市川ビル貯金箱

 藤子不二雄FCネオ・ユートピアが市川ビル貯金箱を製作、販売しています。

 私は会員先行予約に申し込んでいて、完成した品が先週届いたのですが、きのうになってようやく開封しました。

 市川ビルは、スタジオゼロや藤子スタジオ、フジオ・プロ、つのだじろうプロなどが入っていた、マンガ・アニメ史において国宝級・世界遺産級の建物でしたが、2003年9月、ファンに惜しまれつつ解体されてしまいました。それが20年以上たってソフビ貯金箱としてよみがえったのです。

 そんな日が来るとは思っていませんでした。心から快哉をあげたい気分です。

 

 市川ビル解体前、1階で営業していた喫茶シャトレに行けたのが個人的には思い出深い体験です。藤子ファン仲間と夜遅くまで滞在して語り合ったのをおぼえています。(写真は2002年ごろ撮影したもの)

 

週刊朝日」2003年10月24日号に、市川ビル解体を伝えるカラーグラビア記事が掲載されました。解体を控えた市川ビルを背景に、藤子不二雄Ⓐ先生、鈴木伸一先生、つのだじろう先生の3名が並んだ写真が1ページを使って載っています。

 記事の見出しは「第二のトキワ荘が消えた日」。「第二のトキワ荘」という比喩が共感と感慨を誘います。

 トキワ荘も市川ビルも解体されてしまって、ファンとしては無念で悲しかったのですが、トキワ荘のほうは2020年7月にトキワ荘マンガミュージアムとして建物が復元されました。トキワ荘は第一級の歴史的マンガ遺産ですから、復元されて然るべきといえばまったくもってそうに違いないのですが、それでもある時期までは(それこそ2010年代前半くらいまでは)復元なんて夢物語だとすら思っていました。それが本当の本当に実現したのですから(それもじつに本格的な規模で復元されたので)とても驚いたし、おおいに歓喜しました。

 市川ビルの本格的な復元はトキワ荘以上に困難でしょう。建物の大きさからいっても(一部分の復元はありえても)全体の復元は無理だと思っています。

 だからこそ、このたび市川ビルがソフビ貯金箱というかたちでミニチュア化されたのは、非常に得がたい貴重な機会だと思いますし、心より賞賛をおくりたい出来事なのです。

 

 史上初の市川ビルミニチュア化、バンザーイ!

 

 

藤子不二雄Ⓐ先生のご命日にⒶキャラとお花見

 きのう4月6日(土)は藤子不二雄Ⓐ先生のご命日。

 岩倉桜まつりに出かけ、桜の木の前でジャンプする満賀道雄たちが表紙の『愛…しりそめし頃に…』11集や藤子Ⓐキャラクターたちと一緒にお花見をしてきました。

 きれいな桜を眺めながら五条川の堤防を歩き、露店で買い食いも楽しみましたよ。

 

 

 夕食は、元祖手羽先唐揚「風来坊」へ。

 藤子Ⓐ先生に何か関係あるお店とかそういうわけではありませんが、先生を偲びつつ飲食しました。 

 

 

 本日(4月7日)午後9時45分からNHK BSで「藤子・F・不二雄SF短編ドラマ」Season2の第1回放送となる『鉄人をひろったよ』が放送されますが、きのうの岩倉桜まつり会場で「鉄人クレープ」を見かけました。

 行列ができていたので、どんなクレープか見ないまま立ち去りましたが。

 ともあれ、今晩放送の『鉄人をひろったよ』、VFXの出来具合も含めてとても楽しみです。

 https://www.nhk.jp/p/ts/4JZM8MV1Q2/episode/te/QMG64RRVV4/

niko and ...(ニコアンド)の藤子・F・不二雄生誕90周年記念アイテム

 niko and ...(ニコアンド)から藤子・F・不二雄生誕90周年記念アイテム各種が発売中です。2月21日よりWEB先行予約がスタート、3月20日10:00から実店舗にて順次発売開始されました。

 早く実店舗へ足を運びたくてウズウズしていたのですが、3月30日になってようやく名古屋の店舗へ行けました。

 ディスプレイを眺めるのがじつに楽しかった!!

 全アイテムのうち、この日この店舗にあったのは半分ほどでしたが、それでも、多彩でチャーミングなアイテムが並ぶ光景に見とれました。

 

 見れば見るほどどれもこれも欲しくなったけれど、いちばん欲しい!と思ったのはこちら。

 マルチクロスです!

 

 マルチクロスのこの大きさにグッと心をつかまれ、お値段はなかなかでしたが購入を決めました。

 

 

 マルチクロスのほかには、ピンパッジとブラインド式のアクリルスタンドを一つずつ購入しました。

 

 

 

 

 

「MOE」にSF短編の記事

 4月3日発売「MOE」5月号(白泉社)に藤子・F・不二雄先生関連の記事が掲載されている、ということで書店で買ってきました。

 記事のタイトルは「SFファンタジーを読む 藤子・F・不二雄生誕90周年」。
[MOEがおすすめするSF短編5選][アニメ化決定!「T・Pぼん」歴史の謎を解き明かせ!]という2つのコーナーで構成されています。

 

 藤子F先生の記事めあてで買ったのですが、巻頭大特集が「不思議の国のアリス」で特別ふろくがヒグチユウコさんの「アリス」クリアファイルなのも嬉しいところ。
 出版160周年記念「不思議の国のアリス展」が開催されるんですね。
 https://www.takashimaya.co.jp/store/special/alice160th/index.html

祝・テレビ朝日版アニメ『ドラえもん』放送45周年!

 きのう(4月2日)でテレビ朝日版アニメ『ドラえもん』が放送45周年を迎えました。

 おめでとうございます!

 

 テレビ朝日版アニメ『ドラえもん』の放送が始まったのは、1979年4月2日(月)のこと。

 それより1年くらい前だったでしょうか。『ドラえもん』が(2度目の)テレビアニメ化に向けて動いている! 月刊化する前の「コロコロコミック」の誌面でそういう空気を察知した私は、日ごと期待に胸を膨らませていきました。アニメ化が決まったわけではぜんぜんないけれど、「コロコロコミック」の読者と編集部が一丸となって『ドラえもん』アニメ化を実現させようと奮起しているその熱気に胸を熱くさせられました。

 そんななか、ついにアニメ化決定が報じられたのは、1979年2月のことでした。

 これが『ドラえもん』テレビアニメ化決定の第一報を伝えてくれた記念すべき一冊。1979年2月15日に発売された「コロコロコミック」NO.11です。私は当時、小学4年生。こんなにも興奮する第一報が今まであっただろうかという大ニュースでした。

 

 そうして新年度を迎え5年生になってすぐ、アニメ『ドラえもん』の放送がスタートしました。

 記念すべき放送第1回のエピソードは「ゆめの町 ノビタランド」。

 第1回放送を迎えたときの絶大なるわくわく感は今も忘れません。 待ちに待ったアニメ『ドラえもん』をテレビの画面でついに観られる喜びに満たされました。嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。

 

 それはそうなんですが、

 でも、

 私が放送第1回「ゆめの町 ノビタランド」を視聴したのは4月2日ではありませんでした。ビデオに録画してあとで観たのでもありません。当時は一般家庭にビデオデッキは普及していませんでした。

 

 では、なぜ4月2日放送の第1回を観られなかったのか。

 45年前の4月2日からアニメ『ドラえもん』が放送開始されたのは、全国でテレビ朝日エリア(関東圏)のみだったのです。関東の人しか観られなかったのです。

 

 愛知県に住む私がアニメ『ドラえもん』を初めて視聴できたのは、4月8日のこと。この日から放送の始まった日曜版(30分番組、3本立て)こそが、私にとってアニメ『ドラえもん』のスタートでした。

 

 そのへんの事情をもう少し説明しましょう。

 テレビ朝日版アニメ『ドラえもん』は、4月2日から始まる帯番組(毎週月〜土、1回10分)と4月8日から始まる30分番組(毎週日曜、帯番組の再放送3本立て)の2形態がありました。テレビ朝日エリアのみ、そのすべてを観られたのですが、他の地域は事情が違っていました。まず、帯番組はテレビ朝日エリアでしか観られませんでした。それ以外の地域は、30分番組同時ネットのところもあれば、30分番組の遅れネットのところもあったし、そもそも『ドラえもん』が放送されない地域すらけっこうありました。当時はテレビ朝日系列の地方局が現在の半分もなかったらしいのです。

 

 当時の各地域の放送曜日・放送時間はこんなふうでした。

※「月刊コロコロコミック」1979年4月号(小学館)より引用

 

 

※「月刊コロコロコミック」1979年5月号(小学館)より引用

 

 あれ?このラインナップだとウチの県では『ドラえもん』が観られない…と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

 このような状況を思うと、愛知県(名古屋テレビのエリア)に住んでいて30分番組だけでも同時ネットで観られた私は、まだ恵まれたほうだったのかもしれません。「コロコロコミック」の情報でアニメ『ドラえもん』の放送が始まったことは知っているのに、自分の住むエリアではまったく観られない……なんて事態を私が体験したら発狂しそうです。

 そう言いつつも、ついつい関東圏と比べてしまうんですよね。ああ関東がうらやましいと、どうしても感じてしまうのです。

(じつは、私の住むエリアでも1年半遅れで(1980年10月6日から)帯番組も放送されました。遅れてでも放送してくれたのはありがたい限りです。やはり全国的に見れば恵まれたほうなのでしょうね)

 

 というわけで、私個人にしてみればテレビ朝日版アニメ『ドラえもん』放送スタート記念日は4月8日ということになるのですが、でもこの番組の正式な放送開始日はあくまでも1979年4月2日なので、4月2日を45周年記念日として大いに祝したいと思います。

 

 

【付記】

テレビ朝日系でアニメ放送の始まった『ドラえもん』はたちまち国民的大ブームを巻き起こし、しだいにネット局が増えていきました。テレビ朝日×他局のクロスネット局や他系列局で放送するところが増えましたし、年月がたつにつれ、テレビ朝日系列の局がなかった地域に系列局ができたりもして(ない地域もありますが)全国的に視聴可能になっていったのです。

 

※放送開始当初は、藤子先生のふるさと富山県で『ドラえもん』が観られない…という理不尽な事態も発生していました。聞いたところによると、1年後くらいに遅れネットで放送開始され、富山の人も『ドラえもん』を観られるようになったとか。

 そうして現在、地元の方によると、北日本放送で日曜朝7時から(つまり遅れネットで)放送されているようです。同時ネットで観たい場合はケーブルテレビで石川県の北陸朝日放送を受信すれば視聴できるとのこと。

 

※当時の富山県のアニメ『ドラえもん』絡みの話でじつに印象的なのがこちら。

 藤子先生のふるさとなのにテレビ朝日版『ドラえもん』が放送されないという理不尽な状況のなか、富山テレビ日本テレビ版『ドラえもん』が再放送されたことがある、という話です。1979年7月~8月ごろのことだとか。

 この再放送は途中で打ち切られており、それは著作権者からの警告によるものとされていますが、その詳細については関係者の証言が錯綜しています。

  そのあたりの事情については、こちらのサイトが詳しいです。

ドラえもん (1973年のテレビアニメ) - 「封印」の状況とメディアでの扱い - わかりやすく解説 Weblio辞書

 

映画『のび太の地球交響楽』4回目の鑑賞

 きのう(3月30日・土)、『のび太の地球交響楽』を観てきました。

 これで4回目の鑑賞です。

 

 

 劇場の横にあるアミューズメントコーナーのクレーンゲームで大きめのサイズのミッカをゲット!

 といっても自分で獲ったわけじゃないのですが、ありがたいことにわが家へお迎えできました😊

 

 チャペックも一緒にお持ち帰りしたかったのですが、無理でした…。

 

 

【以下、映画の内容に触れているところがあります。未見の方はご注意ください】

 

 

・星を食べる巨大な宇宙生命体ノイズの襲撃によって、ファーレの殿堂の一部が破壊される。その衝撃で宇宙空間へ放り出されたのび太。その瞬間から、それまで音楽に満ちていたこの映画が一気に無音になる。スクリーンに映るのは、宇宙空間に一人きりののび太。音は聞こえない……。

 そのシーンの最中のことです。客席の幼い男の子が不安げな声でこう叫ぶのが聞こえてきました。

ドラえもんはどこ?どこ?どこなの?」

 館内に響きわたるその声が心に残る4回目の劇場鑑賞となりました。

 

・それまでの3回の鑑賞と比べてあまり泣けなかった。ずっと泣けないかな…と思いきや、オモイデコロンをかけられた白鳥の骨製フルートの回想シーンに来てようやく泣けました。その後は、クライマックスの「地球交響楽」演奏会でも泣けたなあ。

 

・ノイズを撃退してエンディングを迎える前のシーン。ミッカの部屋にのび太たちのおもちゃや日本語の絵本が置かれているのが見えました。そしてエンディングの終わり、のび太の日記と共にミッカが愛読していた絵本が置かれていました。ミッカとのび太たちはお別れするにあたって、お互いの大事な持ち物を交換したんですね。ジーンとしました。

 

 『のび太の地球交響楽』を3回鑑賞した時点での感想は以下にまとめてあります。  

 『映画ドラえもん のび太の地球交響楽』感想 - 藤子不二雄ファンはここにいる