公式サイト「ドラえもんチャンネル」の期間限定STAY HOME特別企画「まんが無料配信」で、藤子・F・不二雄先生のSF短編の大傑作『カンビュセスの籤』が公開中です。
https://dorachan.tameshiyo.me/WIN2021P1
3月9日(火)午前10時までの公開です。
配信期間:3/5(金)AM10時~3/9(火)AM10時
「精霊よびだしうでわ」(3/6放送TVアニメ原作アンコール公開 てんとう虫コミックス「ドラえもん」21巻より)
「貧しくも誇り高く」(てんとう虫コミックス「チンプイ」4巻より)
「カンビュセスの籤」(藤子・F・不二雄SF短編集Perfect版4巻より)
(以下、『カンビュセスの籤』の内容に触れています。未読の方はお気をつけください)
『カンビュセスの籤』は“古代ペルシア”と“はるかな未来世界”が奇跡的につながることでさらにその先の未来に思いを馳せる……というあまりにも壮大な時間のスケール感に圧倒される作品です。そのうえで、地球の全生命体の目的に肉迫するかのような根源性が感じられるし、事の真相と物語の結末に大きな衝撃を受けることにもなって、この短編一作によって私が受けたカルチャーショックは甚大なものでした。
傑作ぞろいの藤子F先生のSF短編マンガのなかでも傑出した作品のひとつ!として高く評価されているのが『カンビュセスの籤』なのです。
私が『カンビュセスの籤』を初めて読んだときは、超絶的に気の遠くなる時間感覚、そして人類史の最果て(人類がほぼ滅亡状態にある世界)に置かれた者のありように震撼させられました。
超絶的に気の遠くなる時間感覚……。
人類史の最果てに置かれた者のありよう……。
それらは、手塚治虫先生の『火の鳥 未来編』に見られる要素でもあります。
『火の鳥 未来編』は長編マンガで『カンビュセスの籤』は短編ですから、その点は対照的ですが、どちらの作品もそうした途方もなく気が遠くなる究極的なドラマをまざまざと見せてくれるのです。
手塚先生のご長女・手塚るみ子さんは今回の配信で『カンビュセスの籤』をあらためて読んでみて、手塚先生の短編『安達が原』と似た話だったんだな、と感じたそうです。
なるほど。たしかに、そういうところがありますね。
極限的なまでに孤独状態にある人物が生きのびるためにカニバリズムをなす…という点で重要な共通性を感じます。
手塚先生・藤子F先生が描いた数々のSF短編のなかでも傑作中の傑作のひとつである、という点も共通していると感じます。
私は、『カンビュセスの籤』で描かれたカニバリズムに触れてしまったがゆえに、直方体や立方体の肉(サイコロステーキのようなもの)を見ると反射的に鳥肌がたちそうな気分になることがありました(笑)作中に出てくる人肉でできた食糧「ミート・キューブ」を思い出すからです。
ミート・キューブは、その見た目だけだと、豆腐を思い出させたりもします…。
ともあれ、『カンビュセスの籤』のカニバリズムから、少年だった私は甚大な衝撃を受けました。ミート・キューブやミート・キューブを連想させる食品が一種のトラウマになるくらいに……。
そんな衝撃とともに、ささやかながら一種のロマンとエロスも感じました。
カニバリズム作品からロマンとエロスを感じるとは、どういうことか?
『カンビュセスの籤』は、一人の男性と一人の女性が出会う物語という側面を明らかにもっています。一種のボーイ・ミーツ・ガール系と言ってしまってよいでしょう。
ただ、ボーイ・ミーツ・ガールといっても、その出会い方も出会った場所も置かれた状況もはなはだしく尋常じゃないものでした。
異文化・異言語どころか著しく離れた時代で生活していた男女が不思議な形で出会い、当初はコミュニケーションがうまくいかなかったものの、そのうち互いの事情や人柄を理解し合えるようになり、やがて両者の間に愛情が芽生えていく……。
その愛情は、恋愛とか性愛とはっきり言ってしまえるものではないのかもしれません。
それでも、二人の間には何か特別な愛情が芽生えたように見えるのです。少なくとも、お互いに相手のことが「好きだ」という感情は生じています。
お互いが「好きだ」と思うようになったことで、地球上のたった一組だけのカップルが誕生したわけです。地球最後のカップルができあがった、ともいえましょう。
そうしてこの男女は、ある意味で肉体的に結ばれることになります。人類の命をその先の未来へつないでいくために……。
男女が肉体的に結ばれる……。
男女が命を未来につないでいく……。
となれば、二人がこれから行なうのはいわゆる性行為に決まっている。と常識的に考えればそう思ってしまうところですが、そうはいかないのがこの物語の特異性です。
この二人が置かれた世界は、人間が生きていくための食糧がありません。そういう極限の環境に置かれているのです。
それゆえ、このカップルは「一方がもう一方の食糧になる」という方法でしか命を未来へつないでいけないのです。
すなわち、カニバリズムです。
地球に生き残った唯一の男女カップルが、通常の生殖行為ではなく、食べる/食べられるの関係で肉体的に結ばれるというのですから、あまりにもショッキングです。
衝撃的すぎます。
衝撃的すぎるのですが、これを「愛が芽生えはじめた男女がやった行為」として見ると、食べる/食べられるの関係で二人が結ばれることが「一つの愛の結実のかたちであり、性的な肉体関係の代償にもなるのでは」と勝手に妄想が膨らんできます。
本当に勝手な妄想ですが、カニバリズムが愛の結晶行為だと思えばそこにロマンを感じられるし、性的な関係の代償行為と思えばそこからエロスすら見いだせるわけです。
食べるものがないという極限の状況下で未来に命を残していくため、やむにやまれぬ手段としてカニバリズムが選ばれたのですから、そのような行為からロマンティックでエロティックな男女関係を見いだすなんて不謹慎かつ筋違いな妄想かもしれません。でも、そんな妄想を肯定したくなるくらい、『カンビュセスの籤』で描かれた二人の関係に愛を感じるのです。とくに、ラストの一コマは情的な余韻を残しており、いろいろと想像をかきたてられます。
また私は、『カンビュセスの籤』からこんなことも感じました。どんなに時代が進んでも同じ愚(=戦争による惨劇)を懲りずに繰り返す人類に対する諦念みたいなものを感じたのです。
長大な年月にわたって同種どうしで懲りずに殺し合いを続けてきたくせに、究極のところでは生きのびる義務や生への欲望にしがみつき、なんとしてでも生き残り続けようとする人類……。その矛盾をはらんだありさまから、人類という種がもつ根源的なジレンマが露呈している気がします。
そのうえでなおこの作品は、人類レベル、いや地球の全生命体レベルの“在ることへの執念”を見事に描き出していて、生きようとする存在の本質的な美しさとたくましさを伝えてくれるのです。
そうやって圧倒されながら、衝撃を受けながら読んできた物語の、その終わり方には、絶望状況における一抹の希望が感じられます。
あまりにも遠大な“溺れる者は藁をもつかむ”物語だな…と思いつつ、一抹の希望を信じたい気持ちが胸のなかで残響するのでした。
個人的な『カンビュセスの籤』への思いをもうひとつ言わせてもらえば、“くじ”というものへの認識を改められた作品でもあります。「くじといえば、駄菓子屋とかクラスの席決め…」という程度のイメージしかもっていなかった私ですから、この作品を読んで、人間の生死にかかわる極度に重大な物事を決めるためにくじが使われたことに驚愕しました。そして、そのくじの結果がもたらす有無を言わさぬ絶対性におののき、その絶対性を支える“くじの公平性”について(作為が入りこむ可能性も含めて)考えることになったのです。
くじって漢字でこう書くのか!と教えてくれた作品でもあります(笑)
くじといえば!
2月20日ごろから「ドラえもんみつめればしあわせポスター」くじが全国の書店(参加店舗は限られています)で始まっています。
このくじは人気が高いようで、開始してまもなく終了したお店もあると聞きました。
私は、『とっておきドラえもん わきあいあい家族編』の通常版を購入してこのくじを引きました。
結果は……
シークレットでした!
シークレットなので、今はまだどんなデザインかここには載せません。(ネット上には画像がいっぱい出回っていますが・笑)
個人的な第一希望はドラえもんとのび太が仲良くごろんと寝ている「おひるねポスター」でしたが、シークレットが出たのはくじとして好結果ですから「やった!」という気分を味わえました。
このくじ、書店でやっているのをまた見かけたら再チャレンジするかもしれません。