『わが名はXくん』初単行本化!

 『わが名はXくん』1巻が6月28日に講談社から発売されました。
 
 
 『わが名はXくん』は「幼年クラブ」昭和33年1月号から連載が始まって、同誌休刊後「たのしい四年生」「五年生」「六年生」と描き継がれた作品ですが、初出以降一度たりとも単行本になっていませんでした。それが、ついに、ついに単行本化されたのです。連載開始から数えて、じつに60年を経ての初単行本化です。
 私は『わが名はXくん』を藤子不二雄Ⓐ先生の初期作品のなかでもとりわけ重要な作品だと位置づけています。
 『わが名はXくん』は“勉強も運動も苦手な弱虫少年が宇宙人からもらった不思議なマスクをかぶってスーパーマン的な力を得る”というお話です。その設定から、藤子・F・不二雄先生の代表作のひとつ『パーマン』の原型だと言われてきました。そして、藤子Ⓐ先生ご自身は、講演会で「のちに藤子マンガの王道となるギャグ路線(『忍者ハットリくん』『怪物くん』など)のルーツになっている」と語っておられました。
 つまり、『パーマン』の原型であるばかりか、日常の中に非日常が入ってくる藤子ギャグ路線の源流になっているのが『わが名はXくん』なのです。
 藤子Ⓐ先生は今回の単行本の巻末インタビューで、子どものころイジめられた自分の姿がXくんに投影されている、と語られています。その言葉を踏まえると、『わが名はXくん』は『魔太郎がくる!!』の源流的な作品だともいえます。いじめられっ子の少年が特殊な力を持つ、という設定。いじめられっ子の読者がカタルシスを得られる物語構造。そういう要素が『わが名はXくん』から『魔太郎がくる!!』へバトンタッチされています。
 

 前述のとおり、『わが名はXくん』は「幼年クラブ」昭和33年1月号から連載が始まったわけですが、同年3月号で雑誌が休刊して連載も3回で終わってしまいます。読者に好評だったし、藤子Ⓐ先生もノッて描いていただけに、編集者から休刊を告げられたとき先生はシュンとしたそうです。その翌年、「たのしい四年生」10月号から仕切り直しの連載が始まったおかげで、先生の思いが救われることになります。「たのしい四年生」誌上でも好評を博したようで、その後「たのしい五年生」「たのしい六年生」と学年を繰り上げながら連載が続き、「六年生」の昭和37年3月号まで続くことになりました。さらに、昭和40年から41年にかけて「毎日小学生新聞」で『マスクのXくん』としてリメイク連載されたりもしました。連載の長さとリメイクが描かれた事実から、Ⓐ先生がいかにXくんを気に入っており、いかに読者人気が高かったかがうかがえます。


 Ⓐ先生の自伝的マンガ『愛…しりそめし頃に…』では、『わが名はXくん』のアイデアが生まれてきた経緯が描かれています。満賀道雄講談社の編集者・富江道宏氏から「『たのしい四年生』で新しい仕事をしてほしい」と新連載を依頼されました。その後、講談社の近くの護国寺へ行って境内で寝転がっていると、謎の少年が姿を現します。その少年は、野球帽・風呂敷マント・目の周囲を隠すマスクを身につけていて、満賀の顔を木の枝でバシッ!と叩き、逃げだしました。
 満賀「待てーっ!! きみはいったい誰だーっ!?」
 少年「我が輩は、謎のエックスくんだ!」「ケケケ」
 少年はそう言って去っていきました。
 満賀はその出来事をヒントにアイデアをまとめていきます。
 「ぼくの名は江野木楠夫。あだ名はXくん!気が弱くて、クラス一番のいじめられっこだ」→「ある日曜日、ハイキングで山へ行って、皆とはぐれてしまった!」→「その山奥で、宇宙からきたと名乗る怪人に会う!」→「その宇宙人からもらった赤いマスク!それをかぶったぼくは大変身!突然驚くべき力を発揮する!」
 そんなふうにしてXくんが誕生したのです。
 私は『愛…しりそめし頃に…』を読んでこの少年が印象に残ったので、彼の存在について藤子Ⓐ先生に直接尋ねたことがあります。『まんが道』や『愛…しりそめし頃に…』はⒶ先生の自伝的なマンガですが、そこで描かれるエピソードは虚実入り混じっています。だからXくんのヒントとなったその謎の少年が実在の人物なのか知りたかったのです。
 Ⓐ先生のお答えは「実在の人物」でした。謎の少年なので、どこの誰かはわかりません。


 というわけで、それほどまでに藤子マンガ史において重要な初期作品が初出以降初めて陽の目を見たのですから、おめでたい限りです。
 今回発売された1巻は「幼年クラブ」版と「たのしい四年生」版を収録。7月26日発売の2巻は「たのしい五年生」版を、8月30日発売の3巻は「たのしい六年生」版と『マスクのXくん』を収録予定です。