大山のぶ代『ぼく、ドラえもんでした。』

koikesan2006-05-30

 大山のぶ代さんの書き下ろし自伝エッセイ『ぼく、ドラえもんでした。/涙と笑いの26年うちあけ話」(小学館/税込1575円)が発売された。大山さんの「ドラえもん声優卒業」と「デビュー50周年」を記念した出版で、ドラえもんとの出会いから始まる26年間のさまざまなエピソードを、ドラえもんへの愛情たっぷりに綴っている。
 大山さんが演じるアニメ『ドラえもん』を放映スタート時からラストまで(欠かさずとは言わないけれど)ずっと観てきた者として、非常に興味深く感慨深く読めた。夢中になって一気に読破した。目頭が熱くなる箇所もいくつかあった。



 巻頭では、「大山のぶ代グラフィティ」と題し、大山さんの幼少時代から近年までの写真を多数掲載している。舞台挨拶やテレビ番組、各種セレモニーで藤子先生と一緒に収まった写真もあり、それらを眺めているだけでわくわくしてくる。



 そして本文。
ドラえもん』の初めての録音を前にした大山さんは、心の中で「普通にやれたらいいなー」と感じていたという。『ドラえもん』に登場する子ども達は東京練馬に住む普通の小学生。近所には空き地があって学校の裏山があって悪いことをすると叱ってくれるお爺さんがいる。そんな庶民的な普通の町に未来のロボットがやってきて、当たり前の顔で人間と一緒に生活している。そのロボットは不思議な道具で「古今東西、過去未来」「宇宙、海中、地中」まで連れて行ってくれる。「こんなことができるとなれば、私たちはなまじっかなことをするより、真面目に普通にその役を演じるだけでいいのです」と大山さんは語る。
 このくだりを読んで、『ドラえもん』という作品に出会ってすぐの段階で、その本質的な要素を感じとっていた大山さんの、経験に裏打ちされた直観力に感心した。とともに、大山さんが初めからそういう意識でドラえもんを演じてくれていたことに感謝したくなった。
 他の番組に出るなと言われたわけでも、専属契約を結んだわけでもないのに、ドラえもん以外の声の出演を断っていたというエピソードからも、大山さんのドラえもんへのこだわりがうかがえて嬉しい。
 また本書のところどころから「私はなんとものすごいものにかかわっているのだろうという身の縮む思いでした」というような、大山さんの『ドラえもん』に対する敬意と謙虚さが読みとれて、感銘を受けた。



 第5章「藤本先生の思い出」は、藤子ファンとして全体が読みどころだった。F先生が軽い身のこなしで歩く描写など、実にあたたかい気持ちになれる。大山さんが、F先生の物腰や話し方を〝やさしさモワモワ〟と表現しているところからもぬくもりを感じた。



 大山さんが地方へ行って帰ってこない日、夫の砂川啓介さんが家にいると大山さんの声がいきなり聞こえたので「もう帰ってきたのか」と思って部屋を見ると、ドラえもんの目覚し時計が鳴っていた、というエピソードはなんだかほほえましい。そんなことがあって砂川さんが大山さんに向けた言葉「よく自分の声で起きられるナー」も面白かった。



「大山さんの声って、ドラえもんをやっているから〝ドラ声〟っていうんでしょ」と若い女性に聞かれた、という話からは、大山さんの声の世間への浸透力を感じた。ドラ声というのはどちらかといえば否定的なニュアンスの言葉で、大山さんも子どものころ自分の声で悩んだことがあったそうだが、大山さんがドラえもんを演じ続けたことで、ドラ声という言葉が親しみのある意味合いを帯び、その語源がドラえもんから来ていると思いこむ人まで出てきたのだから、大山さんの声は、ひとつの日本語が含みこむニュアンスに変化をもたらしたのだといえなくもない。



 ドラえもんブーム時代の話は、その当時リアルタイムでドラえもんファンだった私の胸を熱くするのに充分だった。




※2日前のコメント欄で緑のドラえもんさんがお知らせくださったとおり、6月2日(金)、「徹子の部屋」(テレビ朝日系)に大山のぶ代さんが出演する。
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/