きのうは、2016年1月から6月までを、私の参加したマンガ・アニメ関連のイベント・展覧会で振り返りました。
■2016年をイベント・展覧会で回想する【1月〜6月】
http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20161229
今日は、7月から9月までを回想します♪
■7月9日
この日から愛知県の田原市博物館で「川崎のぼる〜汗と涙と笑いと〜展」が始まりました。
初日には関連イベントとして、川崎のぼる先生、ビッグ錠先生、南波健二先生という巨匠漫画家3名のトークショーが開催されました。レジェンドな先生がたが3名も愛知県にいらっしゃるというのは稀有な機会ですし、大きな喜びですが、同じ県内といえど、自宅から田原市博物館まで電車を乗り継いで2時間半〜3時間弱はかかるし、天気があいにくの荒れ模様だったので、ひょいと気軽に行ける感じではありませんでした。 でも行ってみて本当によかったです。大満足のイベントでした。
・トークショーが始まる前の時間帯に企画展スタート記念セレモニーがありました。3名の先生がたもテープカットに参加。
そうして、午前11時からトークショーが始まったのです!
・先生がたのデビュー、出会い、貸本時代のエピソードを中心に、川崎先生が雑誌に活躍の舞台を移されてからのお話まで、ひとつの漫画史をたどるような貴重なエピソードをご本人たちの口からじかに聴けました。
『巨人の星』連載50周年ということで、同作の創作秘話や原作者である梶原一騎先生の思い出が多く語られました。川崎先生はこうおっしゃいました。「銀座のある店の前で晩年の梶原さんに偶然会ったことがある。真樹日佐夫さんも一緒だった。「よぉ!」と声をかけてくれた。もうずいぶん酔っていたが、梶原さんは真樹さんに「川崎さんは俺の命の恩人なんだよ」と言ってくれた。うれしかった。いろいろな意味が込められていると思うが、認めてくれたんだなと感じた」
このお話にジーンとしました。
川崎先生は現在熊本県にお住まいで、ご自宅は熊本地震で最も被害の大きかった町の目と鼻の先だとか。「だから今日、川崎さんがここでトークショーをやれているのは奇跡だ」と南波先生がおっしゃったのも胸に響きました。
トークイベントの前後には、先生がたにご挨拶をさせていただいたり、写真を撮っていただいたり、サインを描いていただいたりと、思いのほか先生がたといっぱい触れ合うことができて楽しい時間をすごせました。
・川崎のぼる先生と!
会場の客席には平松伸二先生や、梶原一騎先生のご長男・高森城さんもいらっしゃいました。みなさん気さくに接してくださって、ますます場が楽しくなりました。
・高森城さんの名刺の裏面が凝っていておもしろいです。私が「お父様の梶原一騎先生はコワモテでいらっしゃいますが、ご家族にはどんなふうに接しておられたんですか?」とお訊きしたら、「それは家族にもコワモテですよ(笑)」と答えてくださいました。
・トークイベント終了後は、川崎のぼる先生のサイン会となりました。会場で購入した図録に、サインとともに星飛雄馬の顔を描いてくださいました♪ 飛雄馬の顔ができあがるまでの過程を目の前で見られて感嘆です!
・川崎先生のサイン会とは別に、南波健二先生にもサインを頼みました。こころよく豹マンを描いてくださいました!かっこいい〜!!
・平松伸二先生には『ドーベルマン刑事』の加納を描いていただきました! 小学生のころ「週刊少年ジャンプ」でリアルタイムで読んでいた思い出の作品なので非常に嬉しいです。
展覧会では、川崎のぼる先生の原画が数多く展示されており、その迫力、緻密さ、うつくしさ、かっこよさ、かわいらしさに魅了されました。貸本単行本など珍しい資料も見られました。最も多くの原画が展示されていた作品は『巨人の星』。そのほか、『いなかっぺ大将』『荒野の少年イサム』『てんとう虫の歌』などなど、川崎先生の多岐にわたる画業を原画で振り返ることができました。
■7月17日
「愛知サマーセミナー2016」という3日間にわたる講演イベントの2日目、漫画界の巨匠・ちばてつや先生の講座「戦後71年とマンガ人生」が開催されました。
満州での生活、終戦、引き揚げのエピソードから、『紫電改のタカ』『ハリスの旋風』『あしたのジョー』といったひとつひとつの作品に関するお話まで、ちば先生のお人柄が伝わってくる素敵な講演でした。
『紫電改のタカ』は昭和38年から連載が始まりました。その当時は少年雑誌のグラビアで日本軍の戦闘機や戦艦がよく紹介され、少年マンガの世界では戦記モノが流行っていました。その潮流のなかで編集部から戦記モノを依頼され、ちば先生が描き始めたのが『紫電改のタカ』だったのです。
『紫電改のタカ』が、その当時流行っていた他の戦記モノと違う展開になっていったのは、戦争をかっこいいものとして描く風潮にちば先生が疑問を感じたからです。戦争の本当の部分(かっこいいものではない側面)を描きたい、という動機があったのです。
『あしたジョー』に関する話題では、ちば先生のこんな言葉がとても心に残りました。
・『ハリスの旋風』で拳闘部編を描いたとき、いろいろなボクシングジムを訪ねて取材したことがあって、今度はオリジナルのボクシングマンガを描くと決めていた。それなのに、うまく押し切られるかたちで梶原一騎さんと組んでやることになったのが『あしたのジョー』だった。自分の考えとは異なるかたちで始まった『あしたのジョー』だが、自分ではわかりにくい人物や知らない場所を梶原さんが与えてくれたおかげで『ジョー』はああいう(純文学的部分などのある)作品になった。「ちばてつやと梶原一騎は水と油で、それが混ざり合ったから『あしたのジョー』はうまくいったんだ」と周囲から評された。もし僕一人でボクシングマンガを描いていたら、半分ギャグの明るいボクシングマンガになっていただろう。梶原さんのおかげでジョーがある、といつも思っている。
ほかに、こんなお話が印象に残りました。
・デビュー間もない新人のころ、すでに手塚治虫先生や横山光輝先生など先輩漫画家が少年誌で活躍していて僕には入りこむ隙がなかった。仕事になるのなら…と思い、少女をかわいらしく描く練習をして、少女マンガを手掛けるようになった。
・後年、少女マンガから少年マンガに足場を移したとき、少女マンガを描いていた影響からか「ちばてつやの描く少年はまつ毛が長い」とよく言われた(笑)
・『ちかいの魔球』を連載することが決まり、自分の知らないピッチャーの球種を教えてもらうため担当編集者とグローブを持って公園でキャッチボールをした。それを機に、体を動かすことの大切さを知り、運動が好きになった。
講演の終盤には、ちば先生がその場でキャラクターを描いてくださるという、なんともぜいたくな、興奮せずにはいられない時間を味わいました。
・石田国松や矢吹丈を描かれました!
・講演終了後は、新幹線の時間が迫るなかサイン会を開いてくださって、ほんとうにありがたかったです。
・なんてあたたかくて、おやさしい先生だろう、とあらためて感じ入りました。
■7月17日
「愛知サマーセミナー2016」の2日目。ちばてつや先生の講座の前の時限に、やくみつるさんの「やくみつるの秘境漫遊記」を聴講しました。
やくさんが最近行かれたというチェルノブイリツアーをはじめ、シリア、ボリビア、コロンビア、スリナム、ホンジュラス、リビア、トーゴ、マラウイなどなど、一般の人があまり旅行しない国々を旅した体験をおもしろおかしく語ってくださいました。
やくさんは、ツアーで旅に行くのがこだわりだとか。ツアー参加者のなかには、わがままな人や変わった人がよくまじっていて、そういう困った人と遭遇できるのが楽しみなのです。何日間かのツアーを終えたらそういう困った人たちとすっぱり縁を切れるところもよいのだそうです(笑)
やくさんのお話を聴いていて、いちばん行ってみたいかも…と感じた国は、中央アジアの北朝鮮といわれるトルクメニスタンです。地獄の門と呼ばれるガスクレーターの途轍もない光景を眺めてみたくなったし、明るい独裁国家とはどんな様相なのか表層だけでも体感してみたいと思ったのです。
好きな漫画家は?との質問にやくさんが「近藤日出造」と答えたのも印象的でした。風刺漫画家の大先輩を尊敬していらっしゃるんですね。私は近藤日出造の存在を藤子不二雄Ⓐ先生の『まんが道』で初めて知りました。
・講演後は、ご著書を購入してサインをいただき、写真も撮ってもらいました。
■7月31日
戦争と平和の資料館ピースあいちで、『丸出だめ夫』『ロボタン』などの巨匠漫画家・森田拳次先生の講演会が開催されました。 同館で開催中だった特別企画「私の八月十五日展 マンガ家・戦争体験者―あの日の記憶」の関連イベントでした。
森田先生とは、ご縁があって数年前にお目にかかったことがあります。今回再会してそのことを先生にお伝えすると、会った場所(横浜市○○区)まで記憶してくださっていて、とてもありがたかったです。
講演の演題は「私と漫画家たちの八月十五日」。
森田先生は、満州での生活、終戦、引き揚げ、漫画家デビュー、「中国引揚げ漫画家の会」「私の八月十五日の会」結成、といった話をされました。
マンガに関連したお話では、こんなものが印象に残りました。
・「中国のイベントに出席したとき、通訳の人が不慣れだったのか、「代表作は『丸出だめ夫』です」と紹介すべきところを「『丸出しだめ夫』です」と紹介されてしまった(笑)」
・「中国から引き揚げた漫画家の代表作には、なぜか「バカ」や「ダメ」のつくものが多い。赤塚不二夫『天才バカボン』、古谷三敏『ダメおやじ』、北見けんいち『釣りバカ日誌』(原作:やまさき十三)、森田拳次『丸出だめ夫』といった具合。ギャグマンガ家が多いのも特徴」
・「中国へ行って丸出だめ夫の絵を描くと、のび太と間違えられることが多い。「のび太とは違う」と否定すると、「じゃあ、のび太のマネか?」と訊かれるので、「のび太よりだめ夫のほうが先だ」と返答すると、「じゃあ、のび太がだめ夫のマネなのか?」と言われ、「いや、それも違う」と、そんなやりとりになった。のび太よりだめ夫のほうが先に描かれたことを知った中国人から、「のび太の創始者」扱いを受け、群衆に囲まれて「のび太を描いてくれ〜!」「ドラえもんを描いて〜!」と大変なことになった(笑)」
・のび太とだめ夫をご自分の画で比較する森田先生。
質疑応答のコーナーでは、森田先生と目が合って促され、質問するつもりではなかったのですが、質問することになってしまいました(笑)
講演が終わると、森田先生のサイン会の様相に!
・私は色紙にロボタンを描いていただきました♪ ロボタンかわいい〜!!!
・森田先生と記念写真です♪
森田先生はとても気さくなお人柄で、サービス精神たっぷりでいらっしゃいました。
■8月6日
名古屋で毎年夏に開催される「世界コスプレサミット」に行ってきました。
「世界コスプレサミット2016」についてはすでに当ブログでレポートしています。
http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20160808
今日は、そのレポートで取り上げきれなかったネタを中心に回想してみます。
名古屋の大通りである「錦通」で世界30の国・地域からやってきた代表コスプレイヤーのパレードがおこなわれました。
・ロシア代表
知らないキャラもずいぶん多かったのですが、奇抜だったり美しかったりかわいかったりするコスチュームを眺めるだけで楽しかったです。
■8月6日
「世界コスプレサミット2016」のレポートの続きです。オアシス21という場所にたくさんのコスプレイヤーさんが集まって、交流の場になっています。暑いうえに、混雑がすごいのでバテそうでした(笑)
知らないキャラクターが多いがために、たまに知っているキャラクターに遭遇するとやけに嬉しくなって、そのコスプレイヤーさんに撮影をお願いしたくなりました(笑)
・殺せんせー。作中の殺せんせーは無敵キャラですが、こちらの殺せんせーは前方があまり見えないらしく、歩き方がたどたどしく、通行する人に体当たりすることも(笑) 私も壁際に座っていたとき踏まれそうに…。
・アラレちゃんと撮ったときはテンションが上がりました!(この写真は前にもアップしましたね・笑)
・キューティーハニー。すれ違ったさい呼び止めて撮ってもらいました。
・『キン肉マン』に登場するキング・ザ・100トン。
・宇宙刑事シリーズや平成仮面ライダーシリーズは、公式のキャラクターショーみたいな雰囲気でした。
「世界コスプレサミット」は今年で14回目だとか。私はこれまで、他の用事で近くに行ったらたまたまコスプレサミットの日だった、ということはあったのですが、コスプレサミット目的で足を運んだのは今回が初めてです。今まで行ってなかったのがもったいないくらい楽しかったです♪
■8月19日
横浜人形の家で開催された「鉄腕アトム ロボットと暮らす未来展」へ行ってきました。
・『鉄腕アトム』の世界を題材に、人間がロボットと暮らす未来をいろいろな切り口から紹介していました。
・こんな感じで『鉄腕アトム』のいくつかのエピソードを複製原画で読めました。
・複製原画が多かったのですが、手塚先生の直筆原画もありました。
■8月20日
8月11日(木)から23日(火)まで中野ブロードウェイのpixiv Zingaroで「GS美神25周年記念 椎名高志原画展」が開催されました。『GS美神 極楽大作戦!!』を中心に、『MISTERジパング』や『絶対可憐チルドレン』といった椎名作品の生原画が展示されていました。
カラー原稿の美しさ、モノクロ原稿のペンタッチなどを堪能♪ アニメ『GS美神』のセル画もありました。
■8月27日
「名古屋SFシンポジウム2016」へ行きました。会場は椙山女学院大学。テーマは「SF今昔物語」でした。
シンポジウムは3部構成で、「SFミステリ」「再・SF入門」「奇妙な味」に関するパネルトークを聴けました。
・パネルトーク1「一〇〇〇〇光年は遠すぎる〜SFミステリを語る」ゲスト:太田忠司、大矢博子
“SFミステリ”はフェアさが担保されるか?という問いから話が始まりました。太田さん、大矢さんのSF観とミステリ観を対比的に聴けたのが興味深かった。結論としては、SFとミステリは決して相反するものではないし、むしろ相性がよく、現在までに(とくに1990年代以降の小説技術の高まりによって)優れたSFミステリがいろいろと書かれている、ということでした。
・パネルトーク2「再・SF入門」ゲスト:中村融、太田貴大
これまでに刊行された各種SF入門書が紹介されました。筒井康隆編『SF教室』(ポプラ社)の影響力の絶大さを思い知りました。
SF小説オールタイムベストの変遷をまとめたリストが配布され、これは労作だと思いました。国内SFは時代によって順位の変動が激しいのですが、海外SFは同じような作品がもう何十年も上位に居続けています。『幼年期の終り』『火星年代記』『ソラリスの陽のもとに』『夏への扉』『虎よ、虎よ!』は(SFベストの変遷で見たときの)神ファイブだ!と司会者の方がおっしゃっていました。
・パネルトーク3「奇妙な味とSFの香り〜異色作家を読む」ゲスト:安田均、植草昌実、YOUCHAN
私は藤子不二雄Ⓐ先生が書かれた文章で“奇妙な味”と呼ばれる小説群が存在することを知り、Ⓐ先生が大好きだとおっしゃるロアルド・ダールやスタンリイ・エリンなどの作品を読んだクチですが、今回のお話を聴いて“奇妙の味”の世界の想像以上の豊かさを知りました。ゲストの皆さんの“奇妙な味”愛が止まらない!!!
・安田均さんにサインをいただきました!
大矢博子さんが余談として話されたことで会場がざわざわしたのも印象的でした。「最近日テレでドラマ『時をかける少女』をやっていたが、そのドラマの原作が2006年のアニメ映画だと思っている人がいる」という話です。「いや、『時かけ』の原作はアニメ映画じゃなくて、ずっと前に原田知世が主演した実写映画なんだよ!」と自信ありげに誤った訂正をする人もいたとか(^^)
まあ、これだけ何度もメディア化されていると、原作がどれだったか認識されづらいでしょうし、とっくに原作を離れて独り歩きしている作品なのでしょうね。私の世代だと『時かけ』の原体験は原田知世さんの映画だという人が多いでしょうし、私よりもう少し上の世代には、NHKの少年ドラマシリーズで出会ったという方も少なくなさそうです。
■9月2日
「岡崎京子展 戦場のガールズ・ライフ」へ足を運びました。会場は伊丹市立美術館。東京で開催されたとき行けなくて無念だったので、その思いを晴らすことができました。
原画を中心に、掲載雑誌、学生時代のスケッチ、投稿雑誌、関連資料など、パンフレットによれば300点以上が展示されていました。岡崎作品は、私の語彙から離れた領域にあるような気がして、何か語ろうとすればとたんに言葉知らずになってしまいそうです。単純に、すごい!としか言いようがなくなってくるのです。
彼女の作品で描かれる東京の若い女性たちとはまるで住む世界が違う(と表面的には感じられる)私ですが、彼女らの表情や仕草や言葉から浮かんでくる孤独、欲望、鬱屈、空しさ、いたたまれなさといったものの一部は共有できるところがあるような気がします。作中の女性たちの心の痛みが、それを読む私の痛みとして感じられる瞬間が(錯覚かもしれないけれど)あるのです。
岡崎作品にはさまざまな映画や文学や漫画などからの引用がちりばめられていて、それも魅力的です。展示を見ながら、手塚マンガ、藤子マンガ、楳図マンガなどのネタを見つけるたびに勝手に喜んでいました。
展覧会の全体を通して、作品から立ちのぼる特有の感覚の鋭さに心を刺されました。その感覚の鋭さは、先端のファッションやポップな文化に対しても、絶望感や疎外感のような苦しい感情に対しても働いていて、岡崎京子の世界の豊かさを産んでいるのだと感じました。
・この会場に向けた岡崎京子さんのメッセージ。
■9月24日
ますむらひろし先生の原画展&サイン会に出かけました。愛知県瀬戸市で毎年開催されている「来る福 招き猫まつり」内のイベントでした。サイン会の会場となったのは、瀬戸市文化センターです。
瀬戸という近隣の市で著名な漫画家さんのサイン会が催されるなんて、イベントのために遠出することが少なくない私にはありがたい限りでした。
原画展は小規模ながら、来年の「アタゴオルカレンダー」のために描きおろされた各月のイラストが展示されていて、1枚1枚の美しさにほれぼれしました。
会場で販売される書籍・グッズを購入すると、先着100名までサイン会に参加できました。私は、宮沢賢治の童話のなかで思い入れの強い一編『虔十公園林』の本(ますむら先生が漫画化したもの)が売っていたので、それを購入してサインをいただきました。
・『オツベルと象/虔十公園林』
・整理券をゲットしてホッとしていたら、ますむら先生が会場に到着され、お一人でロビーを歩いておられたので写真を撮っていただきました。気さくに応じてくださって感涙です。
午後1時からサイン会がスタートしました。
・ますむら先生は、サインとともに、ヒデヨシの横顔と「せと」のフキダシを描いてくださいました。先生とはあまりお話できませんでしたが、「賢治の童話のなかでも『虔十公園林』は子どものころから大好きな一作なんです。その本にサインをいただけて嬉しいです」といったことをお伝えしました。
(次回に続きます)