少年画報を見る会

 28日(土)、懐かしの漫劇倶楽部会員のMさんが、同じく会員のHさんとともに、「少年画報を見る会」を開くというので、私も参加させてもらった。
「少年画報を見る会」の具体的な内容については、「28日、岐阜市の某所で行なう」ということ以外、当日まで何も知らされていなかった。当日の朝、Mさん、Hさんと名鉄岐阜駅で落ち合って喫茶店に入ったところでようやくMさんから会を開くに至った経緯を明かされたのだ。Mさんが、秋田在住の漫画雑誌・単行本コレクターのTさんから「少年画報」昭和42年3月号〜8月号の本誌と別冊付録を借り受けたので、みんなでその貴重な「少年画報」を見て楽しもう、という趣旨であった。
 Mさんは、「少年画報」に連載された手塚治虫作品『マグマ大使』のうち、手塚先生が多忙のため執筆できず井上智氏が代筆したパートを読みたいと、昔の漫画雑誌を大量に保存されているTさんに話を持ちかけた。するとTさんは、そのパートが掲載された「少年画報」を秋田から岐阜までわざわざ送ってくださったというのだ。少年時代にリアルタイムで購入した大事な雑誌を気前よく貸し出してくださったTさんの太っ腹と気遣いには頭が下がるばかりだ。
 実際、それらの「少年画報」を見ると昭和42年の雑誌のわりに傷みや汚れが少なく、まばゆいばかりに綺麗だった。少年時代のTさんがいかに丁寧に読んでおられたかがうかがえる。我々も、本が傷まないようできる限り丁重に扱った。



「少年画報を見る会」の開催場所は、岐阜市内の某スーパーマーケット2階にある会議室だった。机と椅子をセッティングし、「少年画報」の本誌と別冊付録を発行順に並べて記念撮影をしたあと、皆で思い思いに「少年画報」を手に取って読みはじめた。この時期の「少年画報」の巻頭はおおむね、まず初めにカラーで『マグマ大使』、その次にこれまたカラーで『ロボタン』(森田拳次)、それからトビラだけがカラーで藤子不二雄A先生の『怪物くん』といった順番で漫画が掲載されている。そしてこれらの漫画は毎月毎月、その号の別冊付録へと話が続いている。
 この時期の「少年画報」別冊付録は、作品ごとに1冊ずつ分かれているのではなく、すべての作品が1冊にまとめられた形態である。別冊付録でも『怪物くん』は3番目に掲載されており、そこで私が嬉しく思ったのは『怪物くん』の本編が終わった次の1ページが怪物くん関連の企画ページになっていることだった。読者が考えた怪物イラストの入選作発表だったり、怪物人気投票の結果発表だったり、絵日記風に藤子スタジオの様子を伝える「藤子スタジオだより」だったり、まことに楽しい企画が読めるのだ。これらの企画は、単行本に収録されることはまずありえず、じかに別冊付録を開かないと見られないものであり、そう思うと、とても貴重なものを目の当たりにしているんだなあ、と感慨がわいてくるのだった。



 Tさんの「少年画報」のほか、Mさんが持参した昔の漫画雑誌、Hさんが持ってきたレアな藤子単行本・別冊付録も見せてもらった。
 Mさんの漫画雑誌のなかでは「希望の友」1970年3月号が特に印象深かった。この号の表紙を、しのだひでお先生の連載漫画『悪魔っ子ゴミタン』が飾っているだけでも心惹かれるのだが、その漫画の内容が何だかとんでもなくて、心に残ったのだ。
 このままでは学校を卒業できないのではと悩む一人の学生がいた。その学生は、「全狂闘」と書かれたヘルメットをかぶっていた。ゴミタンはその学生に対し、学校を爆破させればいいんだ、とそそのかし、宣伝用の巨大コーラ瓶を渡して火炎瓶を作らせる。そうして学生は、本当に学校を爆破してしまうのだが、その直後に発狂して精神病院に入院し、結局卒業できなかった、という話だ。しのだ先生が、当時の世相を反映しつつ、マッドでブラックなユーモア漫画を描いていたことにまず驚いた。そしてまた、作中の見せゴマを太枠で囲ったり、そのコマの中だけいきなりリアルタッチにするといった手法が使われていて、藤子不二雄A先生の同様の手法が想起された。



 Hさんが持ってきた藤子単行本や別冊付録は、ン万円もするレアなものばかり。文句なくこれぞお宝本!と言えるものばかりである。そのうちの1冊『わが名はXくん』(「幼年クラブ」1958年2月号別冊付録)は全96ページもあって、「幼年クラブ」の読者層が読む漫画にしては、大変なボリュームがあるように感じられた。こうしたン万円もする別冊付録を実際に手に取ってページをめくれるだけでも、そうとう貴重な体験であろう。
 幼年クラブ版『わが名はXくん』は、その翌月の1958年3月号で掲載誌の休刊のため連載3回で終了になる。しかし翌59年、「たのしい四年生」10月号で復活をはたし、改めて最初のエピソードからストーリーが描きはじめられた。この「たのしい四年生」版『わが名はXくん』は、その後、年度が変わるごとに「たのしい五年生」「たのしい六年生」へと描き継がれ、2年半に及ぶ連載へと進展。限定された年齢層の読者を対象にした掲載誌でありながら、なかなかの人気を獲得したようだ。さらに1965年には「毎日小学生新聞」において『マスクのXくん』というタイトルでリメイクされ、およそ1年のあいだ連載が続いた。こうした事実を見ていくだけでも、当時の藤子不二雄A先生が『わが名はXくん』に強い思い入れを寄せていたことが了解できる。そして平成の時代になって以後、A先生の自伝的漫画『愛…しりそめし頃に…』や、A先生の伝記本『火の鳥人物文庫 藤子不二雄A 夢と友情のまんが道』(菅紘・著)などで『わが名はXくん』が生み出された経緯が紹介されることになり、現在もなおこの作品がA先生にとって重要な作品であることが伝わってくるのだった。



「少年画報を見る会」の前後には、岐阜市各務原市にある古書店や書店をいくつか巡った。何冊か本を購入したが、ここではそのうちの2冊を紹介しよう。


【新本】「MHz(メガヘルツ)」vol.2(マガジン・ファイブ/2006年10月13日初版発行) 
 小池さんのモデル・鈴木伸一先生とコラージュアーティスト・林絵美子さんの対談が掲載されている。トキワ荘フリークの林さんが鈴木先生に会いに行くという趣向。藤本先生がトキワ荘時代やスタジオ・ゼロ時代に行なったいたずらの話や、鈴木先生が小池さんのモデルにされた事情など、藤子先生関連の話題も出てくる。「おさえてオキタイ!関連作品?3」として、シャ乱Qの『新・ラーメン大好き小池さんの唄』、藤子不二雄A先生の『ホアー!!小池さん』、そして『トキワ荘青春物語』(手塚治虫&13人/蝸牛社)が挙げられている。


【古本】「山本弘のハマリもの」(山本弘・著/洋泉社/2002年1月23日初版発行)
 トンデモ本の研究で名を馳せたSF作家の山本弘さんが、自分の趣味について大いに語った本。以前、藤子ファン仲間のKさんから、「僕の作った同人誌が山本弘さんの著作で取り上げられたことがある」と聞いた。その本がこれなのだ。取り上げられた同人誌のタイトルは『FUJIKO WARS 1999』。山本弘さんはKさんの同人誌を「架空の番組の設定資料集という同人誌もよくあるけれど、これはそのなかでも特に完成度の高い一冊」「のび太、キテレツ、エスパー魔美オバQパーマンハットリくん、怪物くんなどなど、藤子アニメの全キャラクターが集結してバトルを繰り広げるという、クロスオーバー巨編である」などと紹介している。