくれた、という回想が挿入された。しずかちゃんはその思い出もあって、病気で衰弱したぺロに一晩中でも明日も明後日も付き添ってあげると約束したが、両親の説得もあって結局寝てしまい、そのことで自分を責めていた。このへんはアニメオリジナルのアレンジだけれど、ぺロの死でしずかちゃんが自責の念にかられる演出は、ちょっと重たいのではないか。



 ペロに飲ませる薬が、原作の〝どんな病気にもきく薬〟から〝動物のいろんな病気にきく薬〟へと微妙に変更された。これによって、薬を飲んでもペロが治るかどうか分からないというムードが強まり、結果としてペロが生き返るラストの感動が高まったような気がしないでもない。ドラえもんが「薬だからきかないこともある」と断りを入れたとはいえ、〝どんな病気にもきく薬〟だとペロが確実に治りそうな気がするが、〝動物のいろんな病気にきく薬〟と言われると、ペロの治る可能性が半々という感触になるのだ。



 ラスト、源家の門から生き返ったペロが飛び出してきたときは、そうなると分かっていたのにジーンときた。最後の最後のシーンは実に晴れ晴れとして感動的だが、タケコプターで飛ばされたままの警察官が原作と同じく登場して笑わせてくれた。アニメでは、ちゃんと言葉を聞きとれるセリフ付きだった。





※藤子関連、単行本発売予定

●5月23日、中公文庫コミック版『喪黒福次郎の仕事』 藤子不二雄A著/税込580円
http://www.taiyosha.co.jp/bunko/c_bunko0605_date.html


●5月27日、『ぼく、ドラえもんでした。』 大山のぶ代著/税込1575円
http://skygarden.shogakukan.co.jp/skygarden/owa/solrenew_newbooks?mm=0&type=s&seq=0&page=2


●6月28日、てんとう虫コミックスアニメ版『のび太の恐竜2006』 藤子・F・不二雄原作/税込500円
http://www.s-book.com/plsql/com2_booksche?sha=1&jan=c&mm=1&img=0&seq=&page=3


●6月30日、ぴっかぴかコミックス『忍者ハットリくん』4巻 藤子不二雄A著/税込400円
http://www.s-book.com/plsql/com2_booksche?sha=1&jan=c&mm=1&img=0&seq=&page=4